『怪物たちのお話』久保利英明×島地勝彦
久保利英明×島地勝彦(エッセイスト&オーナーバーマン)
2021年5月対談vol.4
島地「「先祖の墓参りしてるの凡庸だ」と。「ほんとうに大好きだった芥川龍之介の、さっき言った永井荷風の墓でもいい、自分が尊敬する人の墓に行って、拝め、必ず命日行くと。やれば、お前が使った無駄に使った運はね、必ず戻ってくる」と」
久保利「なるほど」
島地「利子ついて戻ってくると、そうですか。そしたら、ほんとに」
久保利「行ってますよね」
島地「もちろんですよ」
久保利「大きな声で言うんだ」
島地「大きな声で言う。今先生のね、ずっと守ってる」
島地「母親と息子が来て「実はうちの息子、東大に入りたいって言ってます。先生ならどうします?」って、新宿の伊勢丹に来たの。
「簡単だよ。上野の寛永寺。今東光先生の(お墓が)第3霊園だから、そこに行ってそこで入口の右手に花と線香売ってるから、そこで買って、息子一人で行かして大きい声で3回「僕は東大に受かった。僕は東大に受かった。東大に受かった」」
久保利「過去形で言え」
島地「過去形で言え。受かったんだよ」
久保利「(笑)」
島地「ほんとですよ、これ。残念なのはその親子薄情でさ、一回だけ「受かりました」って来てから、あと全然来ない。だから」
久保利「ダメだね」
島地「そういうのはダメ」
久保利「また運が減るね(笑)」
島地「うん、減っちゃう。一回だけ。何度も行ってお願いする。今先生の墓ってね、自分でデザインしてる」
久保利「へえ」
島地「あの人、絵描きで自分で絵を描く」
久保利「(笑)」
島地「すごいから」
島地「「遊戯三昧」亡くなる10ヶ月前に、自分がガンで危ない時、呼んで「俺がお前に贈る、最後の言葉。いいか島地、俺の病室には来るな」」
久保利「なるほど」
島地「俺のね、痩せた背中を」
久保利「やっぱ痩せられたんですね」
島地「でもそれでも行ったの、僕は」
久保利「行ったんだ」
島地「そりゃもちろんですよ」
久保利「行った」
島地「今先生は、四谷の「秋本」っていう鰻屋が大好きだった。秋本の鰻の「秋本」っていう字は、今先生が書いた。
秋本の親父、今いなくなられたけど、俺もよく行ってた。今先生が亡くなってからも、表は「今」って書いてある。「もし、かっぱらわれたらどうするんですか」って聞いたら「そうしたら大丈夫。島地さん、もう1枚書いてもらったから」」
久保利「(笑)もう一枚」
島地「あなた、すごい人だねえ」
久保利「(笑)」
島地「それが、今先生をもっての人生の知恵ですよ。だからね「お前、今日、鰻食うか」って、そのときね、怖い先生が「今ちゃんだが」っていうわけ、優しく。「いつものうな重な、二つ持ってきて」と。来るんですよ。だけどね、一回も金、払ったことないの。俺はそれ看板代だと思うね」
久保利「うーん」
島地「親父に聞いたの。「なぜ先生は、そこで飯食っても金払わないんだろうね。食べても金、払わないんだけどさ、あれちゃんと払ったの?」って。うんともすんとも言わなくて、はいともNOとも答えずに笑ってるんだよ」
久保利「請求書がそもそもいかないんだ」
島地「いかないですよ。看板のあの字、すごいんだから」
久保「ねえ、二枚も書かしてる」
島地「二枚も。一枚しまってる」
島地「それからね、今先生が亡くなって、翌年柴田先生が亡くなった。僕は墓碑銘が好きで。世界中の墓碑銘、有名人の墓まわってね、英語やフランス語やラテン語で書いてあるの写して、それをあとで翻訳してる。ああ、こういう意味かと。バルザックの墓も行った」
久保利「墓、好きなんだ(笑)」
島地「墓、好きなの。これエピターフって言うんです。墓碑銘が大好き。僕の尊敬してるね、私のおじいさんですよ。おじいさま。40何歳違うんだから。その方が亡くなって、6年ぐらいお付き合いしたかな。5年かな」
島地「柴田先生にお願いして「先生に紹介していただいた、今大僧正に、墓碑銘を書いて差し上げて(ほしい)」私は書けないですよ。字も下手だし、文章もだめだから。お前いい加減にしろって怒られるから。
「柴田先生、今先生に書いてくれますか」「ああ。いいよ」って。「お前、ここ行って、こういうでっかい紙と」入院してるから。もう慶應病院特別室に。「墨とか筆とか買って来い。いいか島地、けちるんじゃないぞ。いい墨といい筆と、いい硯と買って来い」と(言われました)」
久保利「1000ドル紙幣で買って来いと(笑)」
島地「そうそう(笑)「わかりました」って持って帰って、そして「墨を磨れよ」って言われて磨って「こんなもんでいいですか」「いいよ」って。何にも見ないで空で書いちゃうんだから。この教養。これが日本人だったですよ、大正時の。今、こんなの書ける人、いませんよ」
久保利「いないね」
島地「見てください、字。柴田先生が嫌がって最初「今さん、字がうまいからなあ。どうして字がうまいかわかるか。島地」「いや、わかりません」「坊主だから。当然、戒名書くから」
久保利「戒名。練習が多いから(笑)」
島地「って言ってたよ。それで僕が、何とか頼んで書いて。これを石屋に持っていった。そうしたら、石屋が「これ、貼ってやるのもったいない。コピー機がある。私がコピーとってね、お返しします」って。これ落款ないんですよ。落款が、あの、あれは例の柴田先生のお嬢さんに頼んで、「落款、貸してくれ」っていって押した」
久保利「押した(笑)」
島地「押して飾った(笑)落款ないの格好悪いじゃない」
久保利「それは病院で書いてるからないんだね」
島地「そうですよ。もちろんですよ。ね。これは素晴らしい文句ですよ。これね、あの、光って、「光(おおい)にす」って。あれが読めない」
久保利「読めないですね」
島地「「お前が読めない。じゃあ、ルビふっておくか。みんな読めないんだから。お前が編集者で読めないというなら、他のやつはもっと読めないなあ」って。「ありがとうございます」「お前、いいか、ほんとはルビふるって格好悪いんだ。ほんとうは。あえてふろう」ってふってくれた。
最後にね、これはね自力で親しくなったんだけど、いわゆる開高健、かいこうたけし先生だけど、“かいこう けん”、って言うのはね、自分で英語のサインするのに、「KEN KAIKO」って書いてた。”かいこう けん”のほうがね、いかにもさ、いいじゃない、響きが。それがあそこです、見てください。上。「心はホラ吹き男爵、眼は科学者 腕は、釣師の」
久保利「何師」
島地「釣師。魚釣り」
久保利「三位一体」
島地「三位一体である」
(「心はホラ吹き男爵 眼は科学者、腕は釣師の、三位一体である」)
明治の生まれ、大正の生まれ、昭和、これもね字がね、開高先生と言えど、墨で書けないのよ。「書いてください」と何度言っても、「いや、無理だ」って。マジック持ってこいでしょう」
久保利「マジック(笑)」
島地「マジックと色紙だよ、こっちはすごいでしょう、この」
久保利「硯からやるんだよね(笑)」
島地「日本の文化はこんな風に、こんな偉い人でも衰退してる。今の人、書けないよ、こんなの」
久保利「ねえ」
島地「でも僕一つ失敗したのは、人生で。今東光大僧正に私の戒名をさ、作ってもらいたかった」
久保利「ああ」
島地「それはいまでもね、もうなんともいえない、大失敗でしかない」
久保利「二つぐらいもらっておけばよかったね(笑)」
島地「二つ(笑)一つ売っちゃう。ここに飾っておけばよかった」
久保利「(笑)」
島地「ほんとに。先生ね、座ってる椅子はね、裏に書いてあります、確か「塩野七生先生御席」、こっちは「瀬戸内寂聴先生御席」二つを置いてるんですよ」
久保利「あ。これ。「塩野七生先生御席」って書いてある」
島地「必ずね来るって言ってるんですよ。この新型コロナがなかったらさ、今頃」
久保利「いらっしゃって」
島地「二人は来てますよ。それぐらい私、唯一女性作家で親しいのはね」
久保利「その二人」
島地「二人。みんな私より年上。瀬戸内先生はもう100歳。塩野七生先生は確か83ぐらいかな。私の3つか4つ上。84かもしれない。それでもあんなにねえ」
久保利「ねえ、すごいなあ」
島地「イタリアのルネッサンスを、小説まで書いちゃうんだから、すごいよ」
久保利「大したもんですね」
島地「この色気たるや。上品な色気。唯一ね、柴田先生に教わったのは、「いいか。裸になって女の前にいても、品格だけは忘れんなよ」」
久保利「(笑)」
島地「「どうしてですか、裸になってて」「それは、お前、自分で考えろ」って言われましたよ。人間は品格が重要だ。下品は最低。その話は25,6歳で聞いたかな。毎週会ってるんだから。そしたらね、ヘミングウェイの何か読んでたらね、「私は、私の肉がね、ソーセージミキサーにかけられて、ソーセージになっても私は私である。品格あるんだぞ。俺は」ということを言ってました」
久保利「なるほどね、だから、今ね、品性下劣というかね、まったく、そこがね、誰も意識がないんですよね」
島地「そうですよ、品格ゼロだからね。日本人がね」
久保利「誰も下劣と思ってないからね。だからね、あんなにSNSでね、人の悪口を、死に追い込むようなことやって」
島地「そうですよ」
久保利「品性下劣もいいとこですよ」
島地「だから、私が考えたね。格言でね、「文明は、文化を破壊する」まさにそうじゃないですか。本も読まない、こんな若いときから」
久保利「ねえ」
島地「字も書けない。ほんとですよ。僕は、電子書籍って一回も見たことないけど」
久保利「(笑)」
島地「いいですか。昔の明治の人、本郷保雄さんっていう私をすごい育ててくれた集英社の専務、それが最初言った「運と縁と依怙贔屓」だと思う、その人がね、「島地、お前、なぜね人間、本読むかわかるか」二人で飯食いながら。「いや、なんですか。僕は、面白いから読んでるんです」「いいか、紙の、めくるだろう。ページの風をあたるんだ。何百回何千回何万回とページの風を感じたやつが、ちゃんとしたやつになるんだよ」教えられた。ページの風なんて言うやついないよ、作家でも。それぐらい、日本人は劣化してます」
久保利「ねえ」
島地「悲しいかな」
久保利「と思いますね。劣化している日本をどうやって、立て直したらいいでしょうかと」
島地「教育だと思うな」
久保利「教育ですよね」
島地「昔のね、私の小学校、中学校、高校のね教えてもらった先生は。思い出すと、みんな人格者」
久保利「そうね、僕もそう思います」
島地「それで私は、唯一ね、亡くなった母親から教わった唯一の言葉はね。僕は、疎開者でしょ。だから、母親の親父、私のじいさん、祐天寺に住んでた、祐天寺。立派な家もってた、大金持ち。その当時はね。没落してるけど。それでね、初孫だから、私。霜降りさ、霜降りの上下で、しかもショートパンツですよ。寒いんだ、まだ一関は。4月のその入学式の時。
それで坂あがって、小学校行ってね、「いいかお前ね、勝彦、お前の格好は」長田小学校の不似合だった。みんな戦後間もないから、人絹スフみたいなの着てるんだから。ね。「でもいいか、よく聞きなさい。“男はやきもち焼くより、やきもちやかれる人間になりなさい”」って言ったんですよ」
久保利「そうそう」
島地「だから、ずっと守ってる。どんなに女に惚れても、役員やっても、どんなに僕と同い年、同僚がえらくなっても」
久保利「やきもちはやいていない」
島地「やきもちは、最低」
久保利「あれは最低ですね」
島地「先生、やきもちやかれるでしょう」
久保利「やかれるでしょ」
島地「それがエネルギーになってるんですよ」
島地「先生は、墓参りやってないの?」
久保利「墓参り、先祖のやつはやってます」
島地「先祖は普通ですよ」
久保利「うん、うん」
島地「でも、先生、師匠ってやついないだもんね」
久保利「師匠ってね、みんな師匠なんで、みんなの墓参りに行かなきゃいけなくなる」
島地「(笑)団体」
久保利「この人ってね、今東光先生みたいねピシッと」
島地「いないんだ」
久保利「いろんな人のいいとこどりしてるから」
島地「そうか」
久保利「うん」
島地「でも大変だ」
久保利「島地さん亡くなったら墓参り行きます」
島地「(笑)」
久保利「(笑)」
島地「私はね、110まで」
久保利「僕より長く生きるんだ(笑)」
島地「先生のね、弔辞を書かせてください」
久保利「弔辞をね」
島地「名文で書きますよ。僕ね、エピターフ、弔辞、相当勉強した」
久保利「達人だから(笑)」
久保利「面白いね。ほとんど試験に出ないようなことを島地さんはね、よく知ってるんだよね」
島地「そうそうそう」
久保利「いま、どんどんね、消えていっちゃう、話ですよね」
島地「私はね、ほんとうに人生の3人のね師匠がいたからですよ。その人と毎週、謦咳に接して」
久保利「僕はね、今日、とにかく島地さんをゲストに引っ張り出して、話しを聞きたいと思ったのはね、やっぱりその3人って、これ自体がね、そもそも運と縁とね」
島地「怪物」
久保利「みんな、そうでしょう」
島地「いまね日本には、怪物がいなくなった」
久保利「みんな亡くなっていっちゃってるじゃないですか」
島地「まったくですね」
久保利「みんなね、どうなっちゃってんだ」
島地「さっき言ったように、劣化してんですよ。日本という国が」
久保利「劣化してますよね。認識がね、みんなないんですよ」
島地「認識もない」
久保利「認識ないでしょ。劣化してることを一緒になってね、怒りあえるね、友はだんだんいなくなって」
島地「(笑)ありがとうございます」
久保利「老人ならみんな大丈夫かというと、不良のくせにね、不良老人と言ってるのに、意外と善良だったり」
島地「そうそう。独立独歩の精神がないよね」
久保利「独立独歩。とにかくさあ、「かかってこい」というね」
島地「そうですよ」
久保利「闘争心と、あとは志は曲げないと、失敗してもとにかくやると」
島地「あと、やっぱり人、人間に必要なのは心意気ですよ」
久保利「心意気ですよね」
久保利「今日はね、ようするに世の中斜に見るんじゃなくて、真正面から受け止めながら、それに対して、形成の句というかね、いかんぞーということをいつも思いながら、それを一生懸命書いて、それを普通の人たちにわかりやすく絵解きをしていくっていう、そういう島地さんが大好きで」
島地「ありがとうございます」
久保利「そういう会話って永遠とこのままやってると朝までテレビになっちゃうので」
島地「(笑)1週間もしゃべれますよ」
久保利「このへんで締めたいと思いますけど、僕もずいぶんね話したりない、言い足りないことあるなあと」
島地「いっぱいあるでしょう」
久保利「思ってますからね、また次、よろしくお願いします」
島地「先生の本、全部読んでますから」
久保利「ありがとうございます」
島地「先生も、私の本、全部読んで頂いていると」
久保利「はい」
島地「ありがとうございます」
久保利「ということで、「遊戯三昧」そろそろおひらきにしたいと思います。ありがとうございました」
【島地勝彦 PROFILE】
エッセイスト&オーナーバーマン
1941年東京生まれ
幼少期~高校時代を疎開先の岩手県一関市で過ごす
集英社入社
柴田錬三郎・今東光・開高健を担当
『週刊プレイボーイ』編集長、取締役、子会社社長なども務める
2008年退社後、エッセイスト、バーマンとなる
現在は『Authentic Bar Salon de Shimaji』のオーナーバーマン
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