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オタク生活55年が語る若きクリエイターを”AWAKING"=覚醒させるヒント㊽

”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたか①

ついに、東京都も緊急事態宣言が解除されそうな雰囲気になりましたね。
今後は、どうなるか解りませんが、補助金の申請だったり、来週からの準備をしていると、今週、連日記載するのは難しいと思います。
そこで、表題”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたか3回で連載します(掲載は、月火水かもしれないし、月木金かもしれません)。丁度、その3回で50回目になります。そこで、一度、この連載は終了。以降は、土日版、好きな物編と不定期連載にしていきます
思っている以上に、様々な人に届いていたようで、昨日に送った誕生日おめでとうへの返信で、日本最高峰の芸術大学の卒業生かつ現役スタッフが、読者だったことだったり、新規事業の補助金審査員が読んでくれていたりと意味はあったと思います。
6月以降は、記事を撤退するのではなく仕事モードに切り替えていこうと考えていますので、発展的な区切りです。(いくつかの記事は、新規事業に向けての纏めでもありましたからね)

さて、最後の連鎖”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたかを書いていきますが①~③で3つの時期に分けます
①高校生から大学生 自主作品を作る事とプロの仕事をアルバイトにした頃
②24歳~36歳 プロとしてコンテンツを送り出す事をメインにした時代
⓷ゲームスクールの教師として、指示や指導を中心にした時代

この3つです。まずは、若者向けの①です。

まず、僕の高校生から大学生 自主作品を作る事とプロの仕事をアルバイトにした頃の時代背景から話します。1979年~1987年と思ってください。現在との一番の差は(この記事のように)、大勢の人に対して気軽にクリエイティブや発言を発信することが出来ない時代だったことですね。もちろん、表現の自由が制限されてたわけではなく、コミケは始まっていましたし(出しはしませんでしたが、高3の冬に晴海のコミケで萩尾望都さんや『エリア88』『ファントム無頼』の同人誌を買いましたよ。)高校時代から高校内とアニメショップに集まる”オタク”と呼ばれる前のアニメファン、映画ファン、漫画ファンとも触れ合う日々を送っていました
ただ、気軽に発信は出来ない時代ではありました。同人誌にしても、印刷代金やコピー代金(B4コピー1枚が50円ぐらいしたと思います)しましたし、僕のような映像系の人間は、とにかくお金が飛びました。大学時代に8mm映画を制作していたのですが、物凄く、今と比べて面倒くさい。そして、発表の場はコンテストや自主上映会など狭い範囲。あとは、伝手を頼ってのプロに見せる行為しかありませんでした

まず8mmフィルムは200秒の撮影に対して(安売りを上手く使っても)フィルム代金と現像代で2000円。しかも、現像するまで撮影状況は解らないし、ビデオ録画(それすら、今は無いし…)のように、重ねて撮影するわけにもいかなくて…最初の長編実写作品はカメラの微妙な故障によるピンボケが小さなエディター(編集機)では判断できず…とにかく、お金がかかりました。白黒コピーですら、結構なお金が飛びましたし、ワープロも無いので全て原稿は手書き。更に制作したものを、考え方やテクニックを世に問いかけるネタにするわけですから必死。だからこそ、ミスしないための準備を必死にしました

22歳の時に制作した自主映画に関しては、四季を入れ込む(実際の撮影は、3,4月に70%=屋内シーン全て含む、夏・秋に30%のロケでした)ことも有り、11月から1月までにシナリオを書き直しました。シナリオの段階で、どのくらいの周りの人間に見せたかなぁ。それ以上に書き直したのは絵コンテ。シナリオの再考を画面構成も考えて書き直しました。カット割りやタイミングだけではなく撮影プランまで書き込んだ物を、全て手書きで書きなおしました。(長尺50分。大学ノートの1ページに4コマ、それを一冊。5校まで毎回、1から書き直したはず。)

結構な労力ですね。では、なぜ、そこまでこだわったのか?
プロの世界を、高校卒すぐ大学1年の時から意識していたからだと思います。有った事もない人々の噂を意識したり(まさか、その意識していた大阪芸大のメンバーと仲良しになるとはなぁ)、プロの人の評価を気にしていた気がします。この時期が、最初の”人に伝えるべき”と言う意識を、どのように育てたか①です。

まずは、自分が伝えるための努力をしないと伝わらない。と思った意識改革と、それを支えた友人、知人、導いてくれた大人たち(声優さんたち、出版社の方々、映像制作に関わる大先輩たち)が僕にとっては重要だったト思います。(その頃の話は、週末編で書いた通り。これからも書きます)

現代において、僕の行為をトレースするのは無駄な作業だと思います。効率的に時間を使った方が良いと思います。それでも、人に見せるための全力の準備は必要だと思いますから。前述の自主映画、3月にクランクインしたのですが最初の室内撮影(友人の家をセットにしました)の最中に、雪が降ってきて”冬”を思わせる印象的なカットを、絵コンテ外で撮影しています。それでも、そのカットを撮影して編集して構成する事をすぐに決めたのは、間違いなく”念入りに作った完成イメージにおいて”足りない1ピース”だったからだと思います。作り込んでいなければ、雪の中、何を撮影すべきかが見えていないかったと思います。

昭和の話ですが、この便利な時代に、若者に準備の大切さが伝わりますように。明日は、プロでのコンテンツを通した伝える仕事に関してです。

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