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自己紹介大学生1年生編②

7月頃麻雀サークルの友人がフリーデビューを果たす。
当時の雀荘のイメージは昭和のイメージが強くて「タバコ吸うヤクザの集団」のイメージが強くて私は行くことを恐れていた。

友人がフリーデビューした翌日に大学構内で感想を聞いた。
「メッチャ緊張したけど楽しかった」っと。
それなら私も行こうかな?っと心を揺らぎ次の日フリーデビューを果たす。
緊張しすぎて点数申告言えなくたしか「ポン」発生を「ロン」と言ってしまい和了放棄になった記憶が💭

友人が言ってた通りそこのお店はお客様含め皆様方優しい方多くてとても楽しくなって週2,3回フリー行くようになった。

そして夏休みに入る。
卓球サークルの練習夏休み期間は休みが多く
麻雀の日々が続く。
8月学生麻雀連盟という協会がありそのイベントで「麻雀合宿」というのがあった。
私を含む部員4人が参加をした。

各関東の大学生が集まり80人程参加しており
いろんな方と一緒に麻雀打ったりして仲良くなりLINEの交換等を行った。
今でも覚えていることだが合宿項目のカードイベントにて「1回だけ打牌を裏側にすることができる」というカードが私は対面から親リーチ受け入ったとき奇跡的な放銃回避をした。「宣言牌(5p)を裏側に立直!」して1発自摸し跳満を和了ったのである。その5pは親の当たり牌であった。これが学生麻雀連盟における「ヒデ劇場」の始まりとなる。

9月頃横浜禁煙店ZOOへ遊びに行った時に社員の方からアルバイトやらないか?っとお声掛けを頂き2つ目のアルバイトを始める。
この頃は2つサークルと2つのアルバイトという人間離れをした多忙なシーズンを迎えるのである。

同月に学生麻雀連盟が主催となる「青雀旗争奪学生麻雀選手権」というタッグ戦の大会に参加。

フリー経験も積んでいき部内からは期待が高まっていたが足を引っ張り過ぎてタッグ戦の結果は3位だったが個人の結果は下から4番目だった。
短期決戦とは言え結果が全てであり、期待にお答えできず悔しさだけが残る。

麻雀の向上心が高まっていく中時間と体力に限界が近くなってくる。

ついにある決断をする。
「卓球引退」
大会自体は好きだっんだけど部内の向上力に精細さを感じてしまい、麻雀サークルでは一緒に切磋琢磨して強くなろう!って人がいた。
そこの差で人員不足で試合のみ卓球参加という形で姿を消すこととなる。

日々麻雀の練習をするに連れて気付いたら毎日麻雀をする生活となった。

雀荘での大会イベントにも参加し大会における緊張も経験を重ねて慣れていき段々徐々に結果が安定していくようになっていく。

迎えた大学2年生
ここで大きな結果を生むことになる。

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