夏空に想うこと・雑文日記
今週は炎天下の中ギターを背負って歩き、ライブに向けて久しぶりにスタジオに入った。ここしばらくほとんど楽器に触れていなかったのと、体調不良もあって身体が全くついてこない。僕はもともとレコーディングエンジニア志望で宅録からスタートしたミュージシャンだけれど、楽器や体を鳴らすことはライブから学んだことが多い。やはりそのコンディションは大切だとあらためて思う。
昔は強く弾けば大きい音が出るはずだし、それがロックだと思っていた。もちろんそれは一つの正解ではあるけれど、楽器の音の大小、人間なら声の大きさや体の大きさはそれぞれ違うわけで、ダイナミクス、つまり強弱とそれによって生まれる表現力も大切だと今は思っている。
この先ライブの現場がどうなるのか全くわからないけれど、いろんな仲間たちの活動を見て自分も何か出来ることをしたいと思い、企画してくれた成瀬英樹くんの後押しもあって8月23日に町田まほろ座で配信と会場のハイブリッドでのライブをやってみることにした。毎年恒例にしていたバースデーライブ。信じられないけれど今年自分は50歳になるらしい。どのくらいの人が参加してくれるのかは全くわからないけれど、今はあまりそういう事を考えないようにしている。
先日昔のデモ音源をここで配信してみた。値段設定は迷ったけれど、なんとなく自分が息抜きによく利用する喫茶店のコーヒー1杯分くらいが妥当かと思ったので300円にしてみた。購入してくれた方、そして多くのサポートをしてくれた皆さんに心から感謝している。今自分の置かれている状況下では金額の大小ではなく、自分の書いた曲や文章が誰かの役に立っていることを実感することが出来ることが何よりの救いになっている。
よく言われる「ひとりでも多くのみなさん」に聴いてもらえるのは有難いけれど、今は「自分の音楽を必要としてくれる誰かひとりの役に立ってくれたらそれでいい」と思うようになってきた。
8月11日は兄の誕生日だった。生きていたら自分のふたつ年上だったけれど、自分が兄の年齢を超えてしまったことがいまだに信じられない。兄の好きだった食べ物とワインを用意して、想いを巡らせた。心の空白が埋められる事はないが、その空白を、この先どのくらいの大きさで包むことが出来るんだろうか、と思う。
この二週間で親しかった友人が相次いで天国へ旅立った。ひとりは末期のがん、もうひとりは体調の悪さに気付きながらも頑なに病院にも行かず、結果的には緩やかな自死とさえ言えるものだった。人の死に方は様々だが、それはどう生きたか、ということと結局は同じような気がする。とても不器用だったけど、僕はふたりの生き方が好きだったし、愛していたと言ってもいいと思う。たくさんの楽しい思い出を、ありがとう。
確実なのは、人は生き物である以上必ず死ぬということだ、自分にもいつか、必ず別れがやってくる。それは明日かもしれないし、10年後かもしれない、100まで生きられるかもしれないが、それは誰にもわからない。
2歳になった息子がアンパンマンに夢中になっているので、テーマ曲を一日何度も聴くことになっている。もちろん知ってはいたけれど、自分の子供時代にはまだアンパンマンはいなかったので、生まれたての父として、そして音楽家として改めて聴くことになった。フルサイズは一番からあるがTVサイズの冒頭の歌詞はこうだ。
「なにが君のしあわせ」
これは哲学なんじゃないか、と思う。何が人にとって幸せなのかはその時代や社会情勢によって様々だけれど、僕たちはずっとこの普遍的なテーマを追いかけているような気がする。小さな子供たちのために作られたこの詩に、プロフェッショナルの奥行きと創作への信念を感じる。なにが自分にとってしあわせなのか、夏の空を仰ぎながらもう一度きちんと考えてみたい。