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『株主総会は社長のショーである』久保利英明×内藤晴夫

久保利英明×内藤晴夫(エーザイ株式会社 代表執行役CEO)vol.1

久保利「初めて会った時ってもうずっと昔のような感じがして(笑)」
内藤「ふふ(笑)えっとですね。1989年ですね

内藤「私が社長に就任した時なんです。その時に株主総会をもう1回フレッシュに見直そうと」
久保利「そうでしたね」
内藤「久保利先生に総会の顧問をお願いしたっていうのがきっかけ」
久保利「ありがとうございます」
内藤「だったですね」
久保利「30年ですよね
内藤「ええ。30年超えてますね、はい」

サムネイル_内藤 さんvol.1_2022.10


久保利「総会屋をなんとか追っ払わなきゃいけないといって、一生懸命やってるんだけれども、なかなか広がらないというか、事件が次から次へといろんな会社で起きてるし、大変だという時に、

エーザイが総会の指導を頼むよと、こういうふうに言われて、すごく嬉しかった。そういう伝統のある立派な企業も、その方向でやってくれるんだというのは嬉しかったです。

あと、当然30年前ですから、30年以上だから若かったですね(笑)」

内藤「そうですね、40でした
久保利「ほんとに元気はつらつで
内藤「いやいや」
久保利「もう今だって、もちろん元気はつらつだけど」
内藤「とんでもないです」

久保利「若い創業家の坊ちゃまが、すごいやる気になってるんだと」
内藤「(笑)」
久保利「そんな雰囲気でしたね」

内藤「私はね、先生にやはり株主総会の美学ね
久保利「うんうん」
内藤「美学を教えてもらったと思ったですね。で、先生、いつも、これは社長のショーなんだと。あのワンマンショーなんで
久保利「はい」

内藤「それをやはりあのどれくらいね、しっかり且つ、美しくできるかというのが大事なんだよ。ということを本当に教えてもらいました
久保利「(笑)申し上げました確かに。結構ストレスですよね。それって」

サムネイル_内藤 さんvol.1_2022.10

内藤「最初からどんな質問も答えると。その当時我々は一応、商法。当時、商法でしたね」
久保利「商法ですね」

内藤「商法の総会のところで勉強すると、総会の議事に関係ない事項は、一応拒否できるんですよね、回答
久保利「はい」

内藤「そういうことでラーニングしたんですけど、先生は「いや、そうじゃないんだと。一応受けて、答え方はなんぼでもあるんで、そこはあのちゃんと受けて答えることは大事なんだ」っていうことも言われたんで。ですからね、どんな質問が出ても、答えるんだという決意と、そして逆に言えばどんな質問が出ても、まあ怖くないよね。そういう雰囲気を身につけましたね、先生のご指導でね(笑)
久保利「結局、逃げるなっていうことなんですよね
内藤「ええ」

久保利「受けて立て。と。別に、会社の秘密を全部ベロベロ言えとか、個人的なプライバシーの話を全部ゲロんなきゃいかんとか、そんなことないんだよ。だけど、とにかく逃げてるな、この社長はと。意気地がねえなと、こういう風に思われるとまずいよと。

もちろん、その社長さんごとに、使い分けは僕もしてるんですけど、

総会屋に対する利益供与とか、そういう時に、総会屋が目をつけるところというのは、この人は意気地がある人かない人かで、この人は逃げる人が逃げない人かで、パワーがある人かない人かって、こういうところをあいつら見るんですよね。

そういう時に、世の中的には三代目の坊ちゃまか、若いな、ということは、ある意味では与しやすし、というふうに向こうが思ってくるかもしれない。

その時に逃げない、戦う。そして、元気に応対をする。これが大事かなと僕は思ったんですよね」

サムネイル_内藤 さんvol.1_2022.10

内藤「ですからね、当時はね、リハーサルが大変で
久保利「(笑)
内藤「本番もものすごく大変なんですけど、リハーサルも大変で、もうリハーサルの時に、こう議長をめがけて
久保利「はい」
内藤「物がなげられると
久保利「はい」

内藤「当時あったんですよね。それに当たってですね、議長が昏倒したっていうのもあったんで、そのウイスキーのミニチュアボトル
久保利「ミニチュア瓶をね、投げる
内藤「投げられるやつを避ける練習とかね
久保利「(笑)」

内藤「それから、マイクを奪われるというんで、ちょうど、お名前を申し上げませんけど、弁護士の方の中にサッカー部の人がいて、彼が後部の方からダーッとダッシュしてきて、議長のマイクを奪いに来ると。それをどうやって守るだとかですね。そういう練習もやったりして
久保利「乱暴でしたね、考えると(笑)」
内藤「もう、これは本当に」
久保利「ええ」

内藤「すごい世界だというふうに一時期、思いましたね」
久保利「確かにね、当時はそんなのが日常茶飯事で起きて
内藤「ええ」

久保利「専務さんだとか副頭取だとか殺されたりする事件だってあったぐらいですから」
内藤「そうでした、ですよね」
久保利「それで、みんな一蓮托生で体を張って
内藤「ええ」
久保利「練習もしなきゃいけないし、本番もそうだし、大変な時代でしたよね」

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内藤「本当にとにかく、その議案に関係ない質問も基本的に受けるっていうことにいきましたんで、大体そういう議案外のことの質問が多くて
久保利「多いですね」

内藤「そのQ&Aが議場を支配するんですね。議場の雰囲気を決めちゃうので。もちろん議決権は問題ないんだけれども。やはり議場の雰囲気をちゃんと議論するっていう雰囲気。

ポジティブで、温かみのある総会にしなければいけないと、先生から指導を受けてたんで

そのことで、私の時でも5年間ぐらい毎回来られて、同じ質問をされる方おられましたね。答えられる範囲が決まってるんですけども、丁寧に会社の立場を説明して、5年経って「議長の言っていることは理解できるので、これでもう私は来ません」ということで、次からお見えになんなかったことありましたけど、そういう事案もありました
久保利「そうでしたね」

久保利「だから、やっぱりそれは逃げないで、戦うんだと
内藤「ええ」

久保利「これは何年やっても同じだわと、結局はいろんなことを、利益供与しないかといろんな誘いをやっても応対してくれないし、で、総会に行けばビシッとちゃんと答えてくれるし。まあ、そういう辛抱強い、真っ当な戦い方を僕は申し上げてたつもりですよね」
内藤「ええ。ええ」
久保利「それをしっかり守っていただいて」
内藤「そうですね」

内藤「久保利先生はもうすでに高名な、戦う弁護士であられて、まず第一に、先生のコスチュームですよね」
久保利「(笑)」
内藤「これがですね」
久保利「今日は、地味な方ですよ(笑)

内藤「(笑)何でこうなんだというのを興味あるじゃないですか。

それで、まあ聞いたら、先生が生涯の敵として戦われていた連中が、だいたいこういう格好してるんやと。で、彼らに負けるわけにはいかないです。ですから、自分もその矜持を示すためにね、こういうウェアなんですよって聞いて、非常にあの得心したのを覚えてますね」

久保利「だからね、なんかね、みんなね、似てきちゃうんですよね

久保利「襲ってくるやつもね、警視庁の捜査4課とかですね、総会屋対策をしているおまわりさん達と、僕ら総会で戦ってる弁護士と、なんとなくね、みんなね、ぱっとみるとね、靴がね、みんなワニ革だったりなんかして
内藤「(笑)」

久保利「なんかみんな、それユニフォームみたいにな感じになって、面白いなあと思いましたけど。それくらい気を張って命張ってやってるとなんとなく、ああいうこう、ワニ、ヘビ、そういう系統の爬虫類っぽいものがね
内藤「いや、いや(笑)なるほど」
久保利「身に着けたくなったりもするんですよ(笑)
内藤「ええ」
久保利「いまだに僕はその癖が治りませんけどね(笑)

サムネイル_内藤 さんvol.1_2022.10


内藤「先生に教わったことを、だいたい4か条ぐらいあるんですけども、それを毎年、総会の前に、いちおう筆で書いてるんですよ
久保利「すごいですね」

内藤「それが、ですからもう30何通溜まってます

内藤「その時々いろんなことがあるので、そこに書いてある文面を見ると、「捨て身集中」とかね(笑)結構あの当時の情景が思い浮かばれるような、ひとつのちょっと経営者としてたどってきた軌跡がそこに出てますね」
久保利「確かにね。毎年毎年いろんなトラブルはあるわけですから」
内藤「ええ」

久保利「その年その年に、やっぱりこれ同じ言葉が書いてあっても、その時に考えてることは違うかもしれませんしね」
内藤「ええ、ええ」

久保利「とにかく覚えているのは、総会が近くなると「肉を食うんだ」と。肉を食って元気をつけて、戦う闘争力を高めるんだと。まさに免疫力を強めるようなそういう食生活をされて、本当もうパワフルだから、これなら負けないなあと僕は思いましたね

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内藤「実はね、四万十川の漁師で、四万十川の川底にひそむ巨大な鯉
久保利「ほうほう」
内藤「2メートルぐらいあるやつを、抱いてとってくる奴がいるんですよ
久保利「へえ
内藤「そういう漁法も、その人のその漁をする時のいろんな決まり事があって、それから学んだんですよ。なかなかこれ言えないのもありますけど」
久保利「(笑)」

内藤「特に食事はね、ほとんど肉食を旨としたりして、摂生に摂生を重ねて、で、体温を上げる
久保利「ああ」
内藤「そうすると鯉が抱かれてもですね、大人しくなっちゃうらしいんですよ」
久保利「なるほど。冷たい体だとダメ」
内藤「体温をあげてないといけない」
久保利「なるほど。なんかコロナ対策みたいな(笑)」

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内藤「総会を通じて先生の人柄にも接して、特に面白かったのは、先生が卒業してから行った世界旅行、何年行ったんですか、半年ですか」
久保利「半年です」

久保利「半年ですね。4月に横浜を出てって、シベリアをちょっと列車で行って。こんなのやってたら俺の予定全部終わっちゃうかなと思って、飛行機でモスクワに行って、そこからヨーロッパをくだっていって、アフリカに入るっていう。で、あとインドです。6か月でした」

内藤「アフリカの時に食事の話が出てきて、ほとんどそのそこらへんにいる牛の水煮
久保利「そうそう、ゴンベチャパティですね
内藤「味がついてないんで、インドに着いたときにこんなにうまいもんがあるんだと、カレーを食って思ったっていう。あそこらへんで、やはり、なんか先生の原点を感じたっていう感じも。これは、これは強いなと思いましたね。あれは司法試験の前ですか」
久保利「いや、受かって」
内藤「受かった後ですか」

久保利「現役で受かっちゃって、みんな落っこってるから、一年ぐらい遊んできても、こいつらとまた一緒になるだけだからいいやと思って。それで行ったんですね。1968年の話ですね
内藤「ああ、そうだったんですか」

久保利「だから本当は23期っていう期で入る予定だったんですけど、ああ、22期ですね。それ23期に遅れたんですよ」

久保利「アフリカ、インドで過ごして帰ってきたら、もう東大闘争で、とても学校に行くような雰囲気でもないから
内藤「ええ、ええ」
久保利「とんでもないところで、それで4月に研修所に入ったんです」
内藤「なるほど」

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久保利「あの時代って、今思えば、日本中すごいことがあったんですよね
内藤「そうそう。だから日本人がみんなもっと怒ってましたよね
久保利「すごいです、みんなパワフルでね
内藤「そう」

久保利「立て看板なんていうの大学の構内埋め尽くしていたしね」
内藤「ええ」
久保利「デモだって言えば、今日は生きて帰れるかどうか分かんないとかね。そういうかなり切羽詰った状況で、この国をどうする、世界はどうする。それこそ医療をどうするとかね。お医者さんの、病院の先生達から、東大の場合にはスタートしました

内藤「医学部そうでしたね」
久保利「青医連とかね
内藤「そうですよ」
久保利「このままじゃ、日本は、ダメだ―
内藤「ええ、ええ」

久保利「すごい、みんな一生懸命でしたね」
内藤「ええ、ええ」
久保利「今の大学の雰囲気とか日本の若い人も年寄りもそうですけど、なんかボーっとしてないかっていう感じはあのころと比べるとありますね
内藤「そうですね。我々も高校生でしたけど、高校生だってみんなね、問題意識持って
久保利「そうでしょ」
内藤「結構厳しく見てましたね」
久保利「ですよね」

内藤「ええ。ベ平連(「ベトナムに平和を!市民連合」の略)とかね。ああいうのもあって。私の高校は、側の(注:エーザイ本社)都立高校ですけども、だいたいあの反権力の奴が多くて、みたいな校風なんですよ。ですから弁護士になる、医者になる、学者になるのが多くて、お前みたいな経営者になるかもしれない奴なんてのは、とんでもないんだと
久保利「とんでもない(笑)

内藤「ずいぶん、高校時代から」
久保利「言われました?」
内藤「友人から、建設的な意味でね、言われてましたけれども
久保利「うんうん、なるほど」
内藤「ですから国会議員でも野党系が多かったですね」
久保利「確かに。ねえ」
内藤「ねえ」

久保利「そういう時代でしたね」
内藤「ええ」
久保利「東京オリンピックが1964年で、その4年後ですからね」
内藤「ああ、そう」
久保利「みんな、いけいけドンドンでね、何があってもとにかく一生懸命やってという、そういう国の活力を感じる時代でしたね」

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【内藤晴夫 PROFILE】

エーザイ株式会社 代表執行役CEO

1947年 生まれ
 慶應義塾大学商学部卒業後、ノースウェスタン大学経営大学院でMBA取得
1975年 エーザイ入社
1983年 取締役
1985年 研究開発本部長
1988年 代表取締役社長
祖父は、創業者の内藤豊次氏。
父の第2代社長内藤祐次氏に続き、第3代社長に就任。
2014年 エーザイ取締役兼代表執行役CEO(現任)

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