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日本のアトランティス 別府・瓜生島

 アトランティスは、古代ギリシアの哲学者プラトンの著書『ティマイオス』や『クリティアス』の中で記述した伝説上の広大な島です。その島には繁栄したとされる帝国が存在していましたが、プラトンの時代の9000年前に海中に没したと記述されています。アトランティスやムー大陸の話は、昭和のオカルトブームの頃に流行りましたし、オカルトと関係なくてもアトランティスはSFなどの題材として取り上げられるので、名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

 日本にも、アトランティスほど有名ではありませんが、一夜にして沈んだ共通点を持つことから、日本のアトランティスと称される島があります。それが別府湾にかつて存在していたとされる瓜生島(うりゅうじま)です。『豊府紀聞』などの古記録に収められた伝説や昔話を基にすると、瓜生島は別府湾から400-500m沖の大分川の現河口付近にあり、島の周囲は約12km、人口約5千人だったと推定されています。伝承では、不心得者が島内にあった蛭子神社の蛭子像の顔を赤く塗った祟りで、島が沈んだとされています。

 瓜生島という名称が最初に使われたと言われるのが、1699年の戸倉貞則『豊府聞書』です。この本の写本または異本とされる『豊府紀聞』によれば、瓜生島は1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)の慶長豊後地震によって沈んだとされています。この地震については、宣教師のルイス・フロイスが、その記録の中で「九州にある太閤の海港が地震によって被害を受けた」と言及しています。この地震が実際に起きたことは、これまでの研究で判明していて、震源地は別府湾南東部で、マグニチュード7.0程度と推測されています。

 ただし、瓜生島が実在したかどうかについては諸説あり、島があったとされる場所は湾の最深位置であるとして存在を否定する説、島ではなく半島だったのではないかとする説、現在の別府市または大分市に当たる位置にあった村だったとする説などがあります。また、大分川河口沖の海底に残る地すべり跡から、土砂が堆積してできた島が地震による液状化と津波、その後の浸食で消失したとする説なども提案されていて、研究者によって見解が分かれています。

 別府湾を音波探査(弾性波探査)で調査した結果では、度重なる地震(断層)によって地層が激しく切断されている断面図が得られています。別府と島原を結ぶ線は、中央構造線の一部で、日本でも有数の活断層地域です。一夜で沈んだ瓜生島の伝説があっても、おかしく無い場所です。

 詳しいことが知りたい人には、専門的な話がYouTubeにアップされていましたので下にリンクを貼りました。個人的は、1.5倍速以上で視聴されることをお勧めします。あなたは日本のアトランティスを信じますか?。


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