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写真好きがフォトグラファーとしてご飯が食べられるようになるまでの全記録|1日目

一人でも多くの人に、その人自身のこと(=自分)を大好きになってほしい。

そのために僕はカメラを使って人を撮り続けていきたい。

それは自分勝手に振る舞うということでもなければ、自己中心的という意味でもないし、自分のいい部分だけを過大評価するナルシシズムとも違う。

僕の場合は、日本一周、台湾一周の旅を通してたくさんの人と出逢い、その人たちを通して自分自身を見つめ、好きな部分も嫌いな部分、得意なことも苦手なことも見えた経験がある。

嫌いな部分は嫌いなままでいいし、苦手なことを無理に克服する必要はない。

ただ、受け入れる。

美しい部分も醜い部分も自分の一部として受け入れられたときに初めて見えるやさしい世界があると知ったんだ。

そんな風に自分のことを受け入れられる人や瞬間が増えたら、きっとこの世界にある悲しい争いごとや自分自身を含めたいじめは減っていくと思う。

僕とカメラとの出会いついたり離れたり。でもやっぱりそばにいる。

小学生のころにお母さんに貸してもらったカメラ付き携帯電話で写真を撮るのが好きだった。

思春期に入って自分のことも人のことも見たくなくなったとき、写真を手放した。特に写真を撮られるのが大嫌いだった。

高校生のころは、スマホで撮った友だちの写真を当日流行っていたアニメ風にアプリで加工して笑ってもらうのが好きだった。
あいかわらず写真を撮られるのは苦手だったけれど、僕が作ったもので楽しんでもらえるのがうれしかった。

自分の進路を真剣に考える時期になって、自分がどう生きたいのか考えた。
ひたすらに考えたし、親とも何十時間そのことで対話を重ねたかわからない。

結論、限られた視野しかもっていない18歳に自分が人生をかけて追求していきたい人生のテーマなどわからなかった。

でも、写真や映像を扱う世界に惹かれて広告や映像を作る学部を受験した。

必死に勉強したけれど、僕がその大学に行くことはなかった。
縁があって東京のとある大学で社会心理学を学ぶことになり、また写真のことは忘れ去ってしまった。

こんな感じでくっついたり離れたりしている僕とカメラだけど、社会人生活が三年目に差し掛かった2021年ごろ、お世話になっていた方から離れ旅に出た。
移動手段も計画も貯金もない、行き当たりばったりの旅だったけれど、唯一もっていると言えるものは仕事がリモートワークになってから始めたウクレレと旅立つ前に友だちからもらった小さなミラーレスカメラだった。

それからまた、旅先で写真を撮ることになった。

撮った瞬間の写真はありのままの世界そのもの。

写真というものはたいてい、よく撮れているものだけが表に出るし、うまく映らなかったものは撮った方も撮られた側も出したくないから、いい部分だけがフォーカスされる。

でも撮った瞬間の写真を見てみれば、撮る人や撮られる人の意図をいくら込めても、たいていは思ったとおりには撮れていない。

逆に言えば、写真は僕たちのありのままの姿を教えてくれるものなのだと思う。

「私ってこんな顔してご飯を食べてるんだ。」「自分が目を瞑ったところをちゃんと見たことなかったな。」 「この顔、不細工だけど楽しさは伝わってくる!」といったように(笑)

なんかいいね、と多くの人が思う写真はそんな人間らしい姿が映し出されたものなんじゃないか。

くすっと笑えたり、ときには隠したくなるような自分の知らない自分に出会える。

そういうわけで、僕はやっぱり写真という道具が好きなのだ。

これから、一ヶ月かけてただ写真を撮る人から生業として写真を撮る人になっていく。

これは、もうすでにそうなっている人の成功ストーリーじゃない。

今からなっていくんだ。

そんな旅路を、縁のある人たちと共に歩み、その先に見える世界をファインダー越しに写してみたい。

目指すところは明確だ。

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noteを読んでくれてありがとう! 僕らしく、優しさのリレーをつなぐよ。