見出し画像

僕にしか表現できない珈琲を求めて

衝撃の南部鉄器の出会いから1ヶ月後、僕たちは盛岡の地に降り立った。東京の茹る暑さから一転、程よい暑さと澄み渡る空気が身体中に染み渡る。前回の南部鉄器との出会いを書き記したnoteはこちら。

WAGYUMAFIAの浜田のアニキと事前に下調べをして、2つの工房を訪れることにした。ひとつは浜田のアニキが見つけ出し、ひとつは僕が直談判で訪問の許可を得た。二人とも南部鉄器が欲しくてウズウズしていたし、欲しいと思ったものは是が非でも掴みに行くタイプなので、結果として素晴らしい工房を訪れることができた。

江戸時代に南部藩の城下町だった盛岡は、古い建物が並ぶ風情あふれる街並みだ。戦火を免れたこともあり、100年を越す古い建物があちらこちらにある。そもそも南部(岩手県盛岡地方)で南部鉄器が発達したのは、材料の鉄、鋳型を作る良い砂、木炭が全て揃う環境だったから。南部藩(盛岡藩)の庇護もあり、江戸初期から約400年続く伝統文化となったそうだ。

あれこれ思索に耽る間に目的地に到着した。漆喰の壁に暖簾が似合う建物が、釜定さんだった。真っ先に目に飛び込んできたのは、凛としてディスプレイされている美しい南部鉄器の数々と、見るからに温厚そうな釜定の3代目宮伸穂さんだった。

宮さんは、和銑(砂鉄を精錬して作る日本の古来の鉄)を使って鉄器を作る数少ない職人だ。和銑については出雲にまで出向いて学んできたので、これについては後日まとめようと思う。

和銑は洋鉄と比べて、圧倒的に錆びにくく、湯質も全く違うと説明を受けた。そもそも、そう簡単に原料の和銑を手に入れることができないし、和銑を鉄瓶にすること自体が難しいそうだ。数百年前から日本人が使い続けてきた和銑、それ即ち日本の伝統技能そのものではないか。

ここまで説明を受けた時点で、僕も浜田のアニキも即購入を決意した。値段はどうでも良い、というかこの価値はプライスレスだし、宮さんの心意気に惚れた。ひとつの「道」を極める方の至極の作品を体験してみたい、とワクワクしている。未だに完成を待っているのだが、到着が待ち遠しい。

次に向かったのは、寛永2年創業の鈴木盛久工房。15代続く南部鉄器の名門であり、今も懇意にさせて頂いている次代当主の鈴木成朗さんが工房を案内してくださった。ちなみに、成朗さんはAppleの広告にも出演しているが、その広告が最高にクール。

実は母が以前、盛岡を訪れた際に美しい毛毱鉄瓶を購入していたのが、それは鈴木盛久工房の作品だった。その縁もあって、快く工房の訪問を許可してくださった。

まずは工房を見学。霰を打つ際に響く金属音が心地よい。思い出す度に脳内に響くし、その音が僕に取っての南部鉄器となりつつある。鉄を溶かす作業を繰り返す影響か、天井は煤で真っ黒だった。こう言ってしまうと平易に聞こえると思うが、神々しいとはあの工房の雰囲気を指すのだと思う。

通常、鉄瓶はオーダーして数ヶ月から数年かかる。ただ僕らは今すぐ鉄瓶が欲しい。その空気を察した成朗さんが倉庫を探してくれて、僕にバシッとハマる鉄瓶を持ってきてくださった。松葉紋柚子型の鉄瓶だ。

画像1

僕の人生初めての鉄瓶 - まるで恋人との関係を育むように丁寧に育てている。この「育てる」は鉄瓶のキーワードなのだが、これについてもまた後日取り上げようと思う。

最近ようやく自分らしい味わいの鉄瓶になってきた。あれから出張以外欠かすことなく毎日鉄瓶でお湯を沸かす日々が続く。日々変わるお白湯の味は、コーヒーの味わいにも影響を与える。つまりこの味わいは僕にしか表現できない世界唯一の「珈琲」となるのだ。

まだまだO氏の鉄瓶の味わいに達していないが、いつか自分好みの鉄瓶に仕上がる日を夢見て、今日も鉄瓶に火をかける。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?