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#自己紹介 フリーのカットマン田中英樹の自己紹介 part2

前回、書き始めたらとっても長くなってしまった自己紹介に続いて、少し書き切れなかった部分を今回追加していきたいと思います。

〇全国食肉学校について

 『全国食肉学校』という学校があることを始めて知った方が殆どではないかと思います。日本には、プリマハムが母体となって昭和39年に設立された『学校法人 竹岸食肉専門学校(茨城県)』と昭和49年に農林水産省管轄として開校し、その後平成23年に公益社団法人の認定を受けた『公益社団法人 全国食肉学校(群馬県玉村町)』の2校があります。

 私は、この2校のうち、『公益社団法人 全国食肉学校』へ進学をしました。(今後は全国食肉学校と表記します) 

 全国食肉学校には総合養成科・総合養成科(前期コース)・食肉販売科の3つコースに分かれており(修学期間の長さ別に分かれています。)、私は総合養成科(前期コース)で半年間みっちりお肉について勉強。

 3つのコース共に、全寮制となり構内にある寮にて2人部屋で生活を行います。高卒以上であれば年齢の上限なく入学できるため、私の時は18歳~40歳代(正確には忘れました)の方々、総勢50名程の共同生活。北は北海道から沖縄石垣島まで全国から、食肉について学ぶ方が集まり、勉強の日々でした。
 入学される方は、実家が牧場で6次産業化を目指し学びに来た人や、実家の精肉店を受け継ぐ跡取り、加工品メーカーの社員研修の一環など食肉に関わる人が殆どです。

〇全国食肉学校での学び

 全国食肉学校では牛・豚・鶏の骨抜きから精肉、そして加工品製造・調理を学ぶ実技と筋肉の名称・骨の名称に始まり、経営にとって重要となる原価計算や衛生法規などの座学をトータルで学びます。

 実技においては、各自に包丁が与えられ、包丁の研ぎ方からスタートします。そして、枝肉と呼ばれる内臓・皮などを除去した骨付き肉を教材として、脱骨(骨抜き)を叩きこまれます。
 なぜ、脱骨をメインに行うかについては、お肉をカットする上で骨の位置を頭に入っているかどうかで肉質を把握でき、カットする厚さを調整できるからだと個人的には思っています。 

 全国食肉学校での学びは基礎的な部分であり、より技術を向上させていくためには実際の現場に入り数をこなしていく中で磨かれていくと思います。
 食肉学校で扱える数には限界もあるため、入学しただけで全てが完璧に出来るような場所ではないと最後に付け加えおきます。(これは、どの職業・勉強にも通じていくことですね)

〇家業の閉店

 父方の祖父が創業した『有限会社 松栄精肉店』は2017年5月末で、60年の幕を閉じました。
 なぜ、店を閉じたのか。それは近隣に大型スーパーが乱立し始めたことに伴い価格競争では、個人店舗は弱く、多くのお客様から惜しまれながらも閉店を両親が決断しました。

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 閉店の時に撮影した写真。素敵な精肉店の息子に産まれたことに感謝です。
 しかしその当時、私は明治屋で修行をしておりましたので、正直この先どうしようか迷いました。
 でも、食肉学校での学びを無駄にしたくないと思い、当初5年間の修行として入社させて頂いた明治屋でそのまま継続して働くことにしました。

〇食肉学校での外部講師

 家業が閉店し、明治屋でそのまま働くことに決めた後、食肉学校から明治屋で実地研修として研修生を受け入れることになり、学校へ上司と共に同行しました。その折、外部講師として授業できる枠が1つ空いているとのことから、明治屋でのカッティングを学生へお伝えする授業をすることに。

 まさか、自分には指名されないと思っていませんでしたが、その場で上司より指名され講師として派遣されることになりました。

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 授業は年2回、6月と2月です。
 6月は半日の枠で、1時間会社概要説明などを行い、3時間実技指導、
 2月は1日の枠で、1時間会社概要説明などを行い、7時間程実技指導しました。実際、2月は1日の枠であり、流石に私1人では耐えられないため先輩社員にも同行して頂き、2人で授業を行いました。
 明治屋を退職するまで、計4回行わせて頂き、人に教えることの難しさを学んだ、とても良い経験となっています。

〇祖父の死去

 家業が閉店しても、自分の中にある『お肉』へ携わる気持ちが揺るがなかったのは祖父の存在が大きかったです。
 保育園の親子競技でも祖父と出場するほどの、祖父が大好きな子でした。
 祖父が腎臓を病み、通院することになった時は恩返しとの想いから私が送迎をしていました。そして、祖父との会話の殆どは『お肉』に関すること。孫と『お肉』の話をするのがとても楽しそうにしておりました。

 実際、私が明治屋へ就職した時に、どんな店舗かを見に行くと『広尾ストアー』までわざわざ来た思い出も懐かしいものです。

 そんな楽しい日々を過ごしておりましたが、祖父は2019年1月14日に永眠いたしました。

 心の中に『ぽっかり』と穴が開いた感じになりましたが、最近になってようやく『精肉店にこだわらず自分の好きな道へ進め』との出発を託されたと思うようになりました。

 その後、新たな食肉の世界を勉強してみようと明治屋を退職し、新しい道に進みました。その辺りについては、前回の自己紹介をご覧ください。

   最後までお読みいただきありがとうございました。次は、今後何をしていきたいのか、そして何を思っているのかについて書いていきます。

 

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