『我が美しき壊れた脳』脳卒中で死の淵をさまよった女性が新たな自分として生きるまでを追ったドキュメンタリー
34歳のロッチェ・ソッダーランドが脳卒中から生還した後、全く変わってしまった自分の脳と格闘する日々を記録したドキュメンタリー映画。一命をとりとめたものの、脳の言語を司る部分や視野に後遺症があると判明。かつて脚本を書き、人前で雄弁に話していたロッチェにはとりわけ辛い経験だった。体調が回復して一旦は退院したものの、言語療法を受けるために3ヶ月の入院を決める。治療の甲斐もあって言語能力に改善の兆しが見え始める。頭に電極を貼り外部から電気刺激を与える治験段階の治療も受けはじめる。事態はおおむね良い方向に向かっていたのだが、治験終了間近に彼女の自尊心が打ち砕く事件が起こる。そこから新たな苦闘の日々が始まるのだった。
脳の機能が失われてしまった患者が偶然にも特別な才能に目覚めて新たな自分を発見する、という上手い話ではない。人一倍に“言葉”を使うことで人格や人間関係を築いてきた主人公ロッチェにとって、ある日突然”言葉”を失うことがどれだけ苦痛であったか。その苦しみは計り知れない。まして34歳の若い女性にとっては、何かを失うことだけでなく、これから得られるはずだったものさえ手が届かなくなることを意味する。彼女は芝居じみた絶望の表情や涙を見せることはない。しかし言語テストで何度も何度も言葉に詰まる姿を通して事態の深刻さが伝わってくる。
普段、私たちが何気なく操っている言葉。一言で「言語能力」といってもいくつかに分類される。読む・書く・聞く・話す。この4つの能力は健康かつ母語に問題がなければ、いとも簡単に操れる能力だ。脳卒中で言語野に障害が残ると4つのうちの1つ以上の能力が損なわれてしまう。ロッチェは聞いた言葉をリピートはできる。でも思い浮かんだ単語を発することはできない。「本棚にあるアレ、なんて名前だっけ?」「レコード?」「そう、レコード」このやりとりが全てを物語っている。ちょうど外国語学習者がフラッシュカードで単語を覚える地道な作業を、慣れ親しんできた母語で行う。自尊心をすり減らす訓練だろう。映画では脳卒中によって視野に生じた変化を視覚効果で表現している。常に幻覚を見ているような体験。自ら幻覚を求めて薬物を摂取する人ならまだしも、望んでもいないのに起きている時間ずっと視野の一部がキラキラが光っている。これもまた適応するのに時間がかかる現象だ。症状が受け入れなければならない現実に、その現実が自分の生きるべき世界となっていく。
一筋縄ではいかない治療の過程に一喜一憂する中で彼女が出した答え。それは「脳卒中前の自分/脳卒中後の自分」の断絶を受け入れて新たな自分として生きることだった。特別な才能を得たわけではない。しかし回復の過程を自撮りしていく中で、最終的には憧れのデヴィッド・リンチをエグゼクティブ・プロデューサーに迎えドキュメンタリー作品を世に送り出すことになる。諦めなければいいことがある、などという綺麗事が万人に当てはまるわけではない。ハッピーエンドで物語は締めくくられているがロッチェは今後も後遺症と付き合っていくことになる。肝心なのは失われたものを嘆くのではなく、残ったものに感謝し、これから得られるものに期待し続けること。彼女は壊れてしまった脳を“美しく”創り変える方法を自分なりのやり方で示しているのだ。
原題:My Beautiful Broken Brain(2014年)
監督:ソフィー・ロビンソン、ロッチェ・ソッダーランド(本人)
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