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noteドラマ 「りんごとオレンジ」④


chapter.4 「 あの歌 」


髪を切ったのは、気分転換なんかじゃない。
あなたへの当て付けだったこと、本当はもう
とっくに気付いているんでしょう?

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ーーアラームが鳴り響く。
しまった、今日は早くから起きなくてもいい日だったのに。せっかくだからもう一眠りしようと、まぶたを閉じて、首元に手が触れて……そこで、目が覚めた。

駄目だ。今朝もまだ驚いてしまった。

「失敗した。………起きよう。」
妙はベッドの上でそう呟いた後、悔し紛れに伸びをして、太陽の光をめいいっぱい浴びた。


顔を洗う。鏡は、必要以上に見ないようにする。
お水を飲みながらスマホをチェックしていると、六花から長いLINEが入っていた。

『妙ちゃんっ!おはよ!
この間も伝えたけど、、絡んだ挙句、酔っ払って知らない間に寝ちゃってほんとにほんとにごめんなさい(涙)恭ちゃんにも怒られました(涙)
リベンジさせて〜〜!リモートでも、ちょっとお茶でも、妙ちゃんに合わせるよ!』

文字からハの字眉毛の顔が浮かんできそうで、一人で笑ってしまった。そして文章はこう締めくくられていた。

『次は妙ちゃんの話、聞く番だからね!景くんと何かあったかい??話したらすっきりするかもよ(誰かの受け売り)』

・・・


「景くん」
そう書かれた文字の並びだけで、脳が無意識に反応してしまう。

未読が溜まっているLINE。増える着信履歴。
分かってる、煩い。煩い煩い煩い。

水をどれだけ飲んでも渇きが無くならない。
あたしが心の枯れ果てた女だからだろうか。


スマホを消し、とりあえず今日もどうせマスクで半分は隠れるくせにちゃんと化粧をする。けれど世間一般の皆さんよりずっと前からマスク慣れしているあたしにとって、これはもうなんてことのない日常の一環だ。

ネイリストという仕事に就いてから、4年。とにかくガムシャラに走り続けてきた。
母子家庭の長女、下に歳の離れた弟妹が1人づつ。早く手に職をつけて自分の力でバリバリ稼げる仕事をすること、それがあたしの望んだ「しょうらいのゆめ」だった。血は怖いから看護師はNG。となると残されたのは、美容師だけだったので迷わず選択。美容関連の専門学校へゆき、資格をいろいろとった中でとりあえず美容師になったものの、パッとせずネイリストに転職。チビ達のお弁当づくりで鍛えられたおかげか、あたしには細かい作業のほうが向いていた。


景は、その美容学校の一つ下の後輩だった。
と言ってもあたしは景のことなんてからっきし記憶になくて、どうやら景が一方的にあたしを認識していたようだ。

2年前。同じサロンも飽きてきたところだしそろそろ変えてみるか、とネットで見つけてたまたま入ったサロンにいたのが、景だった。


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「カットカラーでご予約の、楢崎、さま」
そう呼ばれて案内されてからというもの、やたらと鏡越しに目が合うひとだなとは思ったけれど、そこはサービス業同士。ニッコリと牽制しつつ希望イメージを伝えると、彼がそのまま担当になるらしい。
愛想がよくて可愛らしい犬顔の男の子が、顔に似合わない男らしい骨張った手でシャンプーをしてくれる。あぁ、なんて至福の時間。おじさんのような気持ちで思わずうとうとしていると、犬顔くんが小声でそっと尋ねてきた。

「あの……こんなことお客様に尋ねるのはルール違反なんですけど、それでも一生後悔しそうなので……違ったらすみません。
ヒロノ美容専門学校の、楢崎先輩ですよね……?」

「………ふぁい?」
うとうとしていたのと、鼻にくっつきそうなフェイスカバーとで、なんだか呑気な返事をしてしまった。ていうか、この子なんであたしの出身校知ってる訳……?

それ以上の会話はないままシャンプーが終わり、身体を起こされてサロン台へと誘導される。ケープをかけられ、目にかかる髪をそっと分けられたときに初めて、犬顔くんの名札に目がいった。あたしの目線に気がついたのか、手を止めて自己紹介をしてくれる。

「改めて、楢崎様を担当させていただく、井出上(いでかみ)と申します。よろしくお願いします!」
「い、で、か、み……」
口の中でもう一度呟いてみても、その耳馴染みのない珍しい名字が記憶にヒットすることはない。

シャキン、シャキン、と小刻みなリズムであたしの髪が落とされてゆく。心が剥がれていくときみたいだ、と何故かあたしはいつも思う。

「胸下くらいの長さをキープして、全体的に梳いて、でも巻いたらボリュームが出るくらいで、減らしすぎないで。」
あたしの面倒で細かい注文に、真剣な顔で必死に応えてくれているのがその目つきと手捌きから伝わった。犬顔くん、いや、井出上くん、気に入った。気に入ったのだけど、それでも引っかかるのはやっぱりさっきの質問。

「井出上くんはどうして、あたしの出身校を知ってたの?」
鏡越しにバチッと音がするように、あたし達の視線が交錯する。時が止まったようだった。
「もしかして、あたし今声に出してた……?」
「えっと、なんというか、完全に楢崎先輩の心の声が僕のところまで漏れてました……」
「言ったってことね、要するに。最悪……。まぁいいや、どうせ聞いとかなきゃ気になって眠れなかっただろうし!で、なんで?」
「あ、なんか変なシコリ残しちゃったみたいですみません。僕、実は同じ学校に通ってて。楢崎先輩の、1つ下の学年だったんです。」
「……へぇ、後輩なんだ。まぁ美容関係だとあり得るよね。え、でもさ、うちの学校って結構人数もいるし、学年ごとの関わりとかほぼ無いじゃない?なんであたしのこと……」
そこまで聞いたときに井出上くんの耳がだんだん真っ赤になっていることに気がついて、あたしは言葉を続けることが出来なかった。


・・・


カットが終わりかけた頃、井出上くんはあたしにだけ聴こえる声でぼそぼそと話し始めた。
「学校行ってるとき、楢崎先輩知らないかもですけど僕らの代では結構有名で。腰まであるロングヘアが似合ってて美人だなぁって最初は見てるだけだったんですけど、一回エレベーターで一緒になって。楢崎先輩が出るときに僕がドアを押さえてるのに気づいてくれて。優しいね、ありがと、って言って颯爽と歩いていったんすよね。うわっかっけーって思って。そこからずっと、すげーいいな、って思ってて………」

今度は、こちらの耳が真っ赤になる番だった。
なんだこの子犬は。チビに囲まれて育った長女という性格は、本当にこういうタイプに弱い。否応なしに母性がくすぐられてしまう。

「そこから卒業するまで、僕びびっちゃって楢崎先輩になかなか声かけられなくて。もちろん卒業後に会えることもないですし。めちゃくちゃ後悔してたんですよね。でも今日、新規のお客様のリストに楢崎先輩の名前見つけて。店長に俺担当したいですって名乗り出ちゃって。一日中ソワソワして、めちゃくちゃ緊張してました。」
鏡の向こうで、へへっ僕ダサイっすよね、と情けなさそうに笑うハの字眉毛を見ていると、高校時代の六花のことを思い出した。


『たっ妙ちゃん……私今日、高橋先輩の下駄箱に御守り入れてくるっ!』
『え?せっかく用意したんだから、直接渡しなさいよ!下駄箱に入れるって何よそれ!』
『無理だよぉ〜〜私ビビリだもん〜〜』
『もうあんたほんっと情けないわね!高橋先輩このまま卒業してもいい訳?』
そんなあたしの怒りを他所に、ぷるぷると震えながら誰もいない放課後を待って、下駄箱に御守りを忍ばせただけで顔を真っ赤にしていた、六花。
あぁ、あたしはやっぱり昔から、こういうタイプに弱いのだ。


「……いいんじゃない、それでも今日は勇気出せたんだから。数年越しに?」
「あれで一生分使い果たしたっす。」
「言い過ぎよ、馬鹿じゃないの。」
「………この後のカラーも頑張ります。」

帰り際、名刺の裏に書かれた連絡先を渡されて。「井出上くん」が「景」に、「楢崎先輩」が「妙さん」になるまで、そこからはもうあっという間だった。
子犬みたいな一つ下の男の子は、とにかく優しくてとにかく可愛くて。月曜休みの景と火曜休みのあたしは、なかなか丸一日を一緒に過ごすことはできなかったけれど、妙さん妙さん!と隙を見つけては戯れてくる景の姿に、張り詰めて疲れ果てた心はいつも癒されていた。

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付き合って2年が過ぎた頃、いきなり世間がこんな状況になってしまった。仕事も休みになったりで大変だけど、そんな中不謹慎にもあたしは少し喜んでしまったのだ。景と付き合ってから初めて、こんなにも一緒に過ごす時間がゆっくり取れるということに。
あたし達は離れて暮らしていたけれど、朝から晩までずーっとネットを繋いで過ごしていた。お互いバラバラのことをしていても、画面の向こうにはいつも誰かの気配があって。お互い違うものを食べていても、画面の向こうでは景が同じテレビを観ながら笑っていて。怖いニュースしか流れない毎日の不安が、かき消されていくようだった。


「ねねね、妙さん妙さん。やっぱりさ、この自粛生活が終わったら俺たち一緒に暮らそうよ!休みも合わないし、いちいち時間作ること考えたら、絶対にその方がいいよ!」
「うーん、そうねぇ。まぁ今もこうして一緒に暮らしてるみたいなものだけどねぇ。」
「全然違うってば!隣に妙さんがいるのと、画面に妙さんがいるのとでは、全っっ然違うよ!」
「はいはい、分かった分かった。ちゃんと考えてるから。」
手振り身振りを交えてそう熱弁する景に、早くもあたしは負けてしまう。一緒に暮らす、か……。

「わ〜〜!俺めちゃくちゃ楽しみだぁ〜〜!!
あっそうだ!妙さんはさ、犬派?それとも猫派?
髭男の歌でさ、"犬かキャットかで死ぬまで喧嘩しよう!" ってあるじゃん。あの歌、俺めちゃくちゃ好きなんだけど、妙さんはちなみにどっち?
俺はねぇ〜〜犬派!!!って、実家で4匹犬飼ってる話してるから妙さんもう知ってるよね〜〜。
ねね、一緒に住んだらさ、犬飼わない?犬飼おうよ!!犬種は何がいいかな?俺はね……」


ーー先程までの幸せな気分が、するすると途端に消えてゆく。変わらず楽しそうに何か話している景の声が、よく聴こえない。
もう知ってる、十分に知っている。待ち受け画面がその犬達なことも、道で散歩中の犬を見かけるたびに可愛いなぁと笑って目尻が溶けそうになることも。

……だから、あたしは。だからあたしはずっと言い出せなかったのに。それなのに、こちらの気も知らないでコイツは何を呑気にぺらぺらと。

「あれ?おーい、妙さん。聴こえてる?止まっちゃった?」
「………犬かキャットか、って」
「あ、良かった。ん?ごめん、今なんて?」


「………犬かキャットか、なんて誰が決めたのよ。
犬かキャットかで死ぬまで喧嘩する前に、まずは飼うか、飼わないか、から喧嘩しなさいよ!!」


……馬鹿みたいと思われるかも知れない。
髭男に悪いところは一切ない、完全にただの八つ当たりだ。

だけどこれが。あたしと景が、もう1ヶ月も口を聞いていない原因となる出来事だったのだ。





                   続く

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