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在り方 自分の軸を持って生きるということ〜序章編〜

ここ5年間かつてのない混迷な時代。
・未知のウイルスの流行
・気候変動による天災の増加
・働き方改革
・大企業の崩壊
・物価の上昇、、等等
多くの人達が先行き見えないまま、不安を抱えながら日々の暮らしをし続けている。

先の未来を読むことが難しい今の世の中、身の回りの人がどう進むかを頼りに人生を決めていくのは危険以外ない世の中へと変化した時代。

このような世の中へと変化したからこそ大事なのは、「何よりも頼られるのは、あなた自身の意思であり、あなたなりの基準、つまり「在り方」という軸」が必要。

つまり「どのように生きて生きたいか?」ということ。

Q:自分の人生を思い通りに描き歩んでる人は、どんな人か?一度想像してみましょう。

A:常に自分の在り方に照らし合わせ選択し続け生きている人。

全ての人において一番大切なのは、自分の人生。
「人生は1回だけで、あなたの人生は他の誰でもなくあなただけのもの」

ー在り方の定義はいくつもあるー
・心の姿勢
・自分ルール
・自分との約束
・自分のスタンス、、等等

ー「生き方」と「在り方」の違いー
「生き方」と「在り方」は似てるようで、実は使い方が違う。
「生き方」→「人生の選択」ならば
「在り方」→「選択の基準」
「生き方」→「DO」とするなら
「在り方」→「BE」と言い換えることが可能。
つまり「どう生きるか?」という選択よりも「どう在りたいか」という選択の基準を整えていくことが大切である。

ー平成と令和で人の価値観の変化ー
平成の価値観:「どれだけ凄いことをしたか」、「どれだけ規模の大きなことをしたか」という評価による価値基準であり、人の価値いわゆる他社評価が測れていた。
令和の価値観:「その人がどう生きているか」、「その人がどう向き合っているか」という目に見えない内面的なことに、人々が意識を向けるようになってきている。
ふと照らし合わせて見るのもありなのかもしれない。
この軸を持っているかどうかに「人種、性別、年齢等」社会的地位は関係ない。
20代でも軸を持って生きている人はいるし、どんなに歳をとっていても、持ってない人は周りに流されながら人生を送っている。
例:「みんながやっているからやる」「みんながやらないからやらない」
「在り方」は今を生きている全ての人達が持つことが可能といえる。

ー「在り方」の5つアプローチー
①在り方はそもそも何??
②あなた自身が在り方を身に付けていく方法
③現代社会の様々な在り方について
④かつての日本の先人は何を大切にし、私たちに何を残そうとしたのか
⑤自分らしく生きることについて

在り方はそれぞれの人、いろんな角度から考えることによって、大きく変化していく。
在り方には正解はない。もし正解があるとするならば、自分の軸に沿って選択し進み続け正解にしていくこと。
・どんな自分でありたいか?
・どういう風に軸を定めていけばいいのか?
・そのための課題とは?
その答えは、他人が持っているのではなく、全てあなたの中にある。
人からもらった答えではなく、自分に投げかける「問い」っていうのが、ここから先歩んでいく中で、道を切り開いていくための大きな鍵となる存在。

映画や物語などを通して、主人公や登場人物に心を打たれたことってあるでしょう。
これまであなたが触れてきたストーリーをよく振り返ってみてください。
「あっ!?この経験があったから心打たれたな」、「あっ!?これを見たから感動したな」って思い返せる感情っていうのは切っても切り離せないものにやがて気づいていく。
「自分はどうありたいか?」という人生の「問い」について、第一章から描かれていく内容となっている。
続きが気になる方は是非ご購入を💭

ー感想ー
当時私はコロナウイルス流行の中経済が怪しいという中独学で経済について勉強してたこともあり経済っぽい感じで記事を投稿。

結局辿り着いた答えって「未来」って何が起こるか?わからないということ。

例えば10年前に新型コロナウイルスが流行るって誰か考えたことだろうか?
つまりそういうこと。

私はこの「在り方」を読んで今の行動をしているっと言っても過言ではありません。

現在「ザンリーグ」という三麻の競技団体に2023年7月から加盟しており三麻について猛烈に勉強中📝
→自分で言っていいのか?

YouTube配信や個人DMにて三麻を教わり日々学んでいる。

ここで私は決断していることがある。
「教えを無駄にしない為にも大きな成果が出るまでは勉強を怠ってはいけない」ということ。

というのも教えて頂いてるの時間を教わってる人へ時間を作っているからである。

まず時間を作って頂いてることに感謝。
「教わった内容を含めこれからどう行動していくのか?」という問いにも「在り方」が紐付いてくる。

私という「在り方」を定義付けしたところで口だけということもあるだろう。
目に見えることが全ての結果でもあるからだ。

定義を公表はせず私の行動で私という「在り方」を証明していく。


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