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エッセイ 10 目的と楽しさのバランス

私は何かをやっているときに、もう少しで終わりそうなところまできたら、止めてしまうということがよくあります。
みなさんもこういうところはあるのでしょうか?

たとえば衣類に付いたシミを落とす作業をしている場合、苦労しながらもだんだんシミを薄くして、もう少しできれいになるというところで作業を止めてしまうことがあります。
その作業自体が大変だとかやりたくないということではなく、”もういいや” と、続ける意味を感じられなくなってしまうことが原因のようです。


この「あとちょっとなのに止めてしまう」という不思議な感情の意味を分解して整理してみると、次のようなことが原因として見えてきました。

手段が目的になってしまう
手段の方がたのしくなってしまう

ここでいう本来の目的は”シミを抜いてキレイにすること”です。
そして手段は”シミ抜きの作業”のことです。それが特殊な洗剤を使う、であったり、ブラシで軽くたたく、であったり様々です。

キレイにするためにやり方を考えたり身体を動かして作業をしていると、だんだんとその作業が楽しくなってきます。
どうやればシミは無くなるのだろう?このやり方ではうまくいかなかったな。この方法だと生地が傷んでしまうだろうな。などの方法を考え、実行していく作業は楽しいものです。

もちろんその作業を終えた後にたどり着く場所は「キレイにすること」なのですが、今の自分の身体は目の前の作業をしています。
どうしても身体を動かしていることのほうに意識が持っていかれます。

「シミを抜いてキレイにしていること(目的)」よりも「生地が傷まないようにやさしくたたくようにシミを抜いていること(手段)」の方が、自分の意識の上位にきてしまうものです。


キレイにするという目的もおおよそ片付いて、キレイにするための方法を考えて試すという楽しみもなくなった場合、あと少しできれいになるという段階であったとしても”もういいや”となります。

この場合、あとすこしと言うところまでは持ってはいくはずです。たとえ作業自体が安定して進むようになっても、さすがにシミがまだ残っていてキレイになっていない衣類をそのままにしてまで作業を止めることはありません。

新しい発見もなく楽しい作業ではないけれど、キレイになっていないまま終えるわけにもいかないので、”これくらいでいいだろう”というギリギリのバランスを探す時間がスタートします。

結果的に「あとちょっとなのに止める」というバランスをとった行動が選ばれます。これは中途半端な作業などではなく、とても美しいバランスの上に成り立った結果です。


「作品の本当の価値は、その製作物よりも制作過程の方にある」といわれることもあります。
キレイになることより、キレイにしていることに価値があります。


と、小難しい理屈をこねて、最後まで作業をしない自分に言い訳をしたりしています。

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