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ジェフ・ベゾスの目指す資料の形式とは

何かをプレゼンテーションする時に使用するツールとして、今やマイクロソフトのパワーポイントはデファクト・スタンダードになっている。しかし、私は以前から、この方法は手軽で見映え良くプレゼンできるが、「相手に理解させる手段」として、あるいは「建設的な議論の材料」として、という意味ではいつも万能とは限らないと感じていた。

だから、「アマゾンではパワポ禁止」という記事を読みながら、思わず膝を打つ思いがした。

パワポの資料はプレゼンターのトークを一緒に聴くのを前提にしているものが多く、自己完結的で無いものがほとんどだ。つまり、その場にいなかった人が後で資料を見てもチンプンカンプンな事が多い。
普通のプレゼンで使われる音声無しのパワポ資料は論理を追うことができないので,論文などの論理を辿れる試料を読むことになる。

社内資料でパワポを使用禁止にしたのはジェフ・ベゾスの慧眼だと思う。そうは言っても、ナラティヴな形式で言いたいことが分かりやすく伝わる様な資料を作成するスキルを身に付けるのは容易ではない。しかし、社員の頭の中を整理させて無駄な議論を減らすには有効だと思う。

日本の会社では、文字ではなく絵にすることを強く求められることも多い。絵にすることで、誰でも同じイメージを抱けるようになるという考え方だろう。一方で、米国人は社外へのプレゼンには綺麗なパワポをつくるのも上手な人が多いが、少人数の会議の際などはフリップチャートに字で自分の考えを書き下す場合が多い。
実際に米国の会社で日本人と米国人のエンジニアが共同で作業すると、日本人はフローチャートを含め絵が多い資料を、米国人は文字主体の資料を作成し、お互いわかりにくいとの批判が出されることもあるようだ。双方とも言い分は共に「資料が曖昧で分かりにくい」となる。

日常生活でも例えば、道順を説明するときでも、日本人はすぐに地図を書いて説明するが、米人は○○通りを何ヤード進み、次にXX通りを左に折れて何ヤードと、文章で説明する。これは米国の地番表示が徹底していてその方が分りやすいという面もあるが、文化の違いも大きいだろう。

ただ、ジェフ・ベゾスの目指していることは、それとは少し違うのではないかと思う。
ベゾスが目指したのは、第一に資料の独り歩き能力の確保だろう。つまり、「説明なしで資料だけ読めば言いたいことが伝わること」を目指していると考える。
他にも目的があるとすれば、それは「著者の主張を一度は著者の頭の中できちんとした文章で表現させること」ではないかと思う。パワポはキーワードを並べるだけでもそれなりの資料にみえるが、それが本当に著者が考えていることを表わしているかは怪しい点も残る。

頭の中にイメージがあっても、それを文章に書き下そうとすると簡単ではないことが多い。そのこと自体が思考訓練になるし、論理的な文章化が出来たという事はプログラムの場合にはそれを単純にコード化すれば良いことになる。

野中郁次郎氏風に言えば、「集団知」、「形式知」の形成と蓄積を目指しているアクティビティではないか。この記事を見て、そんなことを考えた。

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