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感受性と創造性を活かす:INFPのための成功する就職活動戦略 〜1.自己紹介〜


INFPも現実に生きなければならない


巷で話題のMBTI(16personalities)によるとINFPには詩人、作者、俳優、芸術家が多いよう。
たしかに理想主義者であるINFPは現実に即した活動ではなく自分の想像しているものを表現したり形にしたりする仕事が向いているのかもしれません。

ただ現実的に考えると(私はこの"現実的に考えると"という言葉を聞くとつまらない世界に引き連れられる感じがしてクソ嫌いです)、この資本主義社会において生活するためには金を稼がねばならないですし99%の人にとってその手段は
会社に所属する
ということになるでしょう、私もそうです。
未来のことを考えるのは楽しいですがとりあえず1ヶ月先も1年先も生きてなければなりませんからね。

というわけで今回私はマガジンを作成いたしまして、INFPでも就活に成功して楽しく仕事ができる方法?考え方?を何記事かに分けて書いていきます。
結構内面と現実世界とのすり合わせに当時は苦労したので、役に立つことが書けるのではないかなと思っています。

今回の記事では前提条件として私のプロフィールを書きます。こんな人が書いているんだなぁと思いながら読んでいただいて、自分との共通点や違いを認識くださるとこの先の記事が現実に即した活動に繋げられるんじゃないかなと思います。

幼少期〜大学(就活前)の私

私は北海道に生まれ、夏は暑く、冬は肌を刺すような厳しい寒さと静けさが広がる環境で育ちました。
小学生の頃から好奇心旺盛、多趣味の片鱗、裏を返せば飽きやすさを見せ始め、親に色々なことを頼んでは渋々了承を得てピアノをやらせてもらったり(半年でやめた)ミニバスをやらせてもらったり(2年でやめた)しました。
親に感謝ですね。
ハマると異常なほど深掘りする性格も育ち始め、冬は狂ったように市営スケート場で近所のおじさん達とスケートをしていました。

大学からは親元を離れ札幌(正確には違うのですがほぼ札幌です笑)にて一人暮らしを始めました。
ここでは楽観的な性格が猛威をふるい、怠惰な自分が現実世界に迷惑をかけ始めました、そう、落単のオンパレードです。

ただ同時に真面目で自分もいたので一部の興味ある科目と部活に対しては真摯に取り組んでいました。

休学、そして例のウイルスの台頭、復学

詳細は伏せますが私が所属していた部活は講義の延長線上にあるような位置付けでもあり、4年生で行う実習と同じことをしていました。
つまり1年生の頃から実習に近い形で朝から晩(10時ぐらい)まで大学の活動をしていました。もちろん空きコマはありましたし今考えるとそんなに大変でもなかったと思いますが。
それでも当時の私はその生活に嫌気がさしたこともあり、大学の学習システムに疑問を感じていたこともあり、他にも勉強したいことができたりしたことで2年を残し退学をしようと思いました。

親に話して色々と協議をした結果、1年間休学をすることになりました。
私は辞めてもいいしなんなら休学時の本当に最後まで大学に戻るつもりはありませんでした。
ただ休学時に取り組んでいたことが経済的に実を結ばなかったこともあり、社会に出るまでの経験という文脈でも足りないことが多々ある。これは一度大学に戻って自分の時間を持つべきだと考え復学しました。親に甘えてますね。
結果論ですが退学ではなく休学にしてくれたおかげで今の自分を得ることができました。

ただ休学時の半ばから台頭した、例のウイルスの影響で復学後の講義はほぼオンラインでの受講になりました。実習もあったので大学に行くこともあったのですが週に一度ほど、しかも少人数で1年学年も違ったので話すこともなく、孤独に時を過ごしていました。

抑鬱状態になり死を考える

4月、新年度から復学して3年生。その1年はなんとなくやっていたと思いますが4年生になって、私は徐々に精神的にダメになっていきました。部屋は徐々に洗濯物と書類と本の山で溢れ、3日に一回しかお風呂に入らない時期もあり、好んでしていた自炊も億劫になっていきました。
3日連続で宅配のピザを食べたこともあります笑
なぜ自分があの時ダメになったのかを振り返ると、複合的な要因があったんじゃないかなと思います。

前述の大学の状況により
孤独感を感じていた。

単位を取らなければいけないのに怠惰な自分が邪魔をし上手くいかないことが多く
自己肯定感が下がっていた。

けど就職活動もしなきゃいけないしでも何やったらいいかわからないしどこにも行けないしという状況で
社会不安を感じていた。

たしか秋、10月ぐらいでしょうか。ふと毎日死について考えるようになっていました。
自分が生きるべき世の中ではないのだから、消えた方がマシだと。
死の先に何かを見出していたわけではなく、現実世界で生きるべきではないというもっともらしい考えが頭の中を支配するようになりました。
今考えるとまったく論理的におかしい考えですが、その時はそれしか頭になかったです。
自傷をしたり寝落ちするまでお酒を飲んだりとまったくひどい生活でした。

ただここで私はそのままにするのではなく、病院に行くことにしたんです。
近くのメンタルクリニックに電話をし予約をしました。
電話予約から初診まで2ヶ月という期間が開きましたが、その間はなんとなく生きていたと思います。

今思えばメンタルクリニックで何か診断をもらうことで対外的に自分はまずい状況になっているというアピールをしたかったのだろうと思います。

大学の指導教授や親にも色々と話をしながら生活していましたが私はとうとう4年生を乗り切ることができませんでした。
わずかに単位を残し、留年です。ごめん、お父さん、お母さん。

私はその後も1人暮らしを続けながら残した単位を消化していこうと思っていましたが、親からすると心配だったのでしょう。私は実家に半ば強制的に回収されました。
幸い単位はオンラインでなんとかなるもので、その時の担当教授が融通をきかせてくださり実家からでも単位認定と卒業資格を得ることができるようにしてくれました。こんなダメな私でも最後まで見捨てないでくれて本当に感謝しています。

アルバイト、就活を始める

実家に帰ってきたため?当然ながら仕送りはありません。というかそれまでの自分が親に甘えすぎていました。本当にクソ野郎です。
今までの昼夜逆転した生活リズムを整える意味でも、早朝からアルバイトをすることにしました。
これがかなりいい影響を与えました。
朝の5時に起き、誰も起きていない実家で食パン1枚とコーヒーを食し、6時からアルバイトです。
最初は体力が下がっていたこともあり週に3日、1日3時間ほどしか働けませんでした。
帰ってきたらヘトヘトです。
それでも続けていたら体が慣れてきました。
1日4時間働けるようになりシフトも週に4日、5日と入れるようになりました。
大学の卒業も9月に控えていました。
そのまま実家にいながらアルバイトをするか、どこかでフルタイムで働くか。
ただキャリアのスタートという節目を考えた時にやはり正社員でどこかで働きながら自分なりの道を探そうと考えました。友人から東京に来なよと誘われていたこともあり、完全オンラインでの就職活動が始まりました。

就職活動を始めた私

とはいえ就職活動については一般的な大学生よりも何もかも下でした。
大学でキャリア教育?は受けていたものの
履歴書とエントリーシートっていうのを出せばいいんだよな…?
企業はどうやって探すんだ?マイナビ…?リクナビ…?
というまったくの手探り状態でした。

ここで働いたのがCookieです笑
就活のことを色々調べているとその情報から、インスタに就活エージェントの広告を出してくれました。

すぐに手をつけてしまうINFPですから、まんまと広告に操られ(?)登録しました。
名前を出して良いのかわからないのでその就活エージェントの名前は伏せますが、担当してくれた方がリ◯ルート出身のとても優秀な人でそこが一つ幸運なポイントでした。

ESの添削や企業探しをしていただき、週に一度ほどミーティングをしながら就職活動を手伝ってくれました。
合計で8社ほどでしょうか、エントリーしては落ち、1次選考まで進んだかと思えば落ち、ちょっとナイーブになることもありましたがその担当の方が支えてくれ、のちに就職することとなる今の仕事先に出会いました。

書類選考を通過し、プログラミングテスト・適性検査を通過し、1次面談、最後の社長面談を全てオンラインで行いました。

結果私は9月卒業でしたがその次の年度の新卒採用枠で内定をいただきました。

4月からお仕事なので、アルバイトを続けながら北海道を楽しみ、2月から上京し友達の家に転がり込み、アルバイトをしながら家を探したり、内定先企業でもアルバイトをして仕事の雰囲気を掴んでみたり。

晴れて今年2023年の4月からエンジニアとして働き始めました。
そんな男が語るINFPのための就活戦略、牛歩になるかもしれませんが確実に役に立つ情報を発信しますので、これから就活をする方には一つ一つ実践に落とし込んでいただきながら読んでほしいなと思います。

よろしくね。

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