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映画「生きる」(1952, 日, 監督 黒澤 明)


もちろん、日本映画の超名作のひとつ。カズオ・イシグロが脚本を書いた英国リーメーク版を見たのに、こちらの元のバージョンを見ていないというひどい状態なので、急いで観てみた。予想に違わず、見事な物語だった。

役所の市民課課長渡辺は、30年無欠勤の超真面目な公務員。ところが、その真面目さは公務員としては、というただし書き。なぜなら役所では、何も仕事をしないことがモットーとされていて、それを渡辺も30年実践してきたのだ。町内のおかあさんたちが、下水のあふれた土地を直し、公園をつくってほしいと陳情に来ても、「それは土木課へ行ってください」とまわしてしまう。その土木課は公園課へ。公園課は衛生課へとたらい回しにする。その結果、おかあさんたちの陳情はまったく聞き入れられない。このあたり、英国バージョンもよく描いていた。

ところが渡辺に異変が起こった。医者へ行ったところ、胃がんが見つかったのだ。医者の診察は英国バージョンとはまったく違う。当時の日本の医療習慣だったのだろう。「軽い胃潰瘍です。内科的に治せます。油っこくなければなんでも食べてよいです」などと医者が言うのだ。察知のよい渡辺は、自分が胃がんであることを悟ってしまう。

飲み屋で知り合った小説家に、夜の遊び方を教えてもらうあたりは、英国バージョンと似ている。最初にパチンコへ行くあたりは日本的かもしれないけど。そして、職場を辞める若い女性の部下を食事やお酒に毎晩誘うところも似ている。英国バージョンと同じように、その女性がなぜ生き生きしているか学ぼうとしていたのだ。

そして自分のやるべきことに気づいた。いわずもがな、公園つくりである。町内のおかあさんたちからの陳情にこたえようというのだ。役所の中の各課をめぐり、公園つくりを頼みまくる渡辺の姿には、ものすごく味がある。口数少なく、頭を下げ、「ぜひお考えください」と小さくつぶやく。これを繰り返すのである。志村喬のなせる業であろう。

日本版で極めて見事だったのはこの後のラストに近いシーンだった。葬式の場に職場の上司や同輩や部下がやってきて酒を酌み交わす。ひとりの部下を除いて、助役を筆頭にほとんどの役人は「公園ができたのは渡辺のおかげではない」と言い切る。しかし、町内のおかあさんたちが突然、弔問に訪れてひとしきり涙を流し、居心地の悪くなった助役など上司が帰ると、議論が始まる。そして徐々に渡辺のおかげで公園ができたと言説が覆る。これこそ、黒澤映画の骨頂である。「羅生門」の会話劇も似ていたのではないか。

息子を初め家族が渡辺のガンを知らなかったというのは、本当に悲しい。でも、家族や周りに知らせなかったがゆえに、渡辺は公園つくりに邁進できたのかもしれない。

本当に見事な映画。最上の日本文化のひとつである。

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