意地悪なスポーツ

 まず、題名から意味不明ですよね。この記事の着想は「RANGE(レンジ)知識の「幅」が最強の武器になる」という得ていますので、興味のある方は読んでみてください。

意地悪なスポーツって?

 意地悪なスポーツは何のことかというと、サッカーなどの変数の多いスポーツのことです。これは相手が違えば、グランド状況も違えば、人数も多ければ、なかなかプレーが中断されなければ、いきなり始まったりもすれば・・・大変ですよね

 反対の言葉は「親切なスポーツ」です。これはゴルフなどに代表される、変数少なめのスポーツです。ゴルフはコースが決まっていますし、誰かに邪魔されることもありません。ゴルフをやってられる方々に怒られてしまうかもしれませんが、それでも変数は少なめでしょう。


人生は極悪なスポーツだ

 人生は、それこそ変数だらけなので、「極悪」といっても過言ではでしょう。生まれ持った遺伝、両親、生まれた場所、時代、流行・・・もうすべてを考えるのは不可能です。
 しかもまた、厄介なのが、一つの変数をいじると、他の変数も変化してしまうということ。(これはスポーツでも一緒ですが)
 例えば、子ども時代に両親という変数をいじる(亡くなってしまう)と、場合よっては引っ越して、場所が変わるかもしれません。その結果、学校の友人関係なども変わります。さらに自分の人生観などに影響を及ぼすかもしれません。とにかく複雑なのです。


責任を負わないコメンテーター

 よく、テレビのコメンテーターや親、そのほか友人たちが「ほら言わんこっちゃない」ばりのことを言います。
 そこで、僕はいつも思うのです。

「おまえら、絶対予測できてなかっただろう。嘘言うな」
「てか、おまえらわかってんなら、初めっから全力で止めろよ。」
「未来がわかってんなら、占いでも、投資でもして、稼げばいいじゃん」

 この後から「やっぱりわかってました」的なことを、心理学の用語で説明すると、「後知恵バイアス」とか「結果バイアス」といいます。

 僕は、コメンテーター的な発言をする人を嫌悪する理由を二つあると考えます。

①責任もなければ、関係ない奴が出しゃばるな!
②その「わかってました」的な態度は叩くのは、「極悪」を通り越して「超極悪」


意地悪な世界で優しさを

 意地悪な世界では、物事を予測するのは難しいし、ミスをするのが当たり前です。サッカーもミスのスポーツと呼ばれるくらいで、プロの選手でも何でもないミスをすることがあります。
 だからこそ大事なのは、仲間がミスをしたときに、周りが全力を助けてあげることです。もちろん、ミスした本人が頑張るのは当たり前ですが、何よりも仲間が温かい声をかけてあげることが必要です。

 意地悪な世界で、罵詈雑言ではなく、思いやりのある言葉が溢れることを願っております。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?