寄付おじさん
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寄付おじさん

田中 ひではる

 これは2014年秋の出来事。
当事運営していた就労支援事業の取り組みを、HiBiSインターネットビジネスフォーラム2014という大勢の場で話す機会があった。当時は"がむしゃら"という言葉以外当てはまらないくらい、自分の事業をアピール出来る場があるならばどこへでも行っていた。
 
 そのために作った資料とチラシを聴衆に配るため、キンコーズという印刷屋に寄った時その人に出会った。(ちょっと良い紙で印刷したかった)
 初めて行ったキンコーズで僕が不慣れのためまごまごしていると後ろから「大丈夫?」と声をかけられ、「すみません!」などとやり取りしてると、「あんた何をしよる人ね?」と聞かれ、障害福祉サービスを運営していると答えると、今度見学させてほしいとのことだった。
 その人は阿蘇哲弘(あそてつひろ)と名乗った。

 すると1週間後、本当に見学に来た。
そして一通り見た後、「あんたに寄付したい、どのくらいあったらあんたの理想の施設が作れるのか?」と言われ驚いた。
 考えたことがないのでその場でいくらとも返答が出来ないでいると、後日事業計画を持ってきてほしい、ということでその日は終わった。

 世の中には本当のお金持ちがいて、頑張ってる人に寄付をしたいという人がいるとテレビの中で見たことはある。怪しい感じはしながらも今のとこ騙されてはいないと思ったし、事業計画を作って見せるくらいなんてことない。なんていったって"がむしゃら"なのだから。

 言われた通りすぐに事業計画を作り見せに行くと「もっと良いものが作れるはず、お金の判断基準を外して考えてみよう」と言われ、これは本当の富豪かも、と思い始めた。
 そしてすぐにまた作り直して、総額6億くらいの事業計画を持っていった。すると「これはお金をかけ過ぎだ!」と言われ、あ、これはやり過ぎなんだ。と反省した。
阿蘇さんと会ったのはこれが最後だった。

 また事業計画を練り直し連絡すると、「郵送しといて!」と言われ郵送するが返事がない。このまま音信不通となった。

 当時、当施設を必要としてくださる方が順調に増えてきていて、施設が手狭になってきたいた。そこで広めのテナントに引っ越そうと考えていた時にあったこの話。
 
 阿蘇さんとは音信不通になったけど、その事業計画を見ていると捨てるのが惜しい気持ちになる。
「こんなものを作ったらみんな喜ぶはず!」
そんな空想を広げていると寄付という形じゃなく、銀行からの融資でなんとかならないか?と考え始めた。

 いくつかの銀行にあたってみると一つの銀行が手を上げてくれて、今の五日市のファニーが出来た。その2年後に利松のひといきが出来た。
両方とも"寄付おじさん"から始まった空想だったけど実現した。当事はこの人に会ってなければ自社物件で事業を行うことは考えてなかった。

 いろんなことが出来事が重なって出来た産物で、とにかく行動し続けていたのが良かったのだと思う。
寄付おじさんはふっと現れ風のように去っていったけどとても感謝している。

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田中 ひではる
【これから一緒に働く人、今一緒に働いている人】に向けての日記 1983年生まれ 株式会社障がい者ライフサポート 代表 広島市佐伯区で障害福祉サービス事業を経営 会社HP https://funny.hiroshima.jp/