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ショートショート 4 キンモクセイな男

彼は慣れない街を歩いていた。

秋の空気が肌に心地よく、木々の葉が色づいていた。
彼はふと、キンモクセイの香りを嗅いだ。

その瞬間、彼の頭の中には子供の頃に住んでいた町の風景が浮かんだ。あの町の学校からの帰り道にはキンモクセイの木がいくつかあって、秋になると甘い香りが漂っていた。

彼はその町で、初めて恋をした。
彼女の名前は、ほのかだった。彼女はいつも彼に微笑んで話しかけてくれた。
彼は彼女と一緒にキンモクセイの香りのする公園で過ごした時間を思い出した。

彼女の髪や肌や服に、キンモクセイの香りが染み込んでいるように感じた。彼は彼女にキスをした。それが彼の最初のキスだった。

彼はその想い出に浸っていたが、突然、携帯電話が鳴った。
彼は現実に引き戻された。電話の相手は彼の妻だった。

結婚して十年になる妻は、彼のことを愛してくれているし、彼も妻のことを愛している。
しかし、彼は時々ほのかのことを思い出す。
そう、何かのキッカケに。

彼は妻に「今どこにいるか」と聞かれた。彼は、仕事で少し離れた街にいると答えた。
そして軽い会話の後「気をつけて帰ってきてね」の言葉で電話を終えた。

彼は携帯電話をポケットにしまった。彼は、もう一度、キンモクセイの香りを嗅ごうとしたが、もう感じられなかった。


彼はこの体験から、人々は想い出を思い出すことで、幸せになれるのだと考えた。

彼は、人々の記憶をスキャンして、匂いや音楽や物など、想い出を思い出すキッカケを作る装置を開発した。

その装置から出てきた匂いや音楽や物によって、人々は一時の幸せな想い出にひたる時間を得た。

彼はその装置を販売して、大成功を収めた。

彼は多くの人々から感謝された。彼は自分の仕事に誇りを持った。


その後も何年も忙しく働き周り、疲れ切った彼は、ふと自分の装置を使ってみることにした。自分の記憶をスキャンして装置を起動した。

彼は、何が出てくるのかとワクワクした。彼は、ほのかのことを思い出すのだろうかと期待した。

彼は装置から出てきたものを見た。それは、キンモクセイの花だった。彼はキンモクセイの花を手に取った。
花に顔を近づけた彼は、キンモクセイの香りを嗅いだ。

その瞬間、彼の頭の中には妻の顔が浮かんだ。彼は涙がこぼれるのを感じた。そしてキンモクセイの花を抱きしめた。

彼はそのとき気づいた。
この装置が思い出させてくれるものは、今のその人にとって一番必要なものなんだということを。

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