呪いの言葉を振り払おう
昨日から突如始まった毎日note企画。
誰も楽しみにしてくれていないかもしれませんが、さすがに1日ではやめられないだろうということでなんとかお題をひねり出して2日目の記事を書き始めている。(ちなみに初日の投稿はこちら)
僕の知人や同僚に「数100日以上連続投稿!!」なんて人がいるのだけど本当に尊敬しかない。毎日続けられることはもちろんそうだけど、絶対に書くネタが思い浮かばない日もあるはず。1日中ずーっと「今日のnote何書こう?」と思っていることもあるだろうに、それでも続けられるのは本当に尊敬しかない。
そんな僕の2日目は何を書こうか迷った結果、ビジネスの世界で生きているといろいろな「呪いの言葉」が存在する。本当はそんなものは存在しないのにさも存在するかのように人々の心や気持ちに負荷をかけたり、別になくても大丈夫なのにないとダメと思われているような言葉たちだ。
そんな呪いの言葉について書いておこうと思う。
多くの人を苦しめる呪いの言葉たち
僕はHR領域と呼ばれる、人事や人材系の事業をやってきているから尚更だが働いている人であれば誰もが聞いたことがあるのであろう「市場価値」という言葉。これは呪いの言葉の代表格だと思っている。
「市場価値を高めよう」「自分の市場価値はいくらなのか知ろう」...そんな風に使われる言葉だ。
確かに働いている人であれば自分がどのくらい世の中から求められているのか、どういう価値があるのか知りたいのは当然かもしれない。でも、実は、公平な「市場価値」というものはほぼ存在しない。
仕事、つまり労働における価値の測り方でわかりやすいのはお金=年収である。市場価値というものが機能しているのであれば、あなたが市場価値を高めた、つまりスキルをあげ、実績を積み、希少な経験を手に入れたら年収は上がっていくはずである。ただ、残念ながら「転職」という市場においてはそうなっていない。
同じスキル、同じ経験であってもA社に行ったら400万円、B社に行ったら600万円ということはザラに存在する。これはなぜか?
年収というのは「業界の成長率」「ビジネスモデル(利益率)」「労働分配率」の3つの要素でほぼ上限が決まってしまうからだ。つまり、どんなに優れたスキルや能力を持っている人でも、儲かっていない産業で儲かっていない会社に行けば年収は低くなるし、どんどん伸びている業界でさらに利益率が高い業界に行けば年収は上がる。同じ業界の中でも、利益率と労働分配率が高い会社ほど年収は高くなるようになっている。
残念だけど、個人のスキルや能力は「年収」というモノサシで価値を決める上では、二の次なのである。
年収をあげるにあたっては年収が高く払える会社に行く、が正解であり、そのカラクリを知っているかどうかだけになる。もちろん年収の高い会社に受かるようなスキルを身につける、という意味はあるかもしれないけど。
逆に言えば、年収が高い人=本当に力がある、スキルがあるわけではないということなので、こんなどの会社にいるか?でほぼ決まってしまう曖昧な「市場価値」という言葉は呪いの言葉だなと思っている。
やりたいことをやろう、好きを仕事にしよう
これも代表的な呪いの言葉なのではないかと思っている。
仕事の評価はやりたいかやりたくないか、好きか嫌いかでは決まらない。やりたいかどうかではなく、やれたかどうかが評価される。仕事は常に依頼した人の「評価」があり、その積み重ねで次があるかどうか、さらに何かを任されていくのかどうかが決まってくる。
僕は社会人15年経過して、今はスタートアップの経営をやっているけど別に「やりたいこと」なんてない。HRの仕事が好きで仕事にしたのか、と言われると別にそんなこともない。
それでも事業や会社をやっていくとうっすらと「次はこういうことはやってみたいな」というものが出てくるようになってきた。それはなんでだろうと考えると、シンプルに「やれることが増えたから」だと思う。
毎日毎日やらないといけないこと、なんとかしないといけないことに真摯に向き合い、それを乗り越えるために全力で向き合ってきた結果、いつの間にかできるようになっていた。また別のミッションに向き合っていたら、それもできるようになっていた。
この繰り返しで、やらないといけないこと(must)に取り組んでいるうちに、できること(can)になり、それ増えてきてはじめて、やりたいこと(will)が出てきたのだ。
人間は自分がイメージできないこと、想像もつかないようなことを「やりたい」と思える人の方が少ないのではないかとも思う。だからやりたいことがない、好きなことが見つからない、と焦る必要は全くない。目の前のことに真摯に向き合いやっていたらそれができることに変わり、そこからやりたいことは生まれるので。
また、どんなにやってみたいと思ったこと、どんなに好きなことでも結果が出ない日々が続いたらそれをやり続けたい、好きでい続けられる人の方が少ないのではないかとも思う。
逆に、最初は関心がなかったことでもやってみて成果が出たりできるようになったら、そのことが好きになったり、もっとやってみたくなったりするものだ。
好きこそものの上手なれ、というが、これは好きなことが得意なことだったパターンでしか通用しない言葉だと思っている。
実は、「上手なことこそ好きになる」ことの方が多いかもしれない。
仕事をするにはコミュ力が必要
正直、これも呪いの言葉の一種だと思っている。
日々の仕事ではもちろん、就活でも学校生活など日常でもコミュニケーション力の大事さは伝えられ続けているし、コミュニケーション力がない人はダメな人として扱われがち。(だからコミュ障という言葉もある)
当然、仕事でも成果を上げるにはコミュ力が必要だと思われているが、実はそんなことは全くない。
正確に言うと、コミュ力はなくてもコミュニケーションが取れれば仕事は成立するし、成果を上げることもできる。
極論すれば仕事のコミュニケーションで必要なのは、以下の2つができるだけでいい。
1、相手の言っていることが正しく理解できる
2、自分の伝えたいことを伝えられる
この2つだけができれば仕事は成立するし、成果を上げることだってできる。なのに、なぜ仕事で成果を上げるには「コミュ力」が必要だ、コミュ力は絶対的に大事だ、と言われているのか。
それは「コミュ力」という非常に漠然とした言葉を分解せず、漠然とみんなが思考停止して使っているからだったりする。
よくよく考えると、コミュ力というのはあらゆる要素の掛け合わせで成り立っている。
目的のある会話なのか、関係性を気づくための会話なのかという種類の話もあるし、話すのが上手いことなのか聞くのが上手いことなのか、空気を察することなのか、初対面なのか何回目なのか、1対1なのか少人数なのか大人数なのか、テキストなのか口頭なのか、チャットなのか電話なのか、など組み合わせを考えたら何万通りもある「総合的な能力」のことで、これが全てのパターンが得意、なんて人はほとんど存在しないはず。
つまり、ほとんどの人がコミュニケーションと言われることにも、得意なことと苦手なことが存在していて、人によってちょっと得意な数が多かったり少なかったりするだけなのだ。
そんな何万通りも考えられる能力のことを一概に「高い、低い」と判断できないし、それによって仕事の成果なんてもちろん決まらない。
むしろなかなか仕事で成果が上がらなかった人が、自分の得意なコミュニケーションができる環境に行ったらとんでもない成果を上げるなんてことはざらにあるケースだ。
つまり、自分が得意なことと苦手なことを理解して、得意なやり方でコミュニケーションが取れる環境を選べるか?の方がよほど重要だし、そのためには「コミュ力」という呪いの言葉に騙されず、自分の得意と苦手をしっかりメタ認知することの方がよほど仕事の成果には影響するのではないかと思う。
そんなコミュニケーションを題材として、自分の得意と苦手をメタ認知する方法、そして苦手なことは克服するのではなくなんとかごまかしながら生きる方法について書いた書籍が8/27にマガジンハウスさんから発売されるのでぜひ、気になった人は読んでみて欲しいと思う。(最後宣伝ですみませんw)
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