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世界”物探”遺産の旅#8 マーシャル諸島・ジャルート環礁

マーシャル諸島共和国(通称マーシャル諸島) は、太平洋上に浮かぶ島国で、いわゆるミニ国家の一つです。この島国は、ミクロネシア連邦の東、キリバスの北に位置していて、”真珠の首飾り”とも呼ばれるマーシャル諸島全域を領土としています。現在は独立国家ですが、一時期は日本が統治していました。Wiki情報では、以下のような歴史年表になっています。

1914年 - 第一次世界大戦において日本が占領。
1919年 - 国際連盟からの委任で日本の委任統治領(外地)となる。
1920年 - 国際連盟が日本の委任統治領として承認。
1944年 - ギルバート・マーシャル諸島の戦いにおいてアメリカ軍が占領。
1947年 - 国際連合がアメリカ合衆国の信託統治領(太平洋諸島信託統治領)として承認。

つまり太平洋戦争で日本が敗戦濃厚となり、アメリカの占領されるまでは、この島国は日本だったわけです。日本の委任統治下で、電気や水道、学校や病院などのインフラの整備が進みました。1920年代から1930年代初期には、マーシャル諸島原産のコプラ(ヤシ油の原料)の集積地となり、買い付けを行う日本の商人らで賑わったそうです。このマーシャル諸島共和国の首都マジュロから南西220kmには、91の島からなるジャルート環礁(Jaluit Atoll)があって、環礁全体がラムサール条約に登録されています。

年表にもあるように、第一次世界大戦中にジャルート環礁は、連合国として参戦した日本海軍によって占領されました。1922年(大正11年)からは、マーシャル諸島を含む南洋諸島全域が、日本の委任統治領となりました。日本統治時代、ジャルート環礁はドイツ語読みのヤルート環礁と呼称され、同環礁のジャボール島には南洋庁のヤルート支庁が置かれ、日本のマーシャル諸島統治の中心地でした。

当時、ジャルート環礁まで、日本郵船のサイパン丸やパラオ丸による定期航路が就航していたほか、1941年1月より、大日本航空が横浜港からサイパンやパラオを経由してジャルート環礁までの定期旅客便を川西式四発飛行艇により就航させていました。

この環礁がどうして物探遺産かというと、ここで日本初の重力偏差計による本格的な重力探査が実施されたからです。地磁気の逆転で有名な松山基範は、エトベス型重力偏差計を使ってジャルート環礁の島々で重力偏差を観測し、その結果から環礁下の地下構造を推定しました。その後、中国北東部の撫順炭田でも測定を実施し、エトベスの予言通り、重力偏差計が資源探査に役立つことを示しました。


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