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DIME NOVELS ダイムノヴェル第二話

 あいつと会う為に、俺は久しぶりに鉄道に乗った。
目的の駅に着く既で、列車は地下に潜った。
不意に車窓が黒く染まり、窓に俺の顔が映った。
思っていたより長く、間抜け面に見えた。不安の色が見て取れた。
そんな顔を流れ込んできた駅の明かりが、断りもなくかき消した。
数年前に来た時とは違い、降りたのは地下駅だった。
街の中の踏切の数を減らす為に、どこの鉄道会社も高架か地下か、の二者択一を迫られ、この駅は交差する他社の線が高架を走っている為に、その身を潜らせるほか無かった。
見上げる事が出来なければ、下を向くしかない。生きづらい世の中だ。
真新しい改札を潜り、案内板もさして見ず、見えた出口から地上へと階段を上った。二度ほど折れると、矩形の中に太陽光が現れた。数分ぶりの日光だが、光合成の有り難みを知る俺は、思わず拝みたくなった。
階段を駆け上がる制服の女学生が数名、俺の脇を追い抜いていった。短いスカートだ。
適当にどこかの聖者の名前を付けた自称名門校のアバズレだろう。
恨み言を言いたいわけではない。のろのろ歩く俺が悪いのだから。
そう言えば全力疾走と言うものも、とんとご無沙汰になっている事に気づく。
追われる立場でなくなったのだ。追われる価値が無くなったとも言える。
階段を登り切り、這い出た場所は、丸で何処だか分からなかった。
狭い路地の入り組む駅前の雑踏は跡形もなく消え、地下への出入り口の前には、植木を背にして囲むように点在する円形ベンチの並ぶ広場に変わっていたからだ。
美大や音大に通う女子供が座るようなベンチの並ぶ風景。俺の知る駅前ではない。もっと小便臭かったはずだ。
辺りを見回し、以前から残る高架鉄道を目安にあたりを付け、目的の場所へと歩を進めた。
ムショに入っていた間、ずっと行くと決めていた場所だ。迷うはずはない、と思っていたが、まさか俺の頭の中よりも、街の方が先に変節するとは思ってもいなかった。
高架鉄道沿いを歩いた。
アスファルトとコンクリートの道だが、泥濘を歩いているようだ。太陽は上がっているはずだが、ずっと日陰だ。隙間のないビルと高架鉄道は、俺を陽光から遠ざけ、轟音だけを頭上からくれた。温度も少しばかり低い。肌寒くさえあった。
これは季節を鑑みない薄着の所為でもある。ムショ帰りにコーディネートなんて言葉はない。入る時に着ていた格好だ。七年も前の話だが、あれは6月だった。今は秋の終わりだ。もう一枚は欲しい。
自然に、背を丸め歩く格好になった。チンピラのそれだ。自戒した。ムショから出ても、俺の世界は反転していない。
何本目かの列車が頭上の高架を通り過ぎ、自分も行き過ぎていた事に気付いた。昔馴染みのお巡りに車の中から声を掛けられ、五分ばかりの立ち話を強要されたのもあり、知らぬ間に通り過ぎてしまっていたようだ。角に、見覚えのある花屋を見つけて引き返した。
あそこで花を買い、通っていたのだ。あの女の許へ。
二筋ほど戻って見つけた件のアパートメントは、記憶の中にあったものより古ぼけていた。住んでいる女も、その分、古ぼけているという事か。
集合ポストを検め、ポスティング業者の勤勉さだけを確認し、ガタのきたエレベーターを使い、四階まで上がった。
結論を言う。居なかった。留守ではなく、もう此処には住んでいないのだ。眠そうな顔の若いが、くたびれた男に「二年前に越してきた」と訊きもしないのに吐露された。どうりでムショで書いた手紙も、送り返されるわけだ。
ついでに家賃も訊いてやろうか、という衝動にも駆られたが、訊いたところで払ってやるわけでもなし、対応してくれた今の住民にフルスロットルの笑顔を送り、丁寧に辞した。
人相の悪い俺が、薔薇の花束を持って現れたのだから、面食らった事だろう。
相手が若い女なら、そのまま呉れてやったのだが、ミュージシャン志望を長らくやっていそうな男だったので、花束は俺の手の中のままだ。
当てが外れた。取り敢えず、膨張した欲望を処理しなければならない。昨日今日の欲望ではない。七年分の欲望だ。手淫では駄目だ。膣で果たさなければならない。コンドームすら余計だった。  
だが相手がいない。七年の歳月は、口説く女すら失わせる。あの部屋で、女が扉から顔を突き出した途端、伸し掛ってやろうと決めていたのに。
だからとて女なら誰でも、と此処で強姦などしては愚だ。やっと出てきたのだ。蜻蛉返りなどありえない。穏便に済まさなくてはいけない。暴発しそうな自分を乗りこなすのだ。
薔薇は高架下のドブに捨て、娼婦を買いに、また鉄道に乗った。無駄な出費がかさむ。切符代…、花代…、女の穴代…。こんな些末な金にさえ拘泥するとは…。貧すれば鈍する。

「久しぶりの女は、どうだった?」Kが、臭い息を吹きかけながら、訊いてきやがった。
「やっちまえば、一緒さ」
 さんざん選り好みをした挙句、途中で萎えたのだが、男として現役である旨を高らかに宣言しておいた。俺が果たせなかった事などバレやしないし、彼も気にも止めないだろうが、一人前の男同士の関係でいなければ、チンピラ仕事すら侭ならない。戯言の中の優しい嘘だ。女でなく、男に吐いた自分を、絞め殺したくなった。
 Kが聞いてもいないのに、金髪女の話をし始めた。アンダーヘアーの色も同じに染めていたのだが、ケツの毛だけはブラウンだったそうだ。ケツの毛を染める体勢を想像した上で、その手間を考えてやれば、それは勘弁してやるべき事柄で、俺なら黙っていてやるな、と思ったが、Kはそれを金髪女に指摘したのだそうだ。
「そしたら、その女、なんて言ったと思う?」とK。
「なんて言ったんだい?」礼儀として訊き返してやった。
「ケツの毛の方を染めたんだとさ。傑作だろ? だからケツの穴にぶち込んでやった」
 騒がしい店内にKのバカ笑いが響いた。
「仕事の話を始めてもいいか?」
 愛想笑いの俺とKの間に、残部僅少の頭をテーブル越しに捻入れ、Cが静かに言った。
 チンピラ仕事の相談をするに相応しい、安いダイナーのボックス席。俺とKの向かいに、Cと初めて見る顔の若い男。此処に居るという事は、コイツも頭数に入っているという事か。
 仕事の話と言ったって中身など無かった。語る計画など無いチンピラ仕事だ。被害者が訴え出ないのなら、奪って仕舞い。Cはもうカタは付いている、とまで言った。
 なら預金を引き出すのと同じ手間だ。違いはストッキングを被るか否か、だ。
 そうは上手くは行くまい、とは思ったが、俺には拒否権が無い。他の仕事を当たるにも金は入用なのだ。
 Cの奢りで、サバンナのライオンでも往生しそうなクソ硬い、店の者がステーキと呼ぶ肉塊を、久しぶりのビールで流し込み、作戦会議は終了となった。

「ケツの穴って、そんなにいいのかい?」、背を丸めて歩く俺に、ネオンが途切れたところで追いついてきた新しく仲間に入った若い男が纏まらない前髪をかきあげながら、声をかけてきやがった。
「ムショ帰りに訊くな」
「アンタ、ムショ帰りなのかい? 何して入ったんだい?」
「おいおい、兄ちゃん」溜息混じりに言った。
「なんだい、訊いたっていいだろ? これから一緒に仕事する仲なんだし」
「個人的な事には立ち入るな。俺も、お前の事は訊かない。名前さえな。だから、さっき決めた通り、お前の事はUと呼ぶ。お前はUで、それで全てだ」
 Uが肩をすくめ、分かりました、と仕草で示した。
 ド素人のガキめ。
決行日は明後日、金曜日。あと二日の辛抱だ。仰せつかったお守も穏便に済まさなくては、俺に未来はないのだ。

Cが三日分、前金で取っておいてくれた安ホテルに潜り込む。
決行日までは怠惰で過ごした。ムショから出てする事は、食うか寝るか、だ。食いたい物をたらふく食い、ビールで流し込む。すぐに頭がクラクラする。七年ぶりのアルコール摂取が、そうさせるのだ。
そして柔らかいベッドに倒れこむ。横に胸の大きな女がいれば完璧だ。まともに勃ちは、しなかったが。
同房だった者が、アレは歳と共に弱くなる、と言っていたが、俺は決してそうではない。自分に言い聞かせた。俺は男だ、現役だ、と。


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