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バークレーの思い出

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備忘録として、1年間バークレーに住んでいた時の思い出を語ります。
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#バークレー

バークレーの思い出#25 Muir Woods

サンフランシスコの北に広がる素晴らしい森であるミュア・ウッズ(Muir Woods) は、1908年にセオドア・ルーズベルト大統領によって国定公園に指定されました。この名称は、偉大なナチュラリストであるジョン・ミュアに敬意を表したものです。彼はこの公園について、「世界中の森林の中でも、樹木愛好家にとって最高のモニュメントだ」と評しています。 ミュア・ウッズは、ゴールデンゲートブリッジを渡り北へ少し進んだ場所にあります。ここには静寂なレッドウッドの森林が広がっています。

バークレーの思い出#24 家族の写真

訪問先であるUCバークレーで私を受け入れてくれたのは、電気探査や電磁探査の権威であるM教授でした。しかし、このM教授は超多忙で、日本から来た”ポンコツな訪問研究員”の面倒を見る余裕がありませんでした。 その代わりと言っては語弊がありますが、私の面倒を見てくれたのは、これまた電磁探査の権威であるL博士でした。L博士は韓国出身の在米研究者で、私はアメリカに行く前に面識がありました。同じアジアから来た訪問研究員ということで、親切にも私の世話を焼いてくれました。いまでも、そのことに

バークレーの思い出#22 アメリカの自動販売機

日本では当たり前の光景である自販機は、アメリカの街中では見かけません。これは、治安の問題もあるのでしょうが、味気ない機械から買いたくないという気持ちの表れかもしれません。もしアメリカの道端に自販機が設置されたら、一夜で破壊され、中の商品やお金が持って行かれることでしょう。普段意識しませんが、日本はかなり治安の良い国です。 しかし、アメリカでも限られた場所では自販機が設置されていました。それは建物内部で、その関係者でなければ進入できない場所に限られます。私が通っていたUCバー

バークレーの思い出#20 特大の雹が降って来た

今日(2023年2月25日)のお昼過ぎ、自宅付近で雹が降りました。外で激しい雨音がしたので、急な土砂降りかと思って外を見ると、雹が降っていました。ベランダにも、雹の氷の粒が落ちていました。氷の粒の大きさは2-3ミリくらいでさほど大きくありませんでが、それでも大きな音で数分間ほど降り続きました。 雹で思い出すのがバークレーです。その日は、家にいたのでたぶん週末だったと思います。バークレーは、海を挟んでサンフランシスコの対岸に位置しています。サンフランシスコ沖には寒流が流れてい

バークレーの思い出#19 差別について

ネットの記事で様々な差別に関する記事を目にすると、モヤモヤとした感情が沸き上がってきます。大上段に正義感を振りかざして、「差別は絶対にダメだ」と言っているのではありません。大変残念なことですが、世の中には様々な差別が存在しています。私が1年間住んでいたアメリカでは、未だにアフリカ系アメリカ人やアジア系アメリカ人に対する差別があります。また、性的マイノリティに対する差別もあります。差別問題の難しさは、”差別の定義”の難しさにも起因しています。Wikipediaには、差別の定義に

バークレーの思い出#18 スタンフォード大学

 UCバークレーに訪問研究員として通った1年間に、2度ほどスタンフォード大学に行ったことがありました。UCバークレーは名門の公立大学ですが、スタンフォード大学は名門の私立大学です。例えは正確ではありません、日本で言えば東大と慶應大のような関係です。  UCバークレーとスタンフォード大はスポーツや勉強のライバル校です。一年に一回、アメリカンフットボールの対抗戦があって、大いに盛り上がります。両大学にはスクールカラーがあって、UCバークレーは『紺(と黄)』、スタンフォード大は『

バークレーの思い出#17 挨拶の習慣

 アメリカでは、皆さんがよく挨拶をします。「そんなの、当り前じゃないか」と思われるかもしれません。しかし、ちょっと待って下さい。知り合い同士で挨拶するのは、日本でも当たり前ですが、コンビニやデパートのレジや会計で、お店の人に挨拶する人がどれだけいるでしょうか?。日本ではほぼ0%ですが、アメリカではほぼ100%の人が挨拶します。  もちろん初対面の場合がほとんどですから、お互いに最初は軽い”Hi”(ハイ)から始まります。その店の常連になれば、もっと複雑な会話を交わしますが、た

バークレーの思い出#15 アメリカの料理

 今回はアメリカ滞在時の料理についてです。この記事は、あくまで個人の感想で、”独断と偏見が多め”の記事になっています。それから、これは20年以上の前のアメリカ(カリフォルニア州)限定のお話です。今は改善されていることを期待しています。  最初から辛辣な感想を書きますが、とにかくアメリカの料理は不味いです。このアメリカ料理には、和食・中華・イタリアン・フレンチなどのレストランは除きます。ここでのアメリカ料理は、カフェやその他のレストランでの料理です。アメリカ料理の味のカテゴリ

バークレーの思い出#13 日本食レストラン『KIRALA』

 アメリカのカリフォルニア州バークレーに滞在中に住んでいたアパートの近くに、KIRALA(きらら)という日本食レストランがありました。私がバークレーにいたのは四半世紀前なのですが、調べてみるとまだ店が続いているようでした。  当時、お寿司(カリフォルニア巻き)やお弁当などの日本食をテイクアウトできる店はいくつかありましたが、本格的な日本食レストランはココだけだと記憶しています。KIRALAは通学路の途中にあるので、店の前は何度も通りましたが、KIRALAに入ったのは、渡米後

バークレーの思い出#11 バークレーのスターバックス

 少し前の話ですが、「スタバは無いけど砂場はある」と言った鳥取県知事のコメントが話題になったことがありました。それだけ、現在の日本にはスタバ(スターバックス)は、おなじみです。しかし、私がアメリカにいた頃、まだ日本には1件もスタバはありませんでした。  バークレーに住んでいた頃、ほとんど外食をしなかったので、喫茶店やコーヒーショップに入ることはありませんでした。しかし、知人の日本人から、美味しいコーヒー屋さんがあることを聞いていました。その人の話では、コーヒーが苦手なのに、

バークレーの思い出#8 ホーム・アローンのお爺さん

 『ホーム・アローン』(Home Alone)は、1990年公開のアメリカのコメディ映画です。制作当時10歳だったマコーレー・カルキン君は、この作品で一躍有名になりました。テレビでも何度も放映されたので、見たこともある人は多いでしょう。  シカゴに住む裕福な家庭で、子沢山のマカリスター家は、クリスマス休暇を利用して家族総出のパリ旅行に出発します。しかし、主人公のケビン少年だけは、一人だけ家に取り残されてしまいます。そこへ泥棒が・・・と言うストリーです。このメインのストーリー

バークレーの思い出#2 シャトルバス

 UCバークレー(CAL)での思い出で忘れられないのは、シャトルバスです。CALの大学キャンパスはバークレーの町中にありますが、研究所(LBNL) は急傾斜の丘の上にあります。シャトルバスはキャンパスの外側をぐるりと回るコースと、丘の上の研究所に向かう経路があります。最先端の研究をしている大学院生は、LBNLに所属している人が多いので、シャトルバスを良く利用します。私もちょくちょく利用していました。  タイトル図のように、現在のシャトルバスは一般的な大型バスの大きさですが、

バークレーの思い出#1 CALの概要

 記憶が薄れかけてきたので、備忘録として、20年以上前に訪問研究員として滞在していたカリフォルニア州バークレーでの思い出を書こうと思います。バークレーはサンフランシスコの対岸にある、比較的小規模な大学街です。  カリフォルニア大学バークレー校 (University of California, Berkeley) は、カリフォルニア大学の発祥校であり、10大学からなるカリフォルニア大学システムの中で最も古い歴史を持つ大学です。英語の略称はUCBですが、カリフォルニア大学本