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『物欲に酔いすぎているひとは経営者のトップにいるべきではない』久保利英明×斉藤惇

久保利英明×斉藤惇
(日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー/KKRジャパン KKR Global Institute シニアフェロー)対談Vol.4

斉藤「社長とかいうのも、これは単なる会社の呼称、タイトルであってですね。それ自体が偉いわけでもなんでもないという風に思います」

久保利「いつもおっしゃってますよね、CEOが決断をして、断固として不浄の金はいらねえと言えば、悪いことをするやつはいないんだと」
斉藤「絶対そうですよ」
久保利「ね」
斉藤「はい」


久保利「今も昔も不祥事が後を絶たない。その原因は、結局はそこのトップがそういう人物でないから起きるんだということですかね」

斉藤「そうですね。上場会社見てると、一般論ですけども、やっぱりオーナー会社のほうが非常に経営はしっかりしてる」
久保利「しっかりしてますね」

斉藤「それはもう本当に必死なんですよね。リスクをとるにあたっても、とらないとダメだけど、とるならこうだというのありますし」
久保利「とりすぎてつぶれても大変なことになるしね」


斉藤「命がけでやってるんですよね。ところが、サラリーマン経営者の会社と言うと、まあこんなこと言うと悪い、全員というわけじゃないけれど、かなりがですね、自分のタームをどうやって終わろうか。その後会長になって、できたらそのあと顧問ぐらいで」
久保利「ねえ(笑)」

斉藤「私は社長が終わったら辞めてほしいんですね、会社は。さようならと言ってですね」

斉藤「そういう点では、川村、日立の川村さんが」
久保利「そうですね」
斉藤「ぱっぱっと去られた。川村さん、素晴らしいと申し上げたんですけど」

久保利「日本取引所も斉藤さんは会長にならずに、すっとひかれて社長をお譲りに(笑)」

斉藤「私はそういう意味のないタイトルに座ってると、ちょっとノイローゼになっちゃうんですね(笑)」
久保利「(笑)」


斉藤「ようするにもちろんそういう、だけど、どういう価値があるんでしょうね。会長とか相談役、特に相談役とかね」

久保利「何の意味もないと僕は思いますけどね」
斉藤「結局自分の」
久保利「禄を食んでるだけですよ」
斉藤「でしょ。だけど、そんなことしなくたって食えるですよ、そういう人たちは絶対に」
久保利「(笑)」

斉藤「そんなガツガツしてもっていくわけじゃないんだし、あの世に」
久保利「そりゃそうです」

斉藤「だからやっぱり日本に禅宗みたいなね、すっきりした宗教、キリスト教も基本的にはそういうところありますが、

やっぱりね物欲にねちょっと酔いすぎてる。

しかも、会社というのはまったく公的機関であって私的なものじゃないですよね。まさしく多くの人も働き、税金も納め色々ありますから。釈迦に説法ですけども。だから公的機関、役所を動かしてるのと同じなんだから、そこが終わったらさようならだと思うんですよ」
久保利「当然ですね」

斉藤「だけどそこへいつもしがみついて、某日本を代表する会社で30何階に行くと、ダーッと元相談役がおられましたが」
久保利「(笑)そうですね」
斉藤「見事にその会社ガタガタになってしまいましたね」
久保利「なりますよね」

斉藤「いつこの会社ガタガタになるのかなと思ったら、本当に早くなりましたね」
久保利「あっという間でしたね」

斉藤「あっという間でした。だから、ああいう方々は、部屋、車、秘書とおっしゃるんです。なんでそんなのが必要なんでしょうね」
久保利「(笑)」
斉藤「自分の家から杖ついて出てきてもいいじゃないですか。まあ車はね、場合によっては配車してもらえばいいんであって」
久保利「うんうん」

斉藤「そういうことに価値観を求める人たちが、日本を代表する会社を経営するのは止めてほしい。はっきり言うと」
久保利「なるほど」
斉藤「ええ」

久保利「それがガバナンスだったんですけどね。コーポレートガバナンスは、そのためにそういう人たちを」
斉藤「だから、久保利先生みたいに、今でいう社外のですね、アドバイザー、取締役の方々はそれをね「社長あなた辞めたらそこで終わりですよ、さようなら」というふうなことを言ってほしい。だけどなかなかそういう社外取も」
久保利「いや、それが仕事ですよね」
斉藤「ねえ」

久保利「究極のお仕事はね、この人いつ辞めてもらうかと。その時に言うって」
斉藤「おっしゃるとおりです」
久保利「言うことがね、最大の会社を守る方法になると思いますね」

斉藤「それがないと社会の構造が、役割がちゃんと務まっていかない。自分たちの利権だけの集団がこう」
久保利「ねえ」


斉藤「要慮よくやったところがなんかいつまでもいると。だけど、これ続きませんからね、見事に」
久保利「もうあっという間ですよ、今の時間」
斉藤「見事にそう」


久保利「時間軸がすごく短くなってるから、つぶれるときは、あっという間ですよね」
斉藤「ええ。問題を起こしている会社みると、ほとんどそうですね。ようするに私利私欲で経営をやった。自分の名声だけで経営をやった。というところは必ずダメになりますよ」

久保利「結局はでも平成の30年間、令和も含めてずっと日本が伸びてこられなかったのは、平成三原則ってご存知ですか。すごく面白い。ようするに「今だけ、金だけ、自分だけ」という、この」
斉藤「ああ、なるほど」
久保利「この3だけ」
斉藤「それはそのとおりですね」

久保利「この原則をね、みんなが持ってる限りはね、ましては偉い人が持ってたらね、国はもたないですよね」

斉藤「やっぱりだけど日本、ちょっと色々問題はあるにしてもですね、戦後、戦前にしてもある程度、社会、世界から窓を閉ざしてたにもかかわらず、こうしてきたっていうのは、そのへんを、私を殺してでも公を大きくしようとかね」

久保利「公というですね、パブリックということだね」
斉藤「そういう精神の人たちが」
久保利「ありましたよね」

斉藤「やってきてね、なったんだと思ってます。だからそういう人が政治をリードし、政治というのはそういうもんじゃないのかもしれませんけども、しかし、ほんとうに政治家の上になるとやりがいあるんだと思うんですね」
久保利「いやあ、今あるでしょう」
斉藤「俺の屍を超えていけっていうね」
久保利「どんどんね」
斉藤「ねえ。思い切ってやろうというのね、できないんでしょうか」


久保利「それができないっていうのは、とにかく斉藤さんの人気のある理由でもあるわけですけど」

斉藤「いえいえ。もうもう墓穴に近いですから、そういうことはないんですけども」

斉藤「この国の将来というものを日本人としてですね、考えざるをえない。

隣の韓国なんかもいろいろ辛酸をなめたこともあって、パーフェクトじゃないですけど、かなりそういう(教育に重きを)おいてますし、

中国はもちろんああいうちょっと体制上の問題はありますけど、教育をね、かなりそういうところにおいていってるし、

そういう教育をしていないようなアメリカも先ほど言うように宗教がベースに、バックにありますので、家庭教育というのは非常に厳しい。特に、いい学校」
久保利「いい家庭ね」
斉藤「いい家庭の教育というのは、非常に厳しい教育しているわけでしょう」
久保利「そう思いますね」

斉藤「ええ。だからそういうのをちょっと日本は僕は子どもを甘やかさないでほしいと」
久保利「なるほど」
斉藤「だから、さっき言うように若い人、子供、電車の中でみんな立ってろって(笑)」
久保利「立たせろ」
斉藤「これだけでも、僕はね」
久保利「いいことですね」
斉藤「これをみんながそうだ。という国になったら、それだけでも違うと思うんです」

久保利「なるほど。じゃあ教育っていう話になって家庭教育。ご両親は、どんなご両親でしたか」
斉藤「こと自分のことになると、愕然ダメですけど(笑)」
久保利「(笑)いやいや」

斉藤「僕は親父は、元々は商社にいたんですけど」
久保利「学校の先生におなりになったんですよね」

斉藤「学校の教員になったほうが、なってからの方が長くて。しかも、京都の人間だったのを熊本へ行って伯父貴、伯父が熊本にいた第6師団の陸軍にいたもんですから。それで行ったらしいんですけど、あんまりよく知りませんけど。親父もですね、なんとなく自分を見ると、同じような流れがあったかなと思います」
久保利「なるほど」

斉藤「我々の時は戦争中ですから、親父、熊本の女学校の校長なんかやってて、あの当時は女学生かわいそうで、ジュラルミンで飛行機を作ってたんですよ」
久保利「はあ」

斉藤「ジュラルミンで偽の飛行機作るわけですよ」
久保利「偽の飛行機」
斉藤「そこに爆弾を、なんか悲しい思想でしょう。爆弾を落とさせるために、夜ジュラルミンを運んできて、切れるんですね、手が」
久保利「ああ」

斉藤「まだ今で言うと中学生、高校生ですよね。あの子たち、私にとってお姉さんの、そこで校長やってて兵隊も入ってるんですね、学校にはみんな兵隊が入ってましたから」
久保利「兵隊ね」

斉藤「ところがね、兵隊というのはね、戦線に行っておられる方々は大変だったと思うんだけど」
久保利「そのへんのね兵隊は」

斉藤「国内にいた兵隊というのはね、もうね、もう白米は食べるしね、缶詰みたいなのあるしね、すごかったですよ。芝居をしたり、そんなことばっかりしてる。それで、夜になると、女学生たちに「コラーッ」とか言いながら、飛行機を作らせる。夜、たき火をして、たき火というかご飯を炊いてた。親父が、怒鳴りこんで、当時、軍人になかなか学校の校長先生といえどもね」
久保利「怒鳴り込まない(笑)」
斉藤「「なにしてるんだ」っていって」

久保利「そりゃそうだね」

斉藤「怒鳴り込んでいってね、司令官を怒ったり。逆なんですけど。本当は危ないんですけど。そういうことをやってた親父だもんですから、なんかちょっと、とにかく曲がったことは嫌い(笑)」
久保利「ああ、そういうご性格」
斉藤「ええ」


久保利「お母さんというのは、証券投資をしてたとかって聞いたけど」
斉藤「ああ。僕のおふくろはですね、なんというか、わがままな一人娘で育ったんだと思いますけどね」
久保利「ほお」
斉藤「踊りとかそんなことばっかりやってましたから」
久保利「なるほどなるほど」

斉藤「だから、なんだか知りませんけど、証券投資が好きでしたね」
久保利「お金持ちのいい家の子だったんですね(笑)」
斉藤「いやいや(笑)金がないから金を作ろうと思ったんだと思いますけどね。普通のサラリーマンのあれですよ、はい。ただ、教育者だったもんですから、学校の先生だけじゃなくて、県の教育長とかそんなのやってましたんで、先生方のあれも見て」
久保利「なるほど」

斉藤「こんなこと言うとあれだけどね、先生方、県庁の偉いさんになると、付け届けがくるんですよ、すごくね」
久保利「ほおほおほお。来るでしょうね」

斉藤「親父はね、これを一切受け取らなかった。

それでこんなこと言うと悪いんですけど、先生方もね、いろいろお盆だなんだ、お中元だと。僕にね返しに行かせるんですよね。自転車しかないころにね。こっちは受験勉強もしてるときにね。返して来いとか言ってね。これがかなわなかったですね。

僕は、一回先生が、親がいないときに来られて「これを」と、置いて行かれた。「あ、先生、これ持って帰ってください」って言って」
久保利「「私が運ばされますから」って(笑)」
斉藤「言ったことがあるぐらい、そういう付け届けというのを一切うけとらない親父でしたね」

久保利「ところで斉藤さんは、農作業というか、好き、ご趣味でもあるわけですか」
斉藤「そうですね。趣味なんですね」

斉藤「これはなんというんですかね、なんだろう、体が勝手に動いちゃうんです、そこへ行くと」
久保利「ほお」

斉藤「朝パッと太陽見たら、あ、庭に出なくちゃと」
久保利「なるほど」
斉藤「完全に思っちゃうし。なんかあんまり意識がないんですけど、パーッと緑の芽なんか出てるときれいだなあと思っちゃう」
久保利「やっぱり自然児なんですね」
斉藤「ええ。そうですね」
久保利「そういうところでね、動きたいんですよね」
斉藤「ええ」

久保利「それがやっぱり、あれですね秘訣ですね、斉藤さんのストレス解消というか」
斉藤「ああ。ストレスは、元々あんまりないほうなんですけど(笑)」
久保利「(笑)」

斉藤「ストレス解消かもしれませんね。もう仕事はほとんど終わろうと思いますので、終わったら、もうこの庭だけで」
久保利「なるほど」
斉藤「一番理想は、庭でなんか熱射病かなんかでポテッと逝くとか(笑)」
久保利「熱射病(笑)は、まずいでしょうけども、いやあまあ」
斉藤「いやあ幸福だと思いますね」

久保利「あと20年ぐらいはダメでしょう(笑)」
斉藤「いやいやいや(笑)」
久保利「頑張ってください(笑)」
斉藤「(笑)」

久保利「いや僕ね、やっぱりおうぎみながら、仰ぎ見ながらね、やっぱり斉藤さんみたいに」
斉藤「とんでもないですよ」
久保利「なりたいなあと」
斉藤「いえいえいえ」
久保利「いうふうにずっと思ってますから」

斉藤「いやあもうほんとうに、自分で考えると野村證券のままずっといたら、また違う人生でしたでしょうし。野村がああいうことに思いがけなくなって、それから仕事5つぐらい変わってますのでね」
久保利「そういうことですよね」
斉藤「はい」

久保利「しかも証券業界とは縁を切ったはずなのに、また証券業界に戻ってくる」
斉藤「いや本当です。私も1回完全に縁を切るって言って、東証に来ないかとそれこそ西室さんとかなんかに色々声かけられたときに「いやあもう、日本橋兜町方向はもう勘弁して下さい」と言って、ずいぶんお断りしたんですけどね」

久保利「でもまあ斉藤さんがいたんでJPXもやっと総合取引所になったし」
斉藤「いえいえ」
久保利「いろいろ日本のためには良かったんじゃないですか」

斉藤「定めですね。自分でどうなんでしょう。これ本当に神様がこうやって創っていくんだろうなと思いますよ。やっぱりその神の試練というものに対しては応えるしかないなと逃げちゃいけないということで」
久保利「逃げなかったですね、斉藤さんは」

斉藤「逃げたら悲惨だろうなとは思いましたんで。これも試練だと常にそういうのは、夜寝るときに「明日、検察庁にまた呼ばれてるけど、これも試練だなと。なかなか経験できないぞ」なんて思いながら(笑)」
久保利「(笑)やっぱりストレスが少ないわ、それじゃ(笑)」
斉藤「(笑)」
久保利「たいしたもんだ」


斉藤「やりましたね。もう、あれです、本当に若い方にいい国にしてもらって、いい生活をしてもらいたいと思うんですよ。いい生活というのは別に贅沢じゃなくていいから、精神的にも非常に安定したね、いい国であってほしいと思うんですね」

久保利「なるほど。そういうことですね。はい、ありがとうございました」
斉藤「どうもありがとうございました。勝手なことをべらべらと」
久保利「恐縮でございます」

【斉藤惇 PROFILE 】
日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー/KKRジャパン KKR Global Institute シニアフェロー

1939年生まれ
慶應義塾大学商学部卒業

野村証券株式会社代表取締役副社長
住友ライフ・インベストメント株式会社代表取締役社長・会長等を歴任
2003年4月~2007年5月株式会社産業再生機構代表取締役社長
2007年6月東京証券取引所の代表取締役社長
同年8月株式会社東京証券取引所グループ取締役兼代表執行役社長を兼任
2013年1月~2015年6月
株式会社日本取引所グループの取締役兼代表執行役グループCEO
2015年8月
KKRジャパン会長
2017年11月
日本野球機構会長
2017年12月
KKR Global Institute シニアフェロー就任

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