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物作りが好きな内科医が、プログラミングと発信方法を学ぶことで広がる世界 ~ものづくり医療センター体験記~


ものづくり医療センター(もいせん)について

私ともいせんの出会い

 私は、小規模病院に勤務している中年の内科医です。幼少期より工作など物を作ることが好きでした(器用ではありませんが)。アプリ開発や3DCGなどデジタル技術を利用した作成にも興味はあり、また2000年代初め頃には医療の世界にもデジタル技術を応用しようという風潮が強くなってきていたことから、プログラミングを独学で学ぼうと本を読んだりするも、取っ掛かりが掴めず断念する日々でした。
 何からはじめていいかもわからず、プログラミング教室に通うか否か悶々としていたところ、ふと目にした記事がありました。それが「ものづくり医療センター」(通称もいせん)の0期生の記事でした。

 自分と同じ医療者達が、プログラミング技術、デジタル・IT技術を学ぶだけではなく、新たなものを作成し発表しており、「自分が学ぶべきものは、まさにこれだ!」と私にとって僥倖でした。この時は残念ながら募集期限は過ぎていましたが、後に1期生(2021年10-12月)募集を見つけ、一念発起して参加してみました。

ものづくり医療センターHPより

もいせんとは

 医療現場では現在様々なテクノロジーが導入されていますが、テクノロジー自体は医療を理解しているエンジニアにより作られています。しかし実際の現場では医療者にしかわからない問題というものもあります。これを解決するには、エンジニアと医療者の仲介役として、”テクノロジーを理解し解決力を持つ医療者” が必要になります。
 もいせんとは、ものづくり医療センターの略称です。ものづくり医療センターは、現場にいる医療者が、自身の直面する課題をテクノロジーで解決できることを目的に運営されている医療者向けプロトタイピングスクールです。エンジニアへの転職を目指すことが目的ではなく、「課題を認識し、解決する実装力」をもつ人材、”テクノロジーを理解し解決力を持つ医療者” を育成することが目的です。通常のプログラミングスクールと違い、技術だけでなく企画やアウトプット力を鍛えることができます。
 講義はWeb形式(主にZoom)で行われ、様々な技術に触れる機会を提供してくれます。
 ちなみにもいせんは「医療センター」という名前で運営されていますので、入学ではなく入院、最終日の制作発表を終えることを卒業ではなく退院、と呼んでいます。エンジニアの方々が先生、医療者が患者という、普段とは逆の立ち位置となりますが、受講者の方々はこの遊び心を楽しんでいます。

もいせん体験記

もいせんの受講内容

 私の受講した頃は3コース(現在は2コース)あり、中間の「もいせん入院コース」に入院しました。これは週1回の3カ月間コースで、8回講義、4回は最終日のDEMO DAY用の発表の作成という内容でした。講師の方々は穏やかに非常に丁寧に教えてくれました。

 もいせんは、通常のプログラミングスクールと異なり、プログラムを沢山利用しますが、プログラミングの講義は殆どありませんでした。
 最初の授業では、STUDIOというノーコードツールというプログラム(コード)を書かなくても使えるWEB上で使えるアプリ(WEBアプリ)を使ってホームページを作ることから学びました。HTML, CSS, JavaScriptなどのプログラムは全く使用しません。プラモデルのように、既に出来上がった部品を組み合わせて物を作る感覚ですね。全く関わりのなかったプログラミングの存在は殆ど感じず、”作っている”と実感でき、プログラムやデジタル技術への抵抗感が薄れました。
STUDIO | Web制作を、ノーコードで。

 次の授業では、Visual Studio Codeと呼ばれるプログラムを描いたり使用できるようにするソフトについて、インストール~はじめの設定方法、使い方を教わり、JavaScript(プログラム)による簡単なゲームを作成しました。
 このような初級知識の講義はあるものの、その後はそれを組み合わせてどういったものが作れるのかということを学んでいきました。

 次の授業ではLINEbotの作り方、その次はobnizというIoT機器を触りプログラムで動かす、その次はLINEbotとobnizのプログラムでの連携、その次はLINEやその他サービス(Teachable Machine(画像認識)等)をプログラムやノーコードツールで連携する、どんどんデジタル技術の紹介ならびにそれを組み合わせて作る方法を学んでいきました。

 授業が終わる度に強制ではない宿題が出ます(自習に近い)。これをさぼらずに作り続けると、どんどん力が付いていきました。またそれを記事にすることで、知識のまとめ・備忘録、更にはその後の製作物の材料となりました。作成したものは、下の「もいせん受講中に作成した作品の記事」参照してください。

 最後の4回はDEMO DAY発表用の作成物を講師の方と相談しながら作っていきました。私は「服薬情報の取り込み補助」というLINEbotを作成しました。スマホのカメラでおくすり手帳を撮影 ⇒ OCR(画像から文字認識) ⇒ 得られた文字をGoogle SpreadSheetへ送信 ⇒ SpreadSheet上で整理(関数式などにより) ⇒ 整理された情報をLINEbotへ返信+QRコード(電子カルテに取り込めるように) という仕組みのものでした。残念ながら完成には至りませんでしたが(しかし今もチョコチョコ作っています)、そこで得た技術は、その後の作成物に現在も多くの影響を与えています。

 もいせんの講義で受けたすべての技術を習得出来た訳ではないですが、不完全ながらも使えるようになった技術を使って、卒業後も現在までものづくりを続けられています。
 知らなかった多くの技術に触れることができたことにより、その後の未知の技術を使ってみることに対する抵抗感は薄れ、まずは触ってみようという姿勢が備わりました。最近だとChatGPTはリリースされた瞬間に試していました。よく使うのは、ChatGPTに、簡単なプロブラムコードを書いてもらったり、新たな機能を実装するようにコードを書き換えてもらったりしています。

もいせんの講義の印象

 通常のプログラミング教室では、まずプログラムの基礎をしっかり教わりし、次いで課題となるものを作る作業が主だと思います。スクールによっては自分で作成題材を見つけ作り上げるところまで行うところもあるかもしれません。この手順は一般的な学習手順に似ており、語学の学習で例えれば、単語をしっかり記憶して文法を学ぶ、その後会話を学ぶような感じ、受け身の勉強法に近いかと思います。
 もいせんでは、簡単なプログラミングの基礎を教わり、その後いきなりものづくりを行います。プログラミングのみではなく、プログラムとLINEやスマートホンとの連携、IoT機器(obniz)との連携、画像認識(Teachable Machine)とLINEとの連携など、プログラムにより動く様々なものを動かすものを作っていきます(現在のクラスはAIも学んでいる様です)。作成している過程で分からないことは講師に聞いたり、生徒の皆で考えたり、自分で調べたりと、勉強であって勉強でない感じ、遊び感覚で能動的学べます
 私もそうですが、自分の作りたいものに必要な技術がもいせんの講義に無いものがあると、自ら学ぶ方が多いです(自ら学ぶことが自然に出来るようになります)。先ほどのように語学学習に例えると、簡単な単語を覚えたら、すぐに会話を行い、会話を実践することでさらに難しい単語や文法を覚えていく(知りたくなる、覚えたくなる)、自然な勉強法に近いものと感じます。勉強そのものではなく、勉強のやり方とそれを自分で継続する方法を教えてくれる感じです。
 先ほども書きましたが、授業が終わる度に強制ではない宿題が出ます(自習に近い)。これをさぼらずに作り続けると、どんどん力が付いていきます。またそれを記事にすることで、知識のまとめ・備忘録、更にはその後の製作物の材料となります。

 もいせんでは、入学当初にプログラミングが出来る生徒さんは殆どいません。そして卒業してもプログラムをサクサクかける方は殆どいないと思います。しかし通常のプログラミングスクールでは学んで終わりであることが多いと思いますが、もいせんを卒業した後は、技術が拙くても、自分で作りたいものを考えて作り続けることが出来るのです。そしてただ作るだけではなく、仕事にプライベートに役立てられるものを発信していくことが出来るのです。私は個人でものづくりを継続し発信しているだけですが、他の受講者様たちは、自院の医療現場のサービス向上、各地域の自治体や企業と連携し医療サービスの発展などに寄与されている方々もいらっしゃいます。

もいせんを退院(卒業)した後の話

 退院(卒業)後、もいせんとの縁は続きます。卒業後は「プロトアウトジム」というコミュニティーへ参加、複数のグループがあります。同じ志の方々と交流を続けていくことは、モチベーションの維持に繋がります。
 同期の方々とのつながりのみならず、その後に受講された方々とも仲間になっていき、コミュニティーの輪が広がっていきます。自分が作成していて困ったことを相談するもよし、仲間内で新たなプロジェクトを立ち上げて作り上げていくもよし、定期的に開催し新しい技術を講義されているグループもあります。

 また、定期的にもいせん主催の「メディカルハッカソン」が開かれます。私は第2回メディカルハッカソンへ参加させていただきました。デジタル技術を知っている医療者のみならずエンジニアの方々と一緒にものづくりを行うので、様々な技術のみならず医療者ではない方からの視点など様々なことを学べます。またその後のものづくりへのモチベーション向上にも繋がります。
病院を会場にしてメディカルハッカソンを開催しました!|医療者向けプログラミングスクール - #もいせん (note.com)

※ハッカソンとは
 医療者にとってハッカソンという単語は聞きなれないものと思いますがエンジニアの方には一般的なものです。ハッカソンとは、アプリやシステムの開発を担当するエンジニア、デザイナー、プログラマーなどが集まり、数日間で集中的に開発を行い、発表して順位を競うイベントです。

 私個人の活動はというと、2021年に退院(卒業)して、現在3年程経ちました。作成ペースは落ちているものの、作成を続け、臨床現場に導入したり、プライベートで楽しんでいたりします。作成した作品は、以下の「卒業後に作成したもの」を参照ください。
 今は最も馴染みのあるLINE bot技術を応用したものの作成が多いですが、今後は様々な技術を習得・応用していきたい、それを医療現場にさらに還元していきたいと考えています。

感想

 もいせんを受講し、知りたかったデジタル技術の世界へ一歩踏み入れることが出来ました。知れば知るほど、その世界は先の見えない広大なものですが、知るたびに新しい世界を体験でき、毎日が新鮮です。
 若いころは、新しいことを知ることは楽しみでもあり、知りたくないことも勉強しなければならず苦痛でもありました。年を重ね、大概のことはわかるようになりルーチンワークへ変化、刺激の少ない年代となりました。そんな中、学びたいことを学べる喜び、知らなかった技術・最新の技術、テクノロジーに日々触れることができ、刺激的で楽しい日々を送れるようになったのはとても幸せであると感じます。

他の受講者様の言葉を引用すると、私も以下の感想と同じです。

  • もいせんに入院して良かった!

  • 人生いまがいちばん若い日ってほんまやな!

  • 「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える」教育方法ってすばらしい!

プログラミング初心者の小児科医が、もいせん3期生になってつくったものと感じたこと|竹村豊 (note.com) より

 以上、私のもいせん体験記でした。この記事を読んだ皆様が、プログラミングに興味を持ったり、いくつになっても挑戦することの意義を感じてもらえたりしたらうれしいです。ここまでお読みいただきありがとうございました。

もいせん受講中に作成した作品の記事

以下が、私が、もいせん受講中に作成した作品の記事になります。


卒業後に作成した作品

新型コロナ経口薬 併用薬禁忌/注意薬 検索 LINE bot
 新型コロナ経口薬の併用薬禁忌/注意薬は100種類以上あり、調べるのは一苦労です。これら薬剤の検索フォームは、ファイザーや塩野義のホームページにもありますが、使い勝手が悪く、調べられる薬剤も限られていたことから、現場で使えるもの、皆が使えるものとして、スマホ・LINEを使用したものが良いだろうと考え、もいせんの卒業制作「服薬情報の取り込み補助」で培った技術を応用し、新型コロナ経口薬 併用薬禁忌/注意薬 検索 LINE botを作成しました。多くの医療者にご活用頂いております。しかしこの4月から助成金がなくなり完全に保険診療になるので(薬剤料金は当初は無料、最近は1万円弱、今後は3万円程かかる)、このアプリはお役目を終えることになるだろうと考えています。

経口糖尿病薬選択 LINE bot
 糖尿病は一般的にみられる疾患ですが、糖尿病専門医でないと、薬剤の選択に迷うことがあります。それを解決すべく、薬剤の選択の補助として経口糖尿病薬選択 LINE botを作成しました。作成の過程で、LIFF(LINE上で動くミニアプリ)スキルを習得しました。

HDS-R(長谷川式認知症スケール) LINE bot
 認知症は一般的によくみられる疾患で、その診断のためにHDS-R(長谷川式認知症スケール)がよく用いられます。検査のために、検査用紙と検査に使用する器具を用意しなければなりません。現場に用意してあれば問題はないのですが、往診先、器具の準備のない病院だと、検査が滞る場合があります。そこでHDS-R LINE botを作成し、ペーパレスで検査可能(LINEの画面の検査項目を選択していくだけ、器具の写真も用意)とし、PDF化したレポートを作成、URLをLINEで受け取れるようにしました。同じような既存のサービスは存在しますが、手軽にLINEで導入できるという利点があると思います。作成の過程で、google SpreadSheetのPDF化のスキルを習得しました。

お祝いARを作ってみた。
 以前よりAR,VRに興味があり、友人の子供への誕生日祝いにAR作成しプレゼントしてみました。作成の過程で、blenderというフリーの3DCG作成ソフトの操作技術、Netlifyへのデプロイを習得しました。今後の医療現場への応用も考えています。

お絵描き LINE bot
 最近の作成物です。といっても、もいせんを卒業してからずっと作りたかったものです。何度も何度もチャレンジしてはうまくいかないことを繰り返していたのですが、この度ChatGPTに質問を投げてみたところ、無事に解決し、作成に成功しました。作成の過程で、ImgBBなど画像保存サーバーの開拓、HTML, CSS, JavaScriptのプログラミング技術などが向上しました。非常にシンプルな技術ですが応用の幅は広いと期待しています。今後の医療現場への応用も考えています。

もじれん LINE bot
 こちらも最近の作成物です。「お絵描き LINE bot」の描画(HTMLのcanvas)してLINEへ送信する機能に、「GASを使い、LINE Botで送信した画像をOCRし、文字情報をLINE Botへ返信 + GoogleSpreadsheetへ記録する。」の中のOCR機能を使い、書いた文字がOCRで読めるかを判定するものです。チャ〇ンジパッドの簡易版を想定していましたが、そこまでの機能はないです。LIFF上で音を出す技術を習得しました。

MMSE LINE bot
Mini-Mental State Examination(ミニメンタルステート検査)
 認知症診断のためにHDS-R(長谷川式認知症スケール)と同様によく用いられるのがMMSEMini-Mental State Examination(ミニメンタルステート検査)です。
 こちらも、ペーパレスで検査可能(LINEの画面の検査項目を選択していくだけ、器具の写真も用意)、PDF化したレポートを作成、URLをLINEで受け取れるようにしました。同じような既存のサービスは存在しますが、手軽にLINEで導入できるという利点があると思います。
 「HDS-R(長谷川式認知症スケール) LINE bot」に、「お絵描き LINE bot」の描画(HTMLのcanvas)してLINEへ送信する機能を合わせて、作成しました。
 ”LIFF上で描画(HTMLのcanvas)してLINEへ送信する機能” を習得した目的は、じつはこのMMSE LINE botを作るためでした。習得する過程で副産物としてお絵描き LINE botを作りました。


自己紹介(おまけ)

 (以下の自己紹介は、昔を思い出し、つらつらと書いてみました。このような原点と生きてきた流れがあって、もいせんへたどり着いた経過です。確かに昔はそうだったなぁ、昔はそうだっだのか!、素人でもこんな人がいたのか!と思いたい方はお読みください。)

 私は、1990年代、Windows95が発売され、世の中・一般家庭にパソコンの文化が広まっていた時代、私は医学部生として大学生活を過ごしました。携帯電話はスマホはまだ無くガラケーでした。試験前に出回る同級生のノートや資料はすべて紙で、試験前や期間中は何度も何度もコピー屋さん(キンコーズ)に通い、行くたびに2-3時間入り浸って数百枚のコピーをとり、皆の分を分配しホチキスで止める作業が必要でしたし、持って帰るのも一苦労でした〔今はペーパーレスで、ノートや試験資料はPDF化されメールでやり取りされているそうです〕。インターネットはLANはなく電話回線(ADSL)の時代、パソコンを持っている学生はほぼ皆無で稀な人種でした〔周りからは尊敬の眼差しで見られる存在、しかし同時に好奇の眼差しで見られる存在でもありました〕。キーボードが付いた機械への馴染みがなく抵抗が強い時代で〔当時、キーボードアレルギーなる用語もありました〕、当時は講義中のノートは手書き、現代の大学生さんや記者さんのようにパソコンでノートを取るなどは、最先端でした。

 私は幸いなことに、パソコンに詳しい友人がいたことで機械へ触れることの抵抗はなく、まずは大学2年生の時にワープロ〔sharpの書院:今は無いですね〕を購入、課題のレポートは皆が手書きで提出している中、ワープロでの提出に努めることで先生方の評価を受けるとともに、ブラインドタッチを習得。次いで4年生の時にノートパソコン〔その当時、NECノートパソコン約40万円! ガジェット好きなのでちょっと奮発してフロッピーディスク・CD-ROMドライブ分離できるセパレートタイプ:多分このAile NX という機種だったかと(impress.co.jp) ⇒メモリーはなんと32MB!、USB1.0が出来立てほやほや、マウスプリンター等周辺機器の接続はそれぞれ専用のシリアルポート!〕 をバイト代を全てつぎ込んで購入し、インターネットの世界へデビューしました。ただ、回線速度は非常に遅く〔電話回線(ADSL)、有線〕、ホームページ表示完了までに約1-5分ほどかかり、見るだけでも一苦労な時代でした。ICQというチャットアプリ〔イスラエス企業が開発・管理、今はロシア企業に売却され管理され、触らない方が良いみたいです〕も教えてもらい仲間内でチャットを体験しましたね。どうでもよい事ですが、最近、通知音の”アッオー”が孔雀の雄の鳴き声とそっくりだったので驚きました。【驚き】住宅街に"クジャク"出没 市と警察が捕獲へ - YouTube の様な。
 パソコンに詳しい友人たちは、プログラミングや3D映像作成など多岐にわたる技術を持っていたので、この当時から私も興味があり少し触れたことがあります〔六角大王とかいうフリーソフトだったかと。なんせパソコンのメモリは32MBなのでスムーズに動かないったらありゃしない!そしてすぐフリーズ(笑)〕。しかし多忙な学生時代(毎日の朝から晩までの講義、部活、課外活動(笑) 等々)の中では習得に至りませんでした。

 大学を卒業し医師となり、当時の大学病院は紙カルテ、オーダリングシステムはあったもののなんとDOS-V!〔ブラウン管で、緑色の文字でいかにも”プログラム”っていう感じ、各検査項目の決まった実行コマンドを入力しないと動かない(先輩方は各自コマンド表を作成し持っていた)。いっそ、紙の方が楽!〕。パソコンが少なからず使えると自信を持っていたのに、Window95とは全く違うシステム、とても戸惑いました〔 指導医は多忙で病棟におらず操作法分からず、病棟看護師からは仕事をせかされる、患者回診に行けずクレーム入る、指導医に怒られる、散々でした。仕事がわからない+パソコンの操作が分からない=パソコンの前から動けない ⇒周りからは「フリーズ君」と呼ばれてました(笑) 〕。オーダーはデジタルでも返却は紙。検査結果用紙は毎日紙の束(内科系は検査が多いので約2cm厚さ)で返却され、仕事終わりの21~0時頃に、仲間の4-5人研修医グループで、まずは数十人の患者さんごとに振り分け、切って大きさを整え、時系列でのりで貼っていく作業、ならびにカルテ内容整理がありました〔1-2時間を要する作業でした。現代よりブラックな環境、自己研鑽にもならない不毛な仕事でした。”24時間戦えますか”の時代ですね〕。事務用品(ハサミ、のり、定規等)は必須アイテムでポケットが膨らんでいました。因みに、えらい先生方は外来診察の際、オーダー入力係の医師〔若い先生方の持ち回り:今考えると医師の仕事ではないなぁ。でも診察の勉強にはなったようです。〕が付いていましたね。
 この時代はカルテは紙でした。患者さん一人ひとりにカルテ(4穴リングのファイル)があり、ナースステーションの片隅にカルテ置き場がありました。経過の長い患者様は分冊で4-5冊ある方も。無理やり紙が挟み込まれたカルテは、リングが開いてしまいカルテを床にばらまくという惨事が起こりました。教授回診の際には、エレベーター移動の教授を先回りするために、数冊のカルテを抱えて非常階段を駆け上がり・駆け下り、息を切らしながらプレゼンしていました。その他、上司の読めない字を解読する能力が付きましたね。数年後には現在の様な電子カルテとオーダリングシステムが導入されペーパーレスになりましたが、それまでは色々雑務が大変でした(少しデジタルの話から脱線しました)。

 2000年代初旬にスマホが登場、ガジェット好きとしては放っておけず、いち早く購入〔イー・モバイル版「Touch Diamond」:テレビCMでお猿さんが宣伝していました イーモバイル TOUCH DIAMOND (2008) (youtube.com) 〕。医学書や論文をPDF化〔いわゆる”自炊”というやつですね。本を裁断せずに500ページ程の教科書を何日もかけてスキャニング!〕して現場に持ち歩く、テザリング〔その当時は違法でした(汗):ビックカメラの店員さんと仲良くなりやり方をコッソリ教えてくれました〕でパソコンをネットにつなぐなど、今では当たり前に出来ることですが、この当時誰もやっていないことをいち早くやることを楽しんで、後輩にも伝授し仲間を増やしていました。
 学会発表は好きではありませんでしたので、後輩の学会発表スライド作りを積極的に手伝うことで〔レイアウトを指導、時に代わりに作成:発表は嫌い、でも作るのは好き〕、自分が発表することを逃げていました。当時は珍しかった動画を発表する研究会もあり、自分と他の先生方の発表動画の撮影~編集も行っていました。撮影~編集は医局員は自分を含め誰も出来なかったので、上司から命令が下り、一から独学で習得し、その後もほぼ一人で担っていました〔縁の下の力持ちのお役目:やっぱり作るのだけは好き〕。ビデオカメラはDVテープ(今はもう無いかな?)、動画をパソコンに取り込むことだけでも一苦労〔USB1.0が主流の時代、早いポートはIEEE1394 (FireWire):今はi-LINKと名称変更、見かけませんね〕で、パソコンのパワーも無く直ぐにフリーズするレベルでした。プロジェクターとの接続もHDMI等はなく、RBG、VGA、DVIしかありませんでした。色々と大変でしたが、そのおかげで様々な技術を習得し高めることが出来ました。
 フリーソフト集めも熱中していました。動画編集ソフト、音楽編集ソフト、人工音声作成、お絵描きソフト、暗号化ソフト、キーボード音設定ソフト、等々数百種類のフリーソフトがありました。今でいうスマホの無料アプリみたいな感じですね。なお、それが仕事に役立ったこともありました。2005年に個人情報保護法が施行され、暗黙の了解であった患者情報(紙カルテ、デジタル情報)の院外持ち出しは厳禁となり〔今では、持ち出しし紛失すると解雇に値します!〕、患者個人情報の入ったUSBメモリを院内で持ち歩く場合も暗号化が求められました〔今では当たり前なのですが〕。私はたまたま医療安全に関わっていた上司より相談を受け、フリーソフトの暗号化ソフトをお勧めし、暗号化フリーソフトを組み込んだUSBメモリを自分の大学病院全体へ配布、趣味が高じて、陰の立役者!?となりました。

 他の人より一足早くデジタル技術・機器に触れる機会はあったものの、学生時代から習得したいと思っていたプログラミング技術については習得する機会はなく、約10数年経過しました。大学医局を退局、一般病院へ就職。電子カルテと紙カルテの混在、手書きオーダーとオーダリングシステムが混在する時代〔紙カルテでも、オーダリングシステムだけはある病院もありました〕、就職先は紙カルテ、手書きオーダー。定期処方箋は、同じ内容(10種類ほどの薬剤名と容量・用法)を入院患者さん約40人分、1週間に一度、手書きで、4枚写しで力をかけて書き写さなければならず、時間の浪費と共にとてもストレスでした。
 その当時、EXCELのマクロ(VBA)が少し使えるようになっていたことから、これと院内のサーバー(各種書類を共有するサーバとパソコンはありました)を組み合わせて疑似的なオーダリングシステムを作れないかと思い立ち、独学で(ネットでその都度調べて)EXCELのVBAでコードを書いていき、それなりのものを作成し現場で稼働しました。これが私がプログラミングで作成した最初の作品です。私はその後、他の電子カルテのある病院へ移動しましたが、その病院はその後オーダリングシステムが導入され、私の作成したシステムは役目を終えたようです。

 2019年コロナ禍となり、急遽院内の感染対策が必要となりました。物不足となりゴーグル、マスクすら手に入らなくなりました。無ければ自分で作ればよい!と思い、即座にAmazonで3Dプリンターを購入し操作方法を研究。同時にフリーの3DCG作成ソフトのFusion360(調べた中では一番使いやすくて性能が高そうだったので)をダウンロードし研究。まずはゴーグルの芯(U字型の棒、N95マスクの代用のマスク原型を設計。夜な夜な自宅で3Dプリンターでゴーグルの芯を印刷するとともに、薄いアクリル板をハサミで切り抜いてゴーグルのシェードを作成、ゴーグルを作成し院内のスタッフへ配布(40人分くらい作成しました)。しかしマスクは造形に成功せず、実現しませんでした。その他にも、アクリル板で気管内挿管ボックスを作成したり、パーテーションを作成したり、色々作りました。今ではこれらは役目を終えて、既製品に差し替えられています。

3Dプリンターで印刷した骨組みとアクリル板で作ったゴーグル

 院外の対応としては、オンライン診療や、他の医療機関とのオンライン連携など、IT技術の発展を促す動きがあり、以前より学びたいと思っていたプログラミングのスキルや知識がより必要であると感じられるようになりました。
 そんな矢先、もいせんと巡り会い、ついにプログラミングの世界にはいることが出来ました。

 以上、とりとめのなく、読みづらい長い記事でしたが、楽しんでいただけましたでしょうか。ここまでお読みいただきありがとうございました。

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