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バークレーの思い出

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備忘録として、1年間バークレーに住んでいた時の思い出を語ります。
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#サンフランシスコ

バークレーの思い出#25 Muir Woods

サンフランシスコの北に広がる素晴らしい森であるミュア・ウッズ(Muir Woods) は、1908年にセオドア・ルーズベルト大統領によって国定公園に指定されました。この名称は、偉大なナチュラリストであるジョン・ミュアに敬意を表したものです。彼はこの公園について、「世界中の森林の中でも、樹木愛好家にとって最高のモニュメントだ」と評しています。 ミュア・ウッズは、ゴールデンゲートブリッジを渡り北へ少し進んだ場所にあります。ここには静寂なレッドウッドの森林が広がっています。

バークレーの思い出#23 太鼓道場

バークレーに住んでいた頃、時々サンフランシスコにも行っていました。サンフランシスコには日本人町(ジャパンタウン)があって、日本食レストランや紀伊国屋などがありました。 買い物や観光でサンフランシスコに行ったのは数回程度でしたが、そのたびに”太鼓道場”のパフォーマンスに遭遇しました。正式名称は San Francisco Taiko Dojo で、日系人を中心に太鼓の演奏活動を行なっています。私が見たのは、アダルトの本格的な演奏ではなく、ヤングによるデモンストレーション演奏で

バークレーの思い出#21 サンフランシスコのストリートパフォーマー

バークレーに住んでいた時、対岸の観光都市・サンフランシスコには何度か訪れました。その大半は、サンフランシスコ市内にある病院に行くためではあったのですが、観光やショッピングで行くこともありました。サンフランシスコと言えば、フィッシャーマンズワーフなどの観光名所が有名ですが、私たち家族もケーブルカーに乗って行ったことがありました。 フィッシャーマンズワーフに行ったのは四半世紀前の話ですが、当時から賑やかな観光地でした。観光客が集まるので、ストリートパフォーマーも集まります。大道

バークレーの思い出#20 特大の雹が降って来た

今日(2023年2月25日)のお昼過ぎ、自宅付近で雹が降りました。外で激しい雨音がしたので、急な土砂降りかと思って外を見ると、雹が降っていました。ベランダにも、雹の氷の粒が落ちていました。氷の粒の大きさは2-3ミリくらいでさほど大きくありませんでが、それでも大きな音で数分間ほど降り続きました。 雹で思い出すのがバークレーです。その日は、家にいたのでたぶん週末だったと思います。バークレーは、海を挟んでサンフランシスコの対岸に位置しています。サンフランシスコ沖には寒流が流れてい

バークレーの思い出#19 差別について

ネットの記事で様々な差別に関する記事を目にすると、モヤモヤとした感情が沸き上がってきます。大上段に正義感を振りかざして、「差別は絶対にダメだ」と言っているのではありません。大変残念なことですが、世の中には様々な差別が存在しています。私が1年間住んでいたアメリカでは、未だにアフリカ系アメリカ人やアジア系アメリカ人に対する差別があります。また、性的マイノリティに対する差別もあります。差別問題の難しさは、”差別の定義”の難しさにも起因しています。Wikipediaには、差別の定義に

バークレーの思い出#14 サンフランシスコのお医者さん Dr. Lee

 バークレーにいた1年間、幸いにも私は一回も医者のお世話にはなりませんでしたが、妻や娘は何度もお世話になりました。バークレー滞在中の家族のかかりつけ医が、サンフランシスコのドクター・リー(Dr. Lee)でした。  ドクター・リーは、日本で生まれ育った中国人で、アメリカの大学を卒業して、アメリカで医師免許を取得したと話していました。なので、日本語と英語はペラペラです。また、独学でスペイン語もマスターしていたので、患者には中国人、日本人、中南米の人たちがいました。この病院に行