見出し画像

探索に生きるデザイナー

はじめに

デザイナーの職能の活かし方をよく考えます。

学生時代から振り返って、紙・書籍・Web・アプリなどデザイン対象をいくらか変えながらやってきましたが、求められる役割は根本的には同じだったがします。理想をかたちにする職能の活かし方という意味ではあまり変わらないかもしれません。

一方でそうではない可能性も夢想していました。たとえば理想をかたちにするのではなく、理想を探し、みつけるのはどうだろう。つまりは具体化・可視化を軸にした探索です。
そのときデザイナーのあり方、キャリアの可能性はどんなだろうと想像していました。

つくる=可視化・具体化を武器に探索する

具体化・可視化できる職能を軸に考えると理想を探し、みつけるという活かし方は有用で可能性が大きいと感じています。デリバリーというよりディスカバリーです。

たとえば、

  • 抽象的なアイデアや議論の共通認識化を促す
    具体物情緒的な納得感に作用し合意形成する具体物

  • あるユースケースの実現可能性の検討材料
    理想からの逆算による拡張性の担保

がその具体例です。旗印やコンパスをつくるようなものでしょうか。ビジョンプロトタイプという手法に落とし込んで実務に活かしたりしました。

回想

デザイナーが生きる場面というと・・・

  • 表現で情緒に働きかける 細部にこだわり、表現に没頭したりして情緒的価値を生み出します。主観で切り込んで、自分そのもので勝負するようなデザイン。

  • 構造に基づかせる ルールに則り、体現させることが価値のひとつだったりします。整合性に細心の注意を払い、誤らないように高めていくデザイン。

基本的にデリバリー:最終成果物をつくりあげる、つくりこむ場面がイメージできました。デリバリーの重要さを考えると納得感があります。

一方で、キャリアを重ねるごとにプロセスには一定習熟し、隣接領域にも越境したりしながら、すこしは心の余裕を持ち以前よりは冷静に業務に臨むことができるようになった気がします。それゆえか、よりイレギュラーで、より前例がなくて、より抽象的な事象に向き合って判断していくことが価値になると徐々に感じ始めました。(職種問わずマネジメントやスペシャリストであれば往々にしてそうなっていくと思うのですが。)

これは自分のなかで大きなヒントになりました。対象じゃなくてタイミングだったのかも、と。

向き合うはずのこと

不確実性と付き合う

精神的な話ですが、大きな転換かもしれません。
経験的にこの状態を苦手とするデザイナーの方はかなり多い印象があります。 デザイナーに限らないとは思いますが、とくにかたちにすることを武器に活動するデザイナーにとっては早く脱したい状況なはずです。理想や価値を探している状況下では無数の変数が浮かび上がり、焦点は定まりづらく、目指すべき成果やゴールも曖昧です。

型にしない

当然かもしれませんが、プロセスの再現性は探索の場面では機能しないと思います。

無駄かもしれない

こちらはもう少し実働の話で、探索の肝だと体験してきました。抽象的な議論に手触りのある具体をぶつけてみることで、違ったとしてもその繰り返しで。徐々に差を埋め、精度を高めていくことには大いに価値がありました。無駄かもしれないが常につきまといつつ、ではありますがクイックに可視化・具体化しながら肯定はもちろん否定も引き出していくことに向き合います。

正しさに固執しない

ルールにしろ、プロセスにしろ正しいとされるものは規範となって足並みを揃えられますが、探索の場面ではその正しさにあたりがつかない、むしろ邪魔になることもありえます。
依るべき正しさがないことを認め、向き合う必要があります。

上記のとおりで、一味違う困難に出くわしますが、人が目の色を変えて浮足立つようなワクワクが発生する瞬間やカチリと全てが噛み合うさまを最前列で見られるのはデザイナー冥利につきるなと思います。

さいごに:探索に生きるデザイナー

現在、今秋より立ち上がった新組織で

  • 事業づくり/サービスづくり

  • ブランドづくり

  • 未来像づくり

といった、より柔らかくて概念的な対象をデザインしていく機会に恵まれました。自分の職能を探索するのも結構意義深いことに違いない、と思いチャレンジさせてもらっています。
※所属するGoodpatchではデザイナーの役割を常に拡張・分化しており職能も幅広ですが、本稿では所謂「デザイナー」を指してデザイナーといっています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?