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雑感(ハシケンの卒業と海に浮かぶごみ)

ハシモトケンゴの卒業ライブが催され、素晴らしい一日のなかで彼を無事送り出すことができた。
ランチブレイクは彼を含め6人の音楽家がいて、6人分の感情や思いを持ちよって1時間に満たないステージのうえで演奏をした。
ひとりひとりの思いは音を聞けばわかるし、自分の気持ちも音にのっけた。音で話す時間は楽しい。音楽の最も素晴らしいところのひとつだと思う。

寂しさ。
学生のころから、途切れ途切れながらもし続けてきた、ハシケンとのそういった会話がいったん終わってしまうことは、やっぱり寂しい。もう一度はじめることがすごく難しいことも知っているのでなおさら。

楽しさ。
演奏は楽しい。何度もやってる曲でもみんなの気持ちが特別だから、満月みたいに大きく光る(書いてる今日は満月)。みんなよかったよ。

尊敬と感謝。
全員がもっていた感情だった。他メンバーも綴っていたけど、みんなが彼の音楽的知識や技術や勤勉さを尊敬して信頼し、あの日はそれらが大きな感謝に変身した。
大きな穴をこれからすみれは埋める。おれたちも一緒にスコップもって働くから大丈夫!

悔しさ?
ハシケンがいる間に、バンドとしての成功をさせられなかったことは悔しいし残念だし恥ずかしいし…といった感じの難しい感情になる。ハシケンに卒業の話を持ちかけられた時からずっと存在して、ライブ当日持ちこんだ感情の中でもひときわ巨大だった。これがあるから晴れやかな日なのに、なんか喜べなかったりするんだろうな、とか思ったりしていた。

…などといったことを、演奏しながら自分は音にしたし、似たようなものや違ったものを他のみんなから受け取り、何%かわからないけども、お客さんにも伝わったと思う!だから音楽は素晴らしい。


先日、フェリーの船窓から海を眺めた。
空は晴れ、凪いでツルツルになった海に、白いプラ容器と思われるごみがひとつ。
フェリーの速度でごみは遠のいて、やがて見えなくなった。

広い海の上に浮かぶ孤独なごみ。
ごみとも認識されずにそのうち高波にのまれて沈むのかな、とか
どこかに流れ着いて、誰かに拾われて意外と大事にされたりするのかな、とか
見ず知らずのごみの未来を想像した。

ハシケンの弾いてくれた数々のベースライン、それらとともにある自分たちの音楽は、いま大きな海に、かなり悪い喩えだけども、あのごみのように浮かんでいる。
行き交う船窓から見つけてくれる人もいる。(本当にありがとう!)
ハシケンから卒業した自分たち5人が演奏を止めれば、すぐにでも沈んでしまうことは自明だから、もう少し頑張ってみる。
頑張ってみた結果、ハシケンのプレイがひとりでも多くの耳に届いたらとっても嬉しいし、道を分かつ自分のひとつの使命なんだ、と書きながら思った。


…普段無口な分、書くと長くなってしまってお恥ずかしい。
節目なので、忘れないように。

とにかく2024年4月21日は素敵な日だった!
一緒に過ごしたお客さん、MeoW、The Submarine、喃語、ランチブレイク、ありがとうございました。


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