見出し画像

No Geophysics, No Life.

 "No~, no life" の直訳の意味は、「~がなければ、人生はない」ですが、「~なくして、なんの人生かな」や「~無くして人生無し」などと訳します。”No music, no life”は、「音楽の無い人生なんて」と訳せますし、"No game, no life" なら「ゲームなくして、なんの人生だ」などと訳せます。この構文は、色々な応用が利くので多用されています。

 私がこの構文を使うとすれば、”No geophysics, no life”です。直訳すれば、「地球物理なくして、なんの人生かな」となりますが、私の中では「ブッタンなくして人生なし」です。高校生の頃は物理が苦手で、化学の方が得意でした。そんな私が、物理探査学ブッタンに出会い、物理探査学を研究し、さらには教えています。物理探査学に出会わなければ、今の私はありませんし、物理探査学の入門書を書くこともありませんでした。

 大学の専門課程に入るまでは、”物理探査学”という学問があることは全く知りませんでした。その当時の物理探査学の先生は、かなりクセの強い先生で、自分の専門である”比抵抗法”しか授業で教えませんでした。しかし、定期試験になるとその他の探査法についても出題するので、もう滅茶苦茶でした。そんな滅茶苦茶な授業でも、先生の熱意は伝わってきました。とにかく”難しい”というのが、物理探査学に対する最初のイメージでした。

 この”難しい”物理探査にチャレンジしたくて、物理探査学研究室を選びました。当時のコンピュータは、大型計算機センターにしかなく、パーソナルなコンピュータは殆どありませんでした。しかし、サンシャイン計画などの地熱開発の推進のお陰で、物理探査学研究室には当時としては珍しい、中型のコンピュータがありました。このコンピュータは、我々下っ端の学生には使わせてもらえませんでしたが、物理探査学が最先端を走っているような気分にさせてくれました。

 物理探査を専攻し、物理探査を仕事にすることになってからも、物理探査を嫌いになったことは一度もありません。ただし、実際のフィールド調査は山中で行なうことが多く、重い荷物を担いで山登りするので、「キツイなぁ」と思うことは何度もありました。

 ちょっと古いですけど、「私のことは嫌いになっても、物理探査のことは嫌いにならないで下さい」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?