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『マイ・ライフ』幸せな夫婦に生と死が同時にやってくる物語

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待望の第一子の誕生を待ち望むボブとゲイル。しかし夫のボブは末期がんで余命わずかと宣告される。現実を受け入れられず混乱する中、ボブはまだ見ぬ息子のために自分の人生について語ったビデオを撮り始める。忘れていた記憶を取り戻したり、仲違いした人たちとの和解を経て最期には長年心に秘めていた怒りを手放し、新しい命の誕生を迎え幸せな一時を過ごす。しかし病は待ってくれない。まだ物心つかぬ息子に目を細めながらボブは最期の時を迎えようとしていた。

YouTubeではVlogと呼ばれる個人動画が注目されるようになってしばらく経つ。自分自身にカメラを向けて喋ったり、身の回りの些細なことをネット上に公開する。一昔前なら何が面白いの?と突っ込んだだろうが、今や素人の動画チャンネルを見るのが日常となっている。

それで思い出したのが大昔に見たアメリカ映画だ。確か90年代の金曜ロードショーで放送されていた、「余命わずかな男性が生まれてくる息子にビデオレターを残す」というストーリーだったような。おぼろげな記憶を頼りに検索するとNetflixで配信されていた。まず主演がマイケル・キートンで仰天。全く覚えていなかった。そして出産を控える妻をニコール・キッドマンが演じている。これも全く覚えていない。ビッグネームが主役なのに全く印象がないのは私が子供だったから、それともストーリーの強さだろうか。

劇中で重要な役割を果たすハンディカムは1989年発売のSONY CCD-TR55。今振り返れば大きなビデオカメラだが、当時としては画期的な商品だろう。主人公がカメラに向けて思いを吐露する中で次第に変化が生まれてくる。まだ見ぬ息子に語りかけるモノローグが本人に一種のセラピー効果をもたらしているように見えた。

大人になってから再びこの映画を見て最も感銘を受けたのは「生を迎えること」と「死を迎えること」が同じ構図で描かれていることだ。夫婦揃ってマタニティ教室で陣痛の際の呼吸法を学ぶ。夜になると激痛で眠れない夫はその呼吸法で痛みを抑えようとする。夫は歩行器を使った歩き方を息子に教えるためビデオを撮る。しばらくすると筋力が低下した夫は大人用歩行器を使った歩き方を学び始める。出産の時に痛みを和らげようと夫は氷で妻の口を湿らせる。死期が迫り衰弱する夫の口を妻が氷で湿らせる。押し付けがましくない自然な演出で生と死が実はとても近いものであるというメッセージが繰り返される。この他にも忘れようとしていた思い出を取り戻したり、不義理で疎遠になっていた家族と衝突しながらも和解したり。今で言うVlog的なビデオメッセージを中心に幸せな終末期のあり方を1993年にの時点で示している本作。先見の明に唸らされた。

原題:My Life 監督:ブルース・ジョエル・ルービン(1993年)


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