苦労人ユーモア 1

ストレスが高く、もはやくだらないことを欲するエッセイ・・・

学びの寿司屋 その1

ここでは、お寿司屋さんを学習の場、いわば、人生塾として取り扱ってみたいと思います。目線は準常連客、と、します(・・・)。

お店ののれんをくぐり、来店。「◯◯さん、いらっしゃい!」店のサブマネ(主人の下)が、景気よくお店に招き入れてくれ「◯◯さん、どうぞ、どうぞ、こちらへ」と、用意される席。Theカウンターポジション。ここにおいて、当日メンバーの中、彼がヒエラルキーのどこに位置するか?を、定義づけられる(位置づけ)。そして、彼はそれに準じ犯すことのできぬ不文律(ふぶんりつ)にもとづき振るまうことがその日求められる–。*但し、それはカウンター限定での開催(仲間同士の宴会は小部屋で開催されます)。

まあ、こういったお寿司屋さんではなく、「お好きな席へ」とやさしさにも見える案内、あるいは「(どうでもいいので)どこにでもどうぞ(え?)」という放任主義のお寿司屋さんもある。それはそれでそのお寿司屋さんのスタイルなのでよしだし、愛おしいものの、本稿にそえば、それはすでにクオリティーの高いお寿司屋さんを放棄(ほうき)している、と、言えなくもなく(どっちだ?)、その方向性をぐーんと極めたのが、グルグルと寿司が回るお寿司屋さん(ま、飛躍はすぎる・・)。

そこではお寿司だけではなく、うどん、ラーメン、カツ丼、天丼・・どころかパフェなどのスゥィーツまでがメニューとして用意され、客はタッチパネルでそれを注文。さらにその注文による料金割引ビンゴゲーム等を取り込んでもいる場合もあり、ある意味、いや、完全に、お寿司屋さんを超越(ちょうえつ)している。お寿司屋さんへの諦観(ていかん)が生んだミラクル−(・・・)。

それを歌舞伎を例にとれば、つまりはスーパー歌舞伎だろう。歌舞伎そのものの伝統芸の高低を「よいしょ」と、棚に置き、客の上を飛んだり、極彩色のライティングを会場に走らせたり等々、歌舞伎に一線を引き、別次元へと移行するミラクル(・・・)。つまり、グルグル寿司屋さんは、お寿司屋さんふうを装うことでお寿司屋さんをやめるという矛盾(むじゅん)の経営をしているとも言える(言えなくもない。いや、本稿主旨に従えば、言えるとするしかない・・)。

お寿司屋さんを人生塾としてとらえる試み、ひとまずその1を終え、その2へと続きます。ご精読ありがとうございました!

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