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むいしきのむし

先日、息子が公園で友達の自転車を貸してもらったら、
あっという間に乗れるようになってしまったので、自転車を買ってあげました。

もともとストライダーに乗っていたので、補助輪すっ飛ばして普通自転車。
わたしは昔ずーっと補助輪つけてたのですけれど、ストライダー凄い。

んでも、買ったあとちょっと天候が悪かったりして乗らないまま、数日が経ってしまったので、ある朝
「明日の朝、保育園行く準備終わったら家出る時間まで、パパが見ててやるから家の前で自転車乗る?」
と息子君に提案。すると、
息「乗る~!」

わたしは考えなしというか空気が読めないというか、これを言ったのが保育園に行く為に家を出る直前の時間帯。

急に自転車というデカいものを頭に入れられた息子君、他のことがすっ飛んで、明日の朝とか関係なく自転車を出して家の前で乗り始めてしまいます。

妻「なんでこのタイミングでそれ言うのよー・・・」(ヒソヒソ)
「あー・・・そうかー。そうだよなー。」

二人で「明日でしょー」とか「もう時間ないから今日はダメ」とか言ったら、思ってたより長引かず素直に自転車から降りる息子君。
が、自転車の重さに慣れていないので、なかなか車庫(車の脇)に入れられず、モタモタ・・・

早く出発しないと遅刻してしまうので、少しイライラしてきて
「パパがしまっておくから、いいよ」

と自転車をヒョイと持ち上げたら、何かワーッて言われてたのだけど、
「いいからいいから・・・急いでいるからね・・・」
とか思いながらスルーして自転車をしまう。

そしたら息子君結構な勢いで泣き出す・・・。
「えっ、そんなに泣く事なの?どしたの?」
妻「自転車の場所!場所!そっちじゃなくてこっち!」
「え?あ、そんな細かい指摘?」
慌てて修正すると、今度は
息「こっち向きで!!」(泣きながら)


えー、解説すると、、、

車庫に向かって左側には、ストライダーが立てかけてあります。
向かって右側の奥には、使わなくなったベビーカーが畳んで放置されています。そして真ん中に車が置いてあります。

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右側の方がスペースが広く、奥まで入れられるので、わたしは右側に自転車をしまいました。前をベビーカーの方へ向けて。
けれど、息子君は二輪車でグルーピングしたかったらしく左側、加えて前を外に向けておきたかったのです。
「こっちの方がすぐ出られるでしょ」(後日談)

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「これでいいのか?すごいこだわりだなぁ」
妻「最初から言ってたじゃん!ちゃんと聞いてあげてよ。」
「え?そうなの?全く聞こえてなかった。」
妻「うわぁ、出た~」

見ると、怒ってぐずりながら目を合わせてくれない息子君。
「あー・・・。ごめんな。」

その後、三人で保育園へ向かう途中、
「しっかし、随分細かいところで、、泣くほどとは・・・」
妻「何言ってんの、まんまあんたじゃん。」
「まぁ・・・、わかる。息子君、ごめん。おれ最初全然話聞いてなかった。」
プイッ

そこでふと、
「あっ!これおれが自分自身にいつもやってたやつだわ!」
妻「(また面倒臭いの始まった・・・)」←心の声

今まで、色んな局面で
「こっち!!こっち!!」
って心が叫んでいるのに、
「急いでいるから・・・」
「これがルールだから・・・」
「こうしないとアレがアレだから・・・」
とぶつぶつ言いながら無視していて、叫んでいる内容自体も全く聞いていない。

全く聞いていないことに妻がドン引きしていましたが、どうも息子君はわたしが自転車を持ち上げた時に、こっちにおいて欲しい、とか色々言っていたらしいのです。

けれど、

「そういうのいいから急がなきゃ・・・」
と、何かシャッターが閉まってしまったような感覚で、本当にただのノイズとしてスルーしていて、後から指摘されて何かワーッって言われてたかも、くらいにしか覚えていないのです。恐ろしい・・・。

と同時に、これはいつもわたしが母にされていた事でもあることを思い出しました。
何かを訴えても「所詮子供が言うこと」として相手にしてもらえない為、反抗しても怒ってもつらいだけ、と早々に諦めてしまいました。だから、そんなに抑圧していたとも思われていないだろうし、自分自身抑圧されていたとも思わなくなっていました。

あんまり書いたことはなかったけれど、敢えて母エピソードを一つ。

多分5、6歳だった頃、マンションの7階に住んでいて、
母と出先から帰ってきた時に、エレベータの中で会ったか何かで、6階の住人の玄関口で母のおしゃべりが始まったんです。
わたしは黙ってそのおしゃべりが終わるのをじっと横に立って待っていたんですが、トイレに行きたくなって
「お母さま、おしっこ行きたい」
と訴えたのですが
「ちょっと待ってなさい!」
を少なくとも3回は繰り返され、なかなか終わらない。
やっとおしゃべりが終わってエレベータに乗り、7階の玄関ドアを開けようとしているところで漏らして、泣いてしまう。
さすがにその時、母はごめんと言っていたけれど、今でもはっきり覚えているわたしの気持ちが、
母を責める思いが全くなく、怒られずにごめんと言われて良かった、
でした。
6階でトイレを借りたり、すぐに7階の自宅に戻ったら解決したものを・・・
その時履いていたズボンの見た目、質感まで鮮明に記憶に残っています。

ここで、わたしが母を責める気持ちが全くないことがヤバい、ってことに気が付かずに数十年経っているのもヤバい。
わたしの特性もあって、母を否定しないことがさらにその関係性を強固にしていました。(姉は普通に反抗していたらしい)
確かに、何の反応もなければ自分が抑圧しているかどうかわからない。

わたし自身が自分の事を抑圧するのが当たり前だった。今は随分と自由にやっているつもりだけれど、自分の息子にも自然にそれが出てしまうことがある。
息子君の声が聞こえなくなってた時、ちょっとイライラしていて、自分が決して聞き入れられることのなかった事、良くある子供のアレ、みたいなのをカットして
はい!次のシーン!
って、強引に進めたくなっているな、って思いました。
なんだろう、やっぱり拗ねているというか・・・。文字には出来ないけれどそういう時の気持ち、覚えておいて反応出来るようにしたい。

・・・・・・

保育園に近づいてきたあたりで、
「ねぇ、まだ怒ってる?」
プイッ

でも、プイッした顔を覗くと、ちょっとニヤニヤしている。

保育園に着いた時には、ニッコリと
「じゃあね~」
と言ってくれました。
彼は何でも短時間で切り替わります。「今」を生きているんですね。素晴らしい。

どんどん親バカになるな・・・。

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