何者でも生きているの
最近、お酒の席で「人生は、、、」なんて語ってしまう老害予備軍になってしまっている時がある。
なんでそうなってしまったのかを考えてみたのだが、間違いなく父親の影響だと思う。
なぜなら、私の父は毎日のように仕事に帰ってお酒を飲んでは、つまらない政治家批判や手垢に塗れた努力神話を熱弁しているのだ。
私は酔った父の姿を何十年と目にしてきたので、無意識に彼のような振る舞いをしてしまっているようだ。
幼少期から反面教師にすることを心に固く固く誓っていたのにも関わらず。
父の他にも私に大きな影響を与えているであろう人が何人かいる。
サッカー選手だとゴールキーパーの川島永嗣選手だし、漫画家なら真島ヒロさんだし、アーティストならFUNKY MONKEY BABYSだ。
友人なら中学時代の同級生のYや高校時代のサッカー部のチームメイトのOなんかだろうか。
彼らは私の人生観やら生き方に大きな影響を与えたのだ。
どのような影響を与えたかに関しては割愛させていただくけれど、、、
最近でいうと、作家の朝井リョウさんがそうだ。
朝井リョウさんの作品は就職活動で心が病んでいた私の唯一の逃げ場だった。
エントリーシートにありもしない志望動機を捏造しないといけない苦しさ。
インターンで自分より優れた学生に会い、自己肯定感が下がりまくる苦しさ。
面接で落ちた際に感じる、自分の人生を丸々否定されたような苦しさ。
これまでの人生で経験したことがないような苦しさの連続で、私の精神状態はジェットコースターだった。
選考に通過すれば舞い上がるように喜んだし、お祈りメールをもらえばとことん傷ついた。
友達の進捗具合を聞くたびに、嫉妬や自己嫌悪に陥った。
そんな精神状態なので、本当に仲の良い友達以外とは会いたいと思えなくなり、交友関係がどんどん狭くなっていく。
極力、他人の就活情報をシャットダウンすることでしか精神を安定させる方法が思いつかなかったから。
これまで毎日のように誰かしらと会って遊んでいた私が、交友関係を減らしていくと、莫大な時間ができた。
できた時間を自分磨きに当てられたら幾分良かったのだが、あいにく私はそのような向上心は持ち合わせていなかった。
そんな私はある時、書店でたまたま手に取った朝井リョウさんの「正欲」で小説にどハマりしてしまったのだ。
この作品では多様性が重要視されるようになった時代を生きているマイノリティな人々の生き辛さを描いていて、特に主要キャラクターはみんなもがき苦しんでいた。
(ここでは作品の内容について詳しくは書かないが、今年の秋に映画化するので皆さんぜひ見ていただきたい)
この作品を読んで私は気づいてしまった。
私は苦しんでいる人達と傷の舐め合いがしたいのだと。
ただ、リアルの私の友人は私よりも上手くいっているように見えるので、私はフィクションの世界に仲間を求めているのだと。
そのことに気づいて以降、私は就活の合間にたくさんの小説を読んだ。
自分以上に苦しんでいるような主人公が登場する作品を選び、彼らの物語を強く求めた。
面接に落ち続けてしまうと、私がこの世で一番不幸なんじゃないかという気になってくるので、私だけが苦しんでいる訳じゃないと思いたかったのだ。
私はいろんな作者の作品を読んだけれども、その中でも朝井さんの作品を好んで読むようになった。
朝井さんは社会の歪みや人間の内面を描くのが上手だ。
特に現状を受け入れられず、もがき苦しむキャラクターの心境を描くのが抜群に上手い。
何かになりたくて必死に色んなことに挑戦するも、心の底からやりたいことが見つからない男。
親友と一緒に漫画家になるという夢を捨てた保険営業マン。
など
時折、このキャラクターの持つ感覚わかるな。
客観的に見るとすごくダサく痛いんだろうな。
なんて、キャラクターの心情に共感してしまう。
そして、私だけが苦しんでいるわけじゃない。
どこの誰であろうと、生きていくしかないんだ。
ということを再確認させられる。
朝井さんの作品を読むと、自分だけが苦しんでいるわけではないという気持ちになるのだ。
私はこれからも朝井さんにお世話になると思う。
朝井さん、これからもたくさん小説を書いてください。
私の生きる原動力になるので。
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