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『炎上してもロースクールを作りたかったのは』久保利英明×山田秀雄×菊間千乃

久保利英明×山田秀雄(弁護士)×菊間千乃(弁護士)
対談 Vol.2

<セッティング中>
菊間「相変わらず。今日は地味な方?(笑)」
久保利・山田「(笑)」

山田「スーツはちょっと地味ですよね」
菊間「そうですね」
山田「ネクタイは」
菊間「先生、真っ白で来るかと思いました」
山田「あぁ」
久保利「君が真っ白で来るかと。これかぶるなぁと」
菊間「(笑)いや、私、先生の白かぶりしちゃいけないと思って、白はやめようと思って(笑)」
久保利「(笑)」

スタッフ「心理戦がすでに始まってますね(笑)」
久保利「白かぶりしちゃいけないからね」
菊間「そう(笑)」
久保利「シルバーならいいだろうという感じで(笑)」

久保利「はい、今日はゲストをもう一人呼んでおりまして。我々二人の愛弟子というか」
山田「いやいやいや(笑)」
久保利「はい、菊間さんどうぞ。(お花を見て)おっとっとっとっと(笑)」
(拍手の音)(山田先生)

菊間「ごぶさたしておりまーす。久保利先生、お誕生日おめでとうございます。77歳」
久保利「そうなんですよ。誰がなったんだろうかと思います(笑)」
菊間「えー。喜寿、喜寿。ちゃんと紫入れました」

久保利「ああ(笑)ありがとうございます」
菊間「おめでとうございます」

山田「最高の喜寿ですね」
菊間「大先生二人と緊張しますが、よろしくお願いします」
久保利・山田「(笑)」
山田「一番、大先生(笑)」
久保利「よろしくお願いします」
菊間「とんでもないです」

久保利「山田さんと僕で、大昔40年前の修習生の頃の」
山田「38歳の時の久保利先生の話をしていたんですよ」
菊間「へぇ」
山田「ほとんどパワー変わってないですけどね」
菊間「うん。うん」

久保利「38歳ということはね。今の半分だよ、歳がね」
菊間「そうですねえ」
山田「すごかった。あのときの久保利さんは。今もすごいんですけど」
久保利「そういう時代があったんだよなぁ」
山田「最強の77歳ですね」
久保利・山田「(笑)」
菊間「変わらない」

久保利「大宮ロースクールに入った頃、アナウンサーとして十分やっていけるし、なんで難しい司法試験にチャレンジするのかなぁと。会社法を奥島(孝康)先生のゼミでおやりになったこともわかるけど、しかしロースクールに来てまでやることかと半分思いつつ、自分が40ぐらいになったときにどうしてるかなぁと思って弁護士を志望するというのを伺って、志が高いと感じました」
菊間「はい」

久保利「結局はみんな弁護士になっちゃってるわけだよなぁ(笑)」
山田「うん」
菊間「そうですね」

久保利「菊間さんはどうですか。弁護士になって、今の生活を考えてどう?良かった?」
菊間「いやあ、良かったですよ」
山田「よかったぁ?」

菊間「ほんと良かったですよ。なってみて、弁護士の仕事って、こんなに幅広いんだというのは驚きでした。やっぱりなる前は、法廷に行くという、法廷弁護士という仕事と」
久保利・山田「うん」
菊間「クライアントさんのご相談にのってという、いわゆるイメージしてるのはそこの範囲だけだったので」
山田「うん」
久保利「ああ、そっか」

菊間「弁護士ということで、久保利先生と一緒にヒューマンライツ・ナウみたいな、ああいう人権団体をやってみたりとか。コメンテーターもそうだし、企業の役員として中に入るとか、スポーツだったり色々」
久保利「社外もずいぶんやってるもんね」

菊間「はい。理事やったりとか。法律というところを一つ自分の専門性とすることで、こんなにいろいろ世の中に、自分なりに貢献できることがあるんだというのは、想像もしてなかったです」
山田「なんでもできちゃうんですよね」

久保利「そう、最強の資格というのは、そういう意味なんで」
山田「最強の自由業」
菊間「そうですね」
久保利「元職がなんとかだったりという、そういう付加価値もどんどんどんどんついてくるんだよね」


菊間「私、大宮ロースクール行ったきっかけは、山田先生で」
久保利「はい」
山田「あー、そうだったなぁ」
菊間「こういう感じで一緒の番組で横、座ってて」
山田「そうだ(笑)」
菊間「CMの間ですよね」
山田「あいだ」

菊間「山田先生が「今度、二弁(第二東京弁護士会)でロースクール創るから菊間さん通ったら?みたいに」
山田「ほんとにさりげなく」
菊間「軽い感じですよね。ちょうどそれが31、32(才)ぐらいで、その後のことを考えていた時に「でも、会社辞めるのは・・・」と言ったら「夜間があるから」とか言ってくださって」
久保利「そうそうそう」

菊間「それで調べて受けてみたという、そこからですよね」
山田「あれがもう何年前?10、、」
菊間「いやいや、そうそう、歳ばれちゃうけど、17年前」

山田「ほんとにね。たまたま彼女がMCをやっている番組にゲストで呼ばれたときCM中にそういう話をしたんですよ」
久保利「うん」

山田「菊間さんはね。それに食いついてきたのね」
久保利「うん」
山田「で、大宮を受けて大宮に入られて。途中、大変じゃないですか。アナウンサーの仕事も忙しいし、両立させながらやっていたわけですからね。でも一番すごいと思ったのは、すぱっと辞めたでしょ」
菊間「はい」


山田「辞めて司法試験の方に賭けた時の、なんていうのかな。退路を断つ発想」
久保利「うんうん」
山田「あれはね、やっぱり並みじゃないと思いました」

山田「アナウンサーの仕事が三十歳定年説とかいろんなこと言われてなくなっていっても、会社にいればなんらかの仕事は与えられて生活には困らないわけですよ。でも両方求めていたらなかなかこの試験はうまくいかない。スパっと辞めたところがね、彼女の決断力ってすごいなと思ったなぁ」

久保利「それくらい弁護士になりたかったの?」
菊間「うーん。入ってみて、久保利先生をはじめ大宮の先生方を見ていたら、なりたいと思いました」
山田「(笑)」

菊間「最初入った時、私はフジテレビに残るつもりだったし、司法試験の資格を持ってアナウンサーというかたちでやろうと思ってたんですけど」
久保利「あぁ、それでね」

菊間「結局実務もやらないで戻れば、知識のままで終わっちゃう。久保利先生とかがご自分の経験とかを授業でたくさん話してくださって、法律を武器にして誰かを守るとか」
久保利「そうそうそう」
菊間「戦うという姿を、ほんといろんな先生が見せてくださって。大宮に行ったからこそ、通っているうちにだんだんこう比重が、アナウンサー弁護士から変わってきましたよね」
久保利「なるほどね」

菊間「それでもうこっち側に行こうって思いました」
久保利「大宮ってこともあったのかもしれないね」
山田「あった」
菊間「すごいありました」
菊間「忘れもしない1回目。私、2回目で受かったんですけど。

1回目の試験落ちた日に、久保利先生に電話して、先生覚えてないかもしれないですけど、電話口で号泣して、久保利先生ね、女性にあんまり泣かれたことないですよね」
久保利「あぁ、経験が不足なもんですから(笑)」
菊間「(笑)もうすごい(笑)すごい(笑)」
久保利「泣かしたことがない(笑)」
菊間「(笑)すごい優しいわけ、久保利先生が」

山田「へえ、そうなんだ(笑)」
菊間「その優しさに、なんかこう、余計さらになんか泣くというか」

菊間「最初入ったときに、久保利先生に「菊間さんみたいな人が司法試験に受かっていくのが、この司法制度改革だから。やっぱりあなたは象徴的な人になるべく頑張らなきゃいけない」みたいに言ってくださって。だから頑張んなきゃ頑張んなきゃと思ってやって、でも結果が出せなくて、皆さんの期待にも応えられずみたいになったときに」
久保利「あぁ、そんなふうに」
菊間「なんかすごいほんとに落ち込んだ時に、すごい優しくて先生が、もう」

山田「菊間さんの号泣するというのが僕、全然イメージがわかない」
菊間「そうですか(笑)」
久保利「俺が泣かしたみたいでまずいじゃないですか」
菊間「(笑)」
山田「泣かせたんですね」

菊間「そう。優しい言葉をかけられると、緊張の糸がふっとほどけるというか」
久保利「ああ、ああ」
山田「菊間さんって、結構大変な時とか辛い時にいっても、必ず「大丈夫です。来年受かります」とか」
菊間「うん」
山田「そういう答えが返ってくるイメージが強くて、私の中ではやっぱりものすごい強い。鉄の女じゃないけど」
久保利・菊間「(笑)」
山田「根性者のナンバーワンみたいなイメージがあるんだけど、やっぱり、ふっとこう優しい言葉で」
菊間「そう」

久保利「いやでも僕も大丈夫ですというのは、いつも言うというか(笑)」
菊間「うん」
久保利「だいたい、大丈夫なんだよ」

山田「試験場に行くでしょう」
菊間「そう」
山田「試験場に、カーネルサンダースの」
菊間「そうそう」
山田「スーツ着て、ほんとうに来られてね、励ますじゃないですか。
あれもね、ずっとやってらしたでしょう」
久保利「ずっとやってました」

菊間「ああいうことも授業も、たとえば1年目落ちた時、他のロースクールだと1回落ちたらあとはもう一人で予備校とかで勉強していて」
久保利「あぁ」
山田「うん」

菊間「大宮ってその後も先生たちの、ほんとボランティアですよ」
久保利「ボランティア」

菊間「年末年始の勉強会とかいろんな勉強会とかやってくださって。自分が弁護士になって思うんですけど、本当に忙しいじゃないですか」
久保利「忙しいよね(笑)」
菊間「時間がないのに、あれだけスターの先生方が」
山田「そう」
菊間「わざわざ大宮まで来てやってくださっていたということのありがたみが、弁護士になってみて」
山田「わかるよね」
菊間「沁みます」
山田「わかるよねえ」

久保利「それは、なんのためにロースクールを創ったか。二弁が、なぜ一生懸命、学校法人と組んでやったかというと「弁護士が弁護士を創るという学校にしたかった」」

久保利「研究者教員が大学の延長で教えるんじゃなくて、息吹というか魂を吹き込んで、こういう弁護士になってほしいというメッセージを、直接学生さんたちに伝えたいと思ったんです」
山田「すごい情熱だったんですよ」
久保利「(笑)」

山田「久保利先生が(第二東京弁護士会の)会長のとき、私が副会長のときに」
久保利「そうそうそう」
山田「大宮ロースクールを創ることが決まったの」
久保利「創ることを決めたんだよね」


山田「もう反対が多くて大変で。ようするに弁護士が教育機関を創るなんて身の丈知らずだと言われて。絶対大赤字だ。大変なことになったときに責任取れるのかと。久保利さんその時に日弁連の副会長もやっていたから、上に大体行ってるんですよ」
久保利「そう。上って日弁連の会議室に」
菊間「あぁ」


山田「担当の山口君という(山口健一弁護士)副会長が対応していると火だるまになっちゃうの。常議員会とかそういうので」
久保利「炎上しちゃうんだよ(笑)」

山田「そうすると久保利さんを呼んでこないとだめだっていうことになって、私が騎兵隊みたいに上に駆け上がって「久保利さん、山口さんが炎上してますから助けに来てください」と」
菊間「(笑)」

山田「パーッと降りてきて。またこの得意の高説を披露すると、だんだんだんだんやっぱり大宮を創るみたいな流れになって」
菊間「うんうん」
久保利「(笑)」


山田「行ったり来たり」
久保利「行ったり来たりでしたね(笑)」
山田「大変でしたね。創るときは」

久保利「だってみんなほら第二東京弁護士会が、金を出してやるから大変なことになると勘違いして」
菊間「はい」
久保利「会費値上げもしなきゃいけないとか」
山田「あれはほんとつらかった」
久保利「違うんだよ。金はね、学校法人が出すの。人だけ、とにかくうちから教員の大半をね、出すの」

久保利「これは、やりたい人にやってもらうし、しっかりとした審査もするから変な人はいかないよと。そこで受かった人たちがまた二弁にかえってくるというね。埼玉弁護士会と二弁にかえってくると」

山田「僕ら副会長も陰ではね。久保利さん、あぁいうふうに言ってるけど、本当にできなかったらどうしようかと、みんなでヒソヒソ話しながらね。心配してたの」
久保利「みんなできないことを心配するからね。僕はできたあとのことばっかり考えてるから」

山田「大変な情熱でしたよ。しかも大宮はね、土壇場で決まったんで。その前は高崎だったんですよね」
久保利「高崎ね」
山田「でもその、あの一年間、結構ほんと疾風怒濤でしたね」
久保利「(笑)大変」

山田「引っ張られちゃったんだけど、もうズルズルズルズル引っ張られて」
久保利「(笑)」
山田「すぐ伝令で走って騎兵隊で」
久保利「(笑)パッパカパッーとくるわけ」
山田「大変でしたね、あれは」
菊間「でもだって蓋を開けてみたら、大宮が一番人気でしたよね」
山田「結果(オーライ)」
久保利「そう」

菊間「最初、ロースクール始まったとき」
久保利「一年、一期生はね」
菊間「一期生、ダントツの倍率でした」
久保利「一期生がもっとたくさん受かってくれればね。もっと良かったんだけど(笑)」

山田「でも菊間さんはじめね」
久保利「スターがいっぱい」
山田「素晴らしい人材を輩出したからね。やっぱり学校としての使命は十分果たしたんじゃないかな」

久保利「今まで司法試験、そこの学校法人から一人も受かったことがないところから、あと1名で100人になるんだよ」
菊間「そうなんですか。すごーい」
山田「100人」
久保利「すごいでしょう」

菊間「そこまでいってるんだ」
久保利「そこまでいってるんだよ」
菊間「すごーい。だって最初そういう目標でしたよね。100人は出そうみたいな」
久保利「そう100人(笑)ね。世の中ってそんなもんでね、一生懸命やってるとなんかね道が開けてくるんですよね」
山田「あの情熱は、ほんとにすごかったです」

久保利「(笑)確かにそうだな」 

【山田秀雄 PROFILE】
弁護士
1952年生まれ
慶應義塾大学法学部法律学科卒業
筑波大学大学院経営政策学部企業法学専攻科修了
1984年 弁護士登録
コメンテータとしても活躍
ハラスメントという言葉が浸透する前から
様々なハラスメント問題にも取り組んできた草分け的存在


【菊間千乃 PROFILE】
弁護士
1972年生まれ
早稲田大学法学部卒業
1995年 株式会社フジテレビジョン入社 アナウンス室配属
アナウンサーの仕事を続けながら
2005年に大宮法科大学院大学夜間コースに入り弁護士を目指す
2007年フジテレビジョンを退社
2009年大宮法科大学院大学修了
2010年司法試験合格 2011年弁護士登録



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