見出し画像

「念のため」資料に価値は無い

はじめに

以下のような記事が会社の中で話題になっておりました。

上司「何かの参考になるかもしれないので、この会議に出席しておいてくれない?」
ジャック「なぜですか? 私が必要なら出ますが」
上司「あっ、いや、必要というわけでは……」
ジャック「じゃ、仕事します」
上司「うぐぐぐ……」

「あった方がいい病」が組織の生産性を低下させる | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース https://toyokeizai.net/articles/-/667756

〇参考になるかもしれないので会議に参加させておいた方がいい。
〇勉強になるかもしれないので彼も同席させておいた方がいい。
〇不満が出ないように全員の意見を聞いておいた方がいい。
〇万一のときのために、この資料も用意しておいた方がいい。
〇メールを打ったが、念のために電話で確認しておいた方がいい。
〇この機能は便利だから付けておいた方がいい。

「あった方がいい病」が組織の生産性を低下させる | リーダーシップ・教養・資格・スキル | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース https://toyokeizai.net/articles/-/667756

この記事では「あった方がいい病」と表現されておりますが、この「○○かもしれない」「念のため/万一のため」というような言い方をされることが非常に多いというのです。

今回はこの点について考えていきます。

パワポ1枚上の「9面グラフ」

次にカルビーの記事を紹介します。

2009年にカルビーの会長兼CEOになったとき、社内資料の多さにびっくりしました。売り上げデータ、在庫データ、エリア別データ、商品別データなど社内の帳票は実に1100以上あった。1100枚ではなく、1100種類ですよ。「すべての資料に目を通したら不眠不休で4日かかる」と笑えない“社内伝説”もあったほどでした。
各種データはグラフ化され、会議資料はパワーポイント一面に9つのグラフを載せた通称「9面グラフ」が基本でした。グラフが9つもあると、どこがポイントなのかひと目ではわからない。しかもそのことに疑問を持たない資料病、データ病が蔓延していました。
そのような状況を見て、就任早々に訴えたのが「ノーミーティング、ノーメモ」。つまり会議不要、資料不要という意味です。それまでとは180度の転換ですが、戸惑う社員に「資料は1円も生まない」と繰り返しました。11年には経営指標の健全化を目指すプロジェクトをスタートさせ、「経営指標はA4・1枚」にまとめました。会議資料も基本は同じで、そこにない情報は、口頭で説明され、出席者は頭の中に入れる。頭に残らないのは、ろくでもない情報だから忘れていいんです。

なぜ、カルビーは「会議不要、資料不要」なのか | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン) https://president.jp/articles/-/20187?

これこそまさに「あった方がよい病」の極みと感じました。わざわざ「1枚のパワポ上に9面グラフ」を作り、特に会長が目を通す資料となれば、たった1枚の資料に想像を絶する時間と人数をかけていることが想像されます。そのうえ、その資料は読まれないかもしれないのです。つまり、せっかく

膨大な時間をかけてその資料を作っても何も事業に貢献していない

のと同じなのです。これでは担当者のモチベーションもわきません。また、一番怖いのはこのような状態に疑問を持たず、また作成を止めるように言うと戸惑いを覚えるという点です。これは長い間の習慣ということもあるでしょう。

とはいえ、この記事自体は2014年ということもあり、

さすがに今はこのようなことは行われていない

と想像します…。

相手の対応を予測しないから「万が一」を考える

ここで、将棋棋士・羽生善治さんの言葉を紹介しましょう。

令和に入ってからは、AIの時代になりました。将棋の世界でも20年以上前からAIの研究がスタートしていましたが、ここに来て急速に進歩しています。将棋って、「2手目」が重要だといわれます。自分が指し、相手が指し返して、それを受けて再び自分が指す。自分が指す1手目と3手目とは異なり、2手目は相手が指します。この2手目をどれだけ予測できるかが、勝負のカギになります。2手目を読み違えると、たとえ100手先まで読んでいたとしても、すべてが無駄になってしまうこともあります。

【羽生善治】「人間とAIの発想の両方を吸収する」──短期集中連載「Climbers 2022 – 春 –」 | GOETHE https://goetheweb.jp/person/article/20220523-climbers_yoshiharu_habu

要するに、相手の対応を読み間違えると、こちらの準備はすべて無駄ということです。これは、将棋などの勝負事などに限らず、要するに相手があるすべてのことで

相手の対応を考えない限り、あれもこれもと準備するしかない

となるということを言っているのだと思います。会社の資料について言えば「その会議ではどのような議論が期待され、どのような反応が来るか」がわからないと、資料を作れと言われても、あれもこれもとなってしまい、結果的に毎回山盛りの資料になってしまうということに繋がると考えます。

おわりに ~ 「念のため」は止めるしかない

結局、この「念のため」というのを止めるには、

「止めたら何が起こるか」の反応を予測し、試してみる

しかないのです。

たとえば、上記の9面グラフを例にすると、昔は意味を持っていたグラフが今は意味を持たないというパターンもあるかもしれません。そのような場合、

止めても何も起こらないし、もしかしたら褒められるかもしれない

ということまで期待できます。もしかしたら何か起こるかもしれませんが、その時はシレっと元に戻せばよいのです。そういったトライアルも無しに、単に「ササッと作ればいいから」とか「使わないかもしれないけど(笑)」とか言い出すのは、はっきり言って何も良いことはありません。

自戒も込めて、私はこういう「念のため」を一つでもなくしていくような取り組みを今後も続けていこうと思います。皆さん頑張りましょう!

「念のため」資料に価値は無い #一枚絵図

(おわり)

課金してくれるととても嬉しいです。シェアしてもらっても嬉しいです。「いいね」も嬉しいですし、フォローも嬉しいです。要するに、どんなことでも嬉しいです。