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バークレーの思い出

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備忘録として、1年間バークレーに住んでいた時の思い出を語ります。
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2021年11月の記事一覧

バークレーの思い出#12 弱者に優しい街・バークレー

 バークレーは弱者に優しい街でした。街には、多くのホームレスがいましたが、表立って排除されたり、手荒に扱われているところを見たことがありません。スーパーマーケットや本屋などの人の出入りが多い店には、決まってホームレスがいました。常連客とは顔なじみのようで、お互いに挨拶を交わしていたりするのをよく見ました。  ホームレスの目的は、商品を買った後のお釣りの小銭をもらうことです。決まり文句は、「Donation, please.」です。直訳すると、「寄付して下さい」となります。ホ

バークレーの思い出#11 バークレーのスターバックス

 少し前の話ですが、「スタバは無いけど砂場はある」と言った鳥取県知事のコメントが話題になったことがありました。それだけ、現在の日本にはスタバ(スターバックス)は、おなじみです。しかし、私がアメリカにいた頃、まだ日本には1件もスタバはありませんでした。  バークレーに住んでいた頃、ほとんど外食をしなかったので、喫茶店やコーヒーショップに入ることはありませんでした。しかし、知人の日本人から、美味しいコーヒー屋さんがあることを聞いていました。その人の話では、コーヒーが苦手なのに、

バークレーの思い出#10 バークレーボウル

 バークレーでは、スチュワート通りに面した集合住宅に住んでいました。集合住宅と言っても、アパートではなく、平屋の長屋みたいな家が数棟あって、やり手の大家さん(奥さんの方)が管理していました。大家さんは日系アメリカ人でしたが、大家さんの奥さんは日本人でした。大家さんの住居を含めて、4-5棟ぐらいありましたが、すべて日本からの研究者や留学生が住んでいました。  UCバークレーは人気があるので、不動産市場は売り手市場です。日本からも引っ切り無しに研究者や留学生がやってくるので、借