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逃避の散歩 47.桃園川

仮囲いのせいでかなりがっかりなスタート地点だ。

ここは杉並区立天沼弁天池公園。今回歩こうと思う暗渠である桃園川のスタート地点だ。この右側に出入口の門があるが、そこも仮囲いをされていて風情がまるでない。

この公園が桃園川の水源があったとされている場所で、詳細は検索していただくとわかるが、1975~2007年ごろまでは私有地になっていて、その所有主にまつわる話題がいろいろあったことでも知られている。

その後ここが公園として整備されてから一度だけ来たことがある。園内にある杉並区立郷土博物館分館があり、旧杉並公会堂で1回だけ収録されたという『8時だヨ! 全員集合』の資料が展示されたときだ。

ここでボケっとしてないで歩き始めようか。この仮囲いに面した住宅の間に人が2人横並びになると塞がるくらいの道幅が狭い道が通っている。車輪止めのポールが立っているので暗渠道なのがわかる。

その狭い暗渠道を進むと突き当りで広い道に出る。やや左前に天沼もえぎ公園が見えたら左へ。道は車道と歩道がそれぞれ色分けされていて、車道は赤で歩道は緑だ。

最初の角で天沼八幡通りと交差する。この通りは左へ行けばその名の通り天沼八幡神社があり、右を進めば天沼橋のたもとにある荻窪駅前入口交差点(29回)へ出る。

前方の車輪止めがある茶色のタイル敷きになった先を進み、次の車道と交差する十字路の手前で銭湯の煙突が見える。それとほぼ同時に雨が降ってきた。雲行きが怪しかったので折りたたみ傘を持ってきてよかった。

6分経過。再び車道と並行しながら緑道が続く。左側に保育園が見えてきたところで左に曲がり、両側を道路に挟まれて中央分離帯のようになる。その間は道が細かく左右に蛇行している。

谷端川緑道(39回)など、暗渠道で細かく左右に蛇行させた整備をしているのは何か意味があるのだろうかと思っていると、再び車輪止めが見える。それを越えてまた住宅地の間を抜けていく。

16分経過、松山通りに出る。二つの商店街が繋がっている長い通りで、この暗渠から見て右(南側)へ進むとJR阿佐ヶ谷駅の北側へ行け、左(北側)へ進むと中杉通りと合流して早稲田通りと交差する。

この通りを横切り、1分ほど進むと中杉通りに出る。

中杉通りは都道427号瀬田貫井線の一部で、この通りの起点は青梅街道の杉並区役所前交差点。東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅がこの交差点の真下にある。JR阿佐ヶ谷駅(29回)の高架下と、西武新宿線鷺ノ宮駅(46回)の踏切を通過する。

ここは計4車線ある広い区間なので、当然だが歩行者横断禁止の標識がある。左側にある横断歩道を渡って先の道へ進む。この辺りは学生時代によく自転車で通っていたので懐かしい。

最初左へ蛇行しながら進み、次の十字路から南東方向へ左右に蛇行しながら3分ほど進んだところで突き当たる。そこから右へ入ると再び道幅は狭くなり、総合病院の脇を抜けつつ、車輪止めによる突き当りまで進む。

25分経過、車輪止めと超えるところで道は阿佐ヶ谷けやき公園前に出る。奥に以前下を通り抜けたJR中央線の高架(29回)が見える。商業施設「al:kuアルーク阿佐ヶ谷」があるところだ。阿佐ヶ谷区民センターを含め、あの時は完成していなかった。

暗渠の続きはあの高架を抜けた先にある。

1分くらい進んで高架下を越えたところで「桃園川緑道」の始点になる。学生時代に高円寺方面へ自転車で行く際によくここを抜けて、すぐ先にあるこの緑道と合流する道へ抜けていった。とはいえ、当時はここまで整備されていなかった記憶がある。

実は、ここが緑道の始点であり、かつ緑道だったことは最近になって知った。もちろん、この先の緑道となっているところを歩いたこともない。それが今回の歩く決め手の一つとなった。ここからさらに河口となる神田川の合流地点まで歩こうと思う。

しかし、先日妙正寺川(4546回)を歩いたばかりなので、神田川と合流する川が被ってしまった。

入ってすぐのところで「旧西原橋」と刻まれた石柱と亀のオブジェがある橋跡に出る。少し先に案内図があるので見ると、杉並区内の緑道の橋跡が記されていて西原橋跡から中野区の境まで22の橋跡があるそうだ。ちなみに、よく通っていた道はこの右側にある車道だ。

住宅街の間に入り、次の宮下橋跡から一直線で馬橋、内手橋、東橋、八反目上橋、八反目橋とほぼ1分間隔で橋跡を通過していく。各橋跡と交差する車道は車通りもなく、また緑道も人通りも少ないのでスムーズに進む。

36分経過、宮橋跡を通過する所で雨足が少し強くなってきた。この橋の左右を見ると、左はJR高円寺駅方面のアーケード商店街であるパル商店街、右は東京メトロ新高円寺駅方面の商店街パル商店街と二つの商店街の境を抜けていくことがわかる。

この通りを挟んですぐのところに公衆トイレがある。ちょうど用を足したかったのでここでしばしトイレ休憩。

トイレを出て1分ほど歩いて40分経過、宝下橋跡に出る。この橋跡を横切るのは高南通りといい、先ほど通過したパル商店街と同様、JR高円寺前に通じている。

夏に「東京高円寺阿波踊り」が行われるとパトカーで封鎖されるのが風物詩みたいなものだった。自分は人混みが嫌いなのでその時期に高円寺へ行くのを避けているが、そんな風景が楽しみな人のために戻ってほしいとは思う。

道幅が広く車通りが多く歩行者横断禁止の標識がある道なので、素直に左側にある高円寺南四丁目交差点の横断歩道を渡って先を行く。

緑道の続きに入ると車道と並行しながら、氷川小橋、氷川橋、西山谷上橋、西山谷橋と4つの橋跡を進み、そこからは車道と分かれて住宅街の間を通り西山谷小橋跡と中島橋跡を過ぎていく。

48分経過、緑道の入口からから数えて16番目の橋跡である高円寺橋跡。ここで環状七号線と交差する。出て右側の歩道橋を通った方が早いが、少し前から左足首に違和感があって大事をとるため左側の高円寺南五丁目交差点の横断歩道で信号待ちをして渡る。

それから中山谷橋、中山谷下橋、谷中橋、谷中下橋、稲荷橋と5つの橋を過ぎて57分経過、緑道として整備されている杉並区最後の橋跡である東山谷橋跡を通過。ここから中野区に入る。車輪止めの形状が手前(杉並区)と奥(中野区)で明らかに違うのが目印になる。

それから竹橋、鳥見橋と二つの橋跡を通過。鳥見橋はこの緑道を歩こうと思ったきっかけの一つでもある。ある日環状七号線から中野方面へ歩いた時に大通りを避けるようにして進んだ道がこの橋跡を渡っている道で、どう繋がっていてどのような風景なのだろうとその時から思っていた。

1時間2分経過、都道433号線・大久保通りを通す宮園橋に出る。階段かスロープを少し下るようになっていて、先はガードレールとガードパイプで遮られているので左側にある宮園橋交差点の横断歩道を渡って先を進む。少しだけ段差を付けた道になっていて左へ大きく曲がる。

1時間5分経過、先の道が塞がれているのが見える。近づいてみるとこの先の中野通りを通す桃園橋跡を撤去する工事の案内がある。1年ほど前だがそのときはまだ橋跡は残っていたのを覚えている。

仕方がないので、緑道を左に外れてから右折し中野通りに出て中野五差路交差点の横断歩道を渡り、橋跡と交差点の間にある道を入る。数十メートル進んだところで緑道の続きとなる橋場橋跡に合流し、ここからは大久保通りと並行するように進む。

そして北畑橋跡、かみみやはし跡の直線を過ぎ、はし跡で右へ蛇行し、はこせきはし跡で少し左へ蛇行が始まり、かみちょうばし跡から再び直線となる。橋跡には基本的に漢字と読み仮名の橋名板があるので、同じ漢字でも読みの差異を見つけられたときは少し面白く感じる。

1時間17分経過、せんはし跡に出る。青梅街道からやってくる車が多いためガードパイプが置かれている。右側にある横断歩道を渡ってから先を進む。少しだけ雨足が強くなってきた。

少し右に蛇行したところで北裏橋、直線が仲園橋まで続き、げん堂橋で左右に蛇行する。金渓橋を越えたところで右側に公園が見える。

公衆トイレ近くの看板を見ると、「宮前公園」と書いてある。この時点で1時間25分経過。何はともあれ、先を急ごう。

少しだけ右左と蛇行して金剛橋跡、そこから宝仙橋跡まで直線となり、左に折れて宮前橋、東雲しののめ橋、各橋跡を一直線で通過する。

塔ノ下橋で下を通る幹線の水位を知らせる表示板を見る。都内の暗渠でこのようなものがあるのは今のところここしか知らない。

塔ノ下橋を越えてすぐの1時間34分経過、山手通りと大久保通りが交差する宮下交差点に出る。位置的に考えてこの辺りにも橋跡がありそうなのだが、信号が青なので変わらないうちに進んで続きの道へ移動する。

中野区立塔山小学校の前を抜けると立田橋、戸井橋では左の信号の横断歩道を渡ってから進み、睦橋から下り緩い坂になり、小淀橋で左へ蛇行し、田替橋を越えて左右を植樹帯に挟まれつつさらに左へ曲がる。

1時間43分、神田川との合流地点である末広橋前の広場に到着。時計塔のそばにかぐや姫の『神田川』の歌詞が1番だけ刻まれた歌碑がある。昔、伊勢正三が実家の近所に一時期住んでいたな。その住んでいた物件は後に壊されて今はもうないけど。

せっかくなので、神田川との合流口を見ていくか。

末広橋が架かる大久保通りに出て、左側の横断歩道を渡ってから神田川を少し北側へ進み、最初の柏橋の新宿区側のたもとまで移動する。

末広橋の下、右側に見えるのが合流口らしい。

厳しい上り下りがなくて、雨の日でも歩きやすい道だった。とはいえ、左足首の調子が悪くてあまり速度が出せず思ったより時間がかかってしまった。大久保通りに戻ってJR大久保駅まで行き、そこから電車に乗ろう。