わたしの映画日記(2022年3月12日〜3月18日)
3/12 土曜日
『そして人生はつづく』アッバス・キアロスタミ 1992年 イラン(シネモンドにて上映)
映画監督と幼い息子が車でどこかに向かっている。通行規制が思わせるやり取りで目的地で何かが起きたことを予感させる。どうやら直近で大地震が起きたらしい。瓦礫の山をかき分ける人々を横目に、車はどんどん進んでいく。峠の山道での大渋滞をすり抜けて親子はコケルという村を目指す。そこには『友だちのうちはどこ?』に主演した少年が住んでいる。安否を確かめるための旅路は様々な出会いで彩られる。行きたい場所は決まっているのになかなかたどり着けない。それでも少しずつ近づいていく。俯瞰してみれば人生そのものを描いていた。劇中で登場する被災地・被災者があまりにもリアルなので「いったいどうやってこの映像を撮ったのか?」と考えてしまったが、驚くべきことにこの物語はフィクション。虚実の狭間を狙ったキアロスタミの手腕に舌を巻いた。
3/13
『ロシュフォールの恋人たち』ジャック・ドゥミ 1966年 フランス(U-NEXT)
ジャック・ドゥミのミュージカル映画といえばまず『シェルブールの雨傘』が思い出される。もちろん長らくその存在は知っていたものの『ロシュフォール〜』を観ていないことが気がかりだった。結果から言えば大傑作。主人公の美しい姉妹、その母親、水兵、アメリカから来た作曲家などなど。登場人物それぞれが過去・現在・未来の恋愛に思いを寄せている。歌と踊りで物語が進んでいきながらもお互いがギリギリのところですれ違う。ひたすらすれ違い続けた挙げ句にこれで終わりか?と思わせぶりなのもとても良い。パステルカラーの街並みと衣装にミシェル・ルグランの楽曲がひたすら明るく爽やかな作品。
『簪』清水宏 1941年 日本(The Criterion Channel)
同じく清水宏監督作の『按摩と女』と同じように舞台は温泉地。しかしこちらは登場人物が多くより個性的。温泉旅館に逗留する人々が事情を抱えながらもゆるやかに連帯し、再び自分の居場所へと帰っていく。ただそれだけなのに寂しく感じるのは戦時中だからだろうか。同時代の日本映画の常連たちも数多く登場するが、とりわけ若かりし頃の笠智衆は必見。
3/14 月曜日
『Directed by Andrei Tarkovsky』ミカエル・レズチロフスキ 1988年 ロシア(MUBI)
タルコフスキーの遺作となった『サクリファイス』の撮影現場を中心に学生への講義やインタビュー動画を交える。大理石の塊を扱う彫刻家のように時間を彫刻する監督の映画哲学。霊性(スピリチュアリティ)に関して何度も言及していることからも映画作りにおける深い思索を感じた。もちろんここでの霊性とはキリスト教、さらにいえばオーソドックス・チャーチ(正教会)の信仰に根ざした霊性を指すのは言うまでもないだろう。彼の映画術は「時間の彫刻」としても知られているそうだ。本人がそれに言及するシーンはなかったが、ナレーションでは”大理石の塊を扱う彫刻家のように時間を彫刻する”と説明されていた。「文学以外で時間を自由に扱える芸術は映画だけ」とタルコフスキーは言う。正直なところタルコフスキー作品には全く手を出せていないので、『サクリファイス』をとっかかりに攻めていきたいと思った。ドキュメンタリーの終盤で燃える家を前にした役者が右往左往するシーンの撮影風景が含まれている。少なくとも2回は同じシーンを撮影しているように見えた。セットとはいえ家を燃やすとなると予算の枠もあるだろうに、何度も粘れるのは大巨匠ならこそなのかもしれない。
『The Gospel According to St. Matthew』ピエル・パオロ・パゾリーニ イタリア 1964年(MUBI)
タイトルそのままにマタイによる福音書を映像化したパゾリーニの作品。イタリア南部のバジリカータ州をユダヤ、サマリア、ガリラヤに見立てている。流石にエルサレムは無理があるようにも見えたが、丘陵地帯を歩くイエスと12人の一行は様になっていた。創作セリフがどこかに入っているのかと身構えていたが、登場人物たちの言葉は基本的にマタイ書に忠実で驚いた。もちろん全てを再現しようとすれば映画の尺に収まらない。何かを付け加えるというよりは省く形で映画に仕上げているように感じた。終始威厳のある顔のイエスが唯一ほころぶシーン。エルサレムに入城した彼のもとに子供たちが駆けつける。そして口を揃えて高らかに”ダビデの子”を讃えるのを見て満面の笑顔を見せる。映画全体のトーンと比較しても明らかにここだけ異質。もしかしするとパゾリーニはこれを撮りたかったのか?と思ってしまった。無神論者・マルクス主義者・同性愛者であったパゾリーニが真正面から撮ったイエス像。ゴルゴダの丘からのクライマックスはうっかり感動してしまった。邦題『奇跡の丘』。
3/15 火曜日
『港の日本娘』清水宏 日本 1933年(The Criterion Channel)
物語は女学生の二人組が仲良く下校している場面から始まる。お互いに同じ年上のバイク乗りの青年に片思いしていることが描かれ、二人の関係に少しずつ変化が生じる。普通に考えればこのまま三角関係がもつれそうなものだが、それを心良く思わない別の大人の女性が青年に色目を使い始める。このままでは青年を奪われてしまうと悟った女学生の片割れが極端な行動に出る。そして彼女は逃げるように長崎へ。娼婦となった彼女はヒモ男を連れて横浜へと帰ってくる。そして例の青年が仲良しの同級生と結婚したことを知る。最初はサイレント映画と高をくくっていたが、前半の女学生パートの終わり頃にはすっかり物語に引き込まれていた。プロットだけを抜き出せばよくある三角関係のメロドラマだが、そこはやはり清水宏。徹底して計算しつくされた構図が観るものを魅了する。素晴らしいサイレント映画だった。
3/16 水曜日
『A Screaming Man』Mahamat-Saleh Haroun チャド/ベルギー 2010年(MUBI)
外国人も多く宿泊するホテルで働く男が主人公。長年務めるプール管理人のしごとに愛着と誇りを持っている。男の息子もいわば弟子のような存在として同じ職場で働く。まだまだ独り立ちできるほど仕事に通じているわけではないことが描かれる。ある日突然、ホテルが中華系オーナーに買収されることが発覚。仲間が解雇を言い渡される中、男はプールの役職からゲートで車両を迎える警備員への転属を命じられる。慣れない仕事に四苦八苦した挙げ句、自分の後釜に息子が据えられていると知ってしまう。嫉妬にも似た息子への感情に苦しむ。時同じくして反体制派との戦いに貢献するよう圧力をかけられる。そして男は息子を戦場へ差し出すことに同意する。半ば誘拐されるように国軍へ徴用された息子。落胆する男とその妻のもとに入れ替わるように息子の交際相手が転がり込んでくる。反乱軍の攻撃が迫る中、男は再びプール管理人の仕事に戻るのだった。混乱のなかで街を追われる群衆を描いたシーンはここ数週間のウクライナ情勢とリンクして見ていて辛かった。アフリカで何度も繰り返されながらもほとんど無視してきた出来事。それが東欧で起きると急に親近感を覚える自分のけったいさに自己嫌悪。悲劇的なラストだが父親の息子に対する愛憎混じった感情が繊細に描かれていた。主人公を演じたYOUSSOUF DJAOROが素晴らしい。
『The Adventures of Prince Achmed』 Lotte Reiniger Carl Koch ドイツ 1926年(MUBI UK)
魔術師の策略で空飛ぶ馬に乗せられたアクメッド王子が、行く先々で大冒険を繰り広げる。道中で出会った美しい娘と恋仲になるが、魔術師や魔物の妨害でなかなか結ばれない。魔法のランプを有するアラジンや魔女の助けなどを得て、最終的に魔術師と対決する。そして国に平和がもたらされる。アラビアンナイトに着想を得た影絵映画。現存する最古の長編アニメーションとして知られている。1920年代なのでもちろんトーキーではない。絵と文字で描かれる物語に音楽が添えられる。影絵で長編は流石に途中でダレるのでは?と思ったが杞憂だった。冒頭で魔術師・王子・魔女の影絵が映し出される人物紹介パートがあるため、誰が誰であるかが明確。人物だけでなく作り込まれた情景描写にも目を奪われる。この映画が夜に出てからもうすぐ100年となるが全く色褪せることのない作品だった。シンプルな表現が心を打つ好例。あの淀川長治も絶賛していたとか。邦題『アクメッド王子の冒険』。
3/17 木曜日
『By the Time It Gets Dark』 アノーチャ・スイッチャーゴーンポン 2016年 タイ/オランダ(MUBI)
まず前提となる知識が必要。1976年10月6日。タンマサート大学構内で集会を開いていた左派学生と市民活動家が警察や右翼組織に襲撃される。死傷者は46名、負傷者は167名とされる。冒頭では後ろ手に縛られた学生たちが銃をちらつかせる武装警察に「頭を下げろ!」と怒鳴られるシーンから始まる。緊張が最高潮に高まったところで銃声が響く。そして映し出されるのはこの事件で生き残った女性とインタビューする女性監督。聞き取りの過程で回想シーンが挟まれるが、次第にインタビューしている監督の内面に物語がシフトする。そして突然バンコク市内で暮らす俳優のライフスタイルが描かれるが、それも虚構の中の虚構。観客をどこに向かって連れて行こうとしているのか。理解を超えた映画を見た時の感想は「よくわからないけど何か凄いものを観た」に尽きる。
『Falling Star』 Lluís Miñarro 2014年 スペイン(MUBI)
舞台は19世紀後半のスペイン。衰退と分裂の危機に瀕してイタリア王室から国王として迎えられたアマデオ1世が主人公。自身を招聘したプリム元帥が暗殺される。就任早々に後ろ盾を失い政変の渦中へ。アマデオは周囲との軋轢から苦悩する。二人の召使いの男と身分の低い住み込みで働く女性。後にイタリアからやってくる妻。メインの主人公が非常に少なく、城にこもりっぱなし。城の内部の装飾や生活ぶりは豪勢にもかかわらず、画面には常に圧迫感があり陰鬱。狭い空間で人間が集まって行うことといえば…相手が同性であろうが異性であろうが関係ない。脈絡もなく映し出される男性のブツは狙いがいまいちわからなかった。八方ふさがりの生活で唯一残された万能感を象徴しているのだろうか。アマデオ1世は内政立て直しに失敗し、最終的にスペインを去る。イタリアから妻がやってくるシーン、妻が愛想を尽かしてスペインを去るシーンで突然流れる現代の音楽(シャンソン?)。あまりにもマッチしていなくて椅子から転げ落ちそうになった。
3/18 金曜日
『乳房よ永遠なれ』 田中絹代 1955年 日本
北海道で二人の子供を育てる女性が主人公。冒頭の短いやり取りであまりにも不幸で理不尽な夫婦関係が描かれる。彼女にとっての楽しみは子供たちとの時間と趣味の短歌。ときおり札幌での短歌の会に参加して自身の作品を発表している。短歌の会での交流が重苦しい家庭の雰囲気と対照的。再び家に戻ると夫の重大な裏切りが発覚し離婚を決意する。実家で新しい生活を始めながら長年の趣味だった短歌にも注目が集まる。しかし密かに思いを寄せる歌人が死去。自身の乳がんも発覚し人生に暗雲が垂れこめる。そんなさなかに東京の田中絹代は日本の女性映画監督の先駆けとして、女性が主人公の映画を撮ったことで近年注目を集めている。実際この文章を書いている18日より、ニューヨークのリンカーンセンターでは『田中絹代レトロスペクティブ』と題して彼女の監督作、出演作が上映される予定だ。田中絹代監督作に関しては新しい4Kリマスター版。出演作は35ミリフィルムでの上映とのこと。”女性監督”という枕詞自体がバカバカしいが、そうでもしないと注目を集められないのも事実。きっと今後再評価が進み、小津・溝口・清水・成瀬に肩を並べる日本映画の巨匠として評価される日が来るはずだ。
番外編
東京国際映画祭のイベントで実現したイザベラ・ユペールと濱口竜介の対談。イザベラ・ユペールがこれまで共に働いてきた名だたる映画監督と、濱口監督の映画術の共通点。映画と演劇の違い。映画におけるカメラの意味など。通訳を介しながらも刺激的な映画談義が展開されていた。
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