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一日に食べる回数

興味がある方面の情報って、当然たくさん入ってくるのですけれど、最近凄く頷いてしまうのが、一日三食をやめなさい、ってやつ。

わたしはこれに関しては、そういう情報を見るようになってから実践するようになったのではなく、たまたま実践してから良く目にするようになった、というパターンです。


一日三食が子供の頃から全くからだに合わなくて、ずっと辛かったのです。
朝が弱いってのもありますが、基本的に朝は気持ちが悪くて食べるどころではありませんでした。(歳を重ねてかなりましになりましたが)
今でも覚えているのですが、朝無理矢理に起きて、「あ~気持ちわりぃ」と思いながら、強制されるので食卓に座る。すると、父が眠そうな顔をしながら昨晩の残りのおかずをもっくもっくとご飯茶碗を片手に平らげているの見て、吐き気がしたことがあります。
それでも、親や学校、一般的に出回っている情報では
「一日三食!一日三食!それが出来ないヤツはダメなヤツだ!w」
であり、優等生だった(意識がw)わたしはプライドというか、教えに従いやり抜く、というクセがついていた為、何かしら食べられるものを探してとにかく胃に入れる、ということを繰り返してきました。

それは大人になってからも同様で、常に「これなら朝でも食べられそうだ。」と思うものを見つけては、それを常備して毎朝食べる。
とにかく朝食を食べることが大事なことになっていました。
「辛いけど、これははずしちゃいけないことなんだ。」という強固な意志のもと・・・。
若い時は、とある菓子パンだったり、30代になると、どっかで聞いてきた「生卵に酢を入れて飲む」というのを結構な期間、朝の習慣にしていたりしました。

また、昼もそれに近く、食べるとしても少しで良い、もしくは食べなくて良い、というのがからだの声。
そもそもしっかり食べると強烈な眠気に襲われるので、それに耐える方が辛い。
とはいえ、こちらはわたし的には朝ほどの強制力を感じておらず(給食は食べさせられましたが)、社会人になってからも特に食べずに仕事を続けていたり、おにぎり一個だけ食べてあと全部昼寝したりしていました。
ただ、やはりそれでも、周囲からは「え?何で食べないの?」と言われたり、付き合いで外食に出かけさせられたり、交際相手がお弁当を作ってくれたりするので、
「一日三食!一日三食!それが出来ないヤツはダメなヤツだ!w」
(↑そこまで言われてないのにw)
という気がしてきて、会社勤め6年くらいあたりで、人並みに昼食を摂る習慣がついてきました。
というか、からだを慣らして無理矢理そのリズムに乗せるコツを掴んできた、という感覚があります。
常に、食べないことに対する背徳感があったのです。

そして数年前の、会社勤めを辞めて、無視し続けていた色々な疑問に立ち向かうことにしてあたふたするようになった頃、通っていた整体の先生が何かの話の流れで
「一日三回食べるとか、食べる時間とか、そんなの決まってないからねぇ」
とさらっと言っていたのを、その時は何となく聞いていたのですが、その後どうもその言葉が頭の中に残っていて、そのうち
「一日三食!一日三食!それが出来ないヤツはダメなヤツだ!w」
の呪縛がパーン!と崩れ去りました。

そういう作業を他でもやっていたので流れもあったのですが、自分のしたいようにすることに対する背徳感が抜けました。
ココ、ちゃんと”耳を澄ませて”したいようにするのが大事。なんかうまく表現出来ないのですが、ストレスを伴って出てきた欲求を”したいようにする”と思ってしまうことがあるのですが、それは違います。極端な例で言うとヤケ酒みたいな、ああいうのは他にしたいようにすることが出来ていないから出てくるやーつ。
そうではなく、ニュートラルにからだが求めていることに耳を傾ける。

まぁ、からだに100%応えられているかはわかりませんが、それで出てきたわたしのリズムは・・・

朝食⇒なし。
昼食⇒あったりなかったり気分。
夕食⇒普通に好きなだけ食べる。
と、一日一食ないし二食。
んで、これはわたしの場合ですけれど、これで夕食の量が増えた、ってこともなく、空腹を我慢するワケでもなく、ただただ食べたくなってきたら食べる。
一点、家族がいて、ほとんどのご飯係がわたしなので、ホントだったら夕食はもうちょい早めに食べたいところ、夜に合わせてしまっているかも・・・。まぁそこはだいたいご飯作りながら何かしらつまんでたりしてます。

んで、当然ですがそんな生活を続けていたら、

めちゃめちゃお腹が引っ込んだ

まぁ、全体の食べる量が減っているので別にフツーですね。会社員辞めて、家に居ながらそれまで無理矢理染み付けたリズム(一日三食)で約一年過ごしていたらみるみる太っていってたところ、何の苦労もなく(というかむしろ苦労が減ったw)元に戻りました。
ここでホントは、体重が何キロから何キロになった、とか数字で表現するべきなんでしょうが、なんかもう平均体重とかそういった基準ありきの数字が馬鹿馬鹿しくてなんも見てません。
鏡をみて、

なんかプニプニしててやばい見た目だなー
が、
あ、フツーになった(からだも軽い実感がある)
で捉えて終了です。

ただの一人のおっさんの話なので、これが全く当てはまらない人はたくさんいるだろうし、この手の良い悪いの話にそれこそ正解なんてないと思っているので、「これが健康法です!」なんて言うつもりは全くないのですが、一つめずらしく自信を持って断言したい事実は

みんなそれぞれ色んなとこが違う

です。

ちなみに、わたしの家系はみんな食べる量が多くて、その中で妙に小食なわたしは常に親から「もっと食べろ!」と強要されており、多少なりとも親を躱す術を身に着けるまで=小学校高学年くらいまでの間、太っていました。

今思えば、育ち盛りの子供はもっともっと食べなさい!って見た目太っていっているのに、さらに食べさせようとするのって、控えめに言って狂っています。育ち盛るタイミングだってみんな違います。
近しいことをわたしがわたし自身に行っていたことなのですが。

生態としてではなく、個体として自ら不必要に太っていく、太らせる生き物なんて他にいるのでしょうか。知らないけど。

だから、平均体重とか馬鹿馬鹿しい。
正確には、平均体重の見方がおかしい。みんな違う個体を集めて作った平均をもし見た時は、それに対する自分の位置を見て、ふーん、で終わりです。
平均に収まっていないから痩せなきゃ、太らなきゃ、は狂っています。
自分自身の通常を感覚で把握して、そこから逸脱しているかどうかをからだの声を聴きながら労わる。
それって難しいから数字で、、、て言う人がいるのでしょうけど、数字のみで見るものだ、と教え込まれればそりゃあ難しいです。

冒頭で書いたように、
興味がある方面の情報ってたくさん入ってくる
のです。

数字で判断しなきゃ、とか、テレビが言っているから、で判断するのが正義だと思っていると、それ以外のアンテナは死にます。

先日、普段眠くなるようなタイミングではない日中に、ふとからだが「寝たい」と感じて、しかもそれほど眠いワケではないのですが何か本調子ではないというか嫌な予感がしたので、寝ました。すると90分程時間を取っていたところ、60分程で目が覚め、すっきり爽快ってこともなかったのですが、その本調子ではない嫌な予感、というのがすっかり抜けてその後何事もなく仕事をして、快調を継続しています。あの時、「寝たい」を無視していたら、何かしら不調と思われる状態になったのではないか、と確信しています。
まぁ、これは先程の断言とは違い、わたしの妄想としておきますがww

ホントにちゃんとからだの声を聴けているかは自分のみが知る、ですが、なんか外から半ば強制的に入ってくるクソみたいな情報は全無視して、自分で大事にするべきものを決め、そこに興味を合わせているとだんだんとアンテナの精度が増してくる実感があります。
これに妄想という前置きをつけなくてもフツー、な世の中になってくると、色んな事が楽しくなってくると思っています。

西洋医学批判の情報で良く目にする、
血圧の正常値をいじることで、高血圧の患者を増やしている(=業界が儲かるw)
ってのがありますが、これもわたしがそっちにアンテナを張っちゃってるから、逆説的に入ってくる情報なのでしょう。
こんな事実ない方が絶対楽しいですよね。あらゆる健康数字がそんなんです。

ただ、、、
上の息子が来年度から小学校で、事前の学校説明会で配られた資料に
「朝は早く起きて、朝食をしっかり食べましょう!朝食を食べないと〇〇が××で・・・色んな良くない影響があります!」
といった内容でわざわざA4用紙1枚使っていたりすると、ついボルテージが上がってしまいます。

今のところ黙っていますが、モンペ予備軍な自分にドッキドキです。

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