『青春病患者』久保利英明×堀威夫
久保利英明×堀威夫(ホリプロファウンダー)
2021年2月対談 vol.4
『いつだって青春』
久保利「今だって青春でしょ。堀さんの場合」
堀「そうありたいと思って、いつも思って」
久保利「それは、ウルマンの言ってる通りで、歳でもない、なんでもない、氣持ちの問題というか、考え方の問題。だって80から氣功やろうって人だから「いつだって青春」に決まってるんですよ。歳だから、氣功やらないって話じゃないんで
僕は、ウルマンの話は、ほんとそうだと思うし、だけどそうみんな思うんだよ思いたいんだよ。やれないんですよ。堀さんのすごいとこで。この話の先をやってるわけですよね。「いつだって青春」」
堀「先がどうかわかりませんけど、真っただ中で、います( 笑)」
久保利「ねえ。青春、真っただ中なんだよ。僕もそれ気持ちは分かりますよね。「いつだって青春」というのは、青春というのは、やっぱり、まだ希望があって、明日があるっていう風に思える心の在り方だと僕は思うんですけど。で、老人というのは、おしまいだ、これで、ダメだと思ったら、それが仮に20歳であったって、それダメなんですよね」
堀「そうそう」
堀「僕、初めて青春って詩に出会ったのは、今から40何年か前に『致知』(ちち)っていう月刊誌がありましてね」
久保利「『致知』ね、はいはい」
堀「あの中で何気なく読んでたら、扇谷正造 (おうぎやしょうぞう)さんって亡くなりましたけど評論家が、どなたか相手は忘れちゃったんですけど、対談をしてたんですね。その中にこの「青春」という詩にふれてた。
それでマッカーサーもその大ファンだと。なんか面白そうだなと思って、当時、秘書の女の子に「青春」っていう詩をちょっと探してくれと、なかなかなかったんですよ。そうしたら何年か経ったら、青春の詩を岡田なんとか、よしひささんだったかな。訳したコピーを送ってくれた人がいるんですね」
久保利「はい」
堀「青春とは、心の様相を言うんだと、希望とか理想とか、そういうことを失った途端に老いが来るっていうくだりが」
久保利「ありましたね」
堀「まあ一番で。で、当時自分でお尻のポケットに縮小したコピーを作って入れてた。なんか辛いことがあると、それを読むとなんかポパイのほうれん草だって」
久保利「ほぉ」
堀「言ってんですけど。で、この本(注:堀威夫氏執筆『いつだって青春』)書いた時は還暦だったかな、タイトル何にするって言われて、この、僕、会社中にこの「青春」の詩は貼ってあります。僕「青春病患者」って言ってるんですけど」
久保利「そう、還暦ですよね。い文庫本でも出てるよね。すごいベストセラーでしょ」
堀「いや、そんなことないですよ」
堀「久保利さんご存知か知らないけど、松下幸之助も隠れたファンですね」
久保利「あの人は、いかにもそういう感じしますね」
堀「サミュエル・ウルマンっていう人の80歳の時の誕生日に作った詩なんだよこれは。ウルマンの孫っていうのが、たまたまアメリカの独立系の映画会社がつくってる協会のメンバーだった」
久保利「へえ」
堀「で、日本へ来て偶然、僕はたまたま、この青春っていう詩を教えたっていうか、情報提供した石田達郎っていう、後にフジサンケイグループの大番頭になる人」
久保利「そうですね」
堀「彼が、日本の映画祭のプロデューサーで、そういう関係で会った。実は自分の祖父だと。彼も縮小版をいつもふところに入れてたんですね」
久保利「へえ」
堀「そういうことで感動して映画祭がうまくいったっていう説があるんですけど」
久保利「なるほど、なるほど」
堀「そこですっかり打ち解けて、ハリウッドに入り込めたって石田さんが」
堀「、青春っていうのは、どっちかっていうとアメリカより日本にファンが多い。隠れたファンがものすごく多い。石田さんが僕と同じように「青春病患者」になった」
久保利「(笑)」
堀「ある日、赤坂のあの、東急でやってるホテル、いまはなんて名前だったかな。新宿に移った、アメリカの」
久保利「ヒルトン」
堀「ヒルトンだったんですね。ヒルトンでパーティーやったんです。「青春」の」
久保利「へええ」
堀「そうしたら、松下幸之助さんが、たまたま当時お体が悪くて、お孫さんの松下正幸さんが代理で出席したですけど、揮毫で青春の字を書いた松下幸之助さんのあれ、もらいましたよ」
久保利「だからね、そういう成功した老人っていうのはみんなウルマンのこれ(「青春」の詩)好きなんですよ。好きだし自分もそう思ってるし、ああ俺の心のありようを書いてくれた詩だってみんな嬉しがる。問題があるのは、それを嬉しがらない人がそれなりに数がいてですね、ひがみ根性でそんな歳になってなんとかでっていう人は」
堀「(笑)」
久保利「(笑)さっきの運じゃない、ハッピーかどうかっていうのを考えてみるとね、あんまりひがんだり斜に構えたりする人よりは、真正面から受け止めて、そうだ俺もそうだろうっていう、そういうまさにそれは青春時代ってそうだと思うんだけど、あんまり、こうひがんだり、やっかんだりするっていうのは、何かやっぱり、ある意味でいうと、年寄りが考えそうなことだよ。素直にこういうふうにやっている限りは、青春だと。思いますけどね。素直がいいんですよ。ありたいようにあるっていうね。ありたいようにあるから、みんなあれじゃないですかね、きっとある意味で言うと成功した経営者って、みんなこれ好きじゃないですか」
堀「多いですよ、ほんとにファンが」
久保利「ねえ」
堀「そのときダークダックスが、歌までつくって、レコードまで出しましたよ、当時ね」
久保利「なるほど」
【堀威夫 PROFILE】
株式会社ホリプロファウンダー
1932年 生まれ(申年)
学生時代から、ワゴン・マスターズ、スウィング・ウエストなどでバンドマンとして活躍
1960年 有限会社堀プロダクション設立
1963年 株式会社ホリプロダクション(現 株式会社ホリプロ)設立
1997年 ホリプロ、 東京証券取引所市場第二部に上場
(2002年 東京証券取引所市場第一部に指定替、2012年 MBOにより上場廃止)
2020年 ホリプロ ファウンダー最高顧問を退任
舟木一夫、山口百恵、和田アキ子等多くのアーティストを育てる
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