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スコーンを作りながら感じた、私の原動力。

朝、スコーンを焼いた。
こめ油を使った、ザクザクスコーン。プレーンとよもぎ。

正直に言えば、スコーンを作ったのは、引っ越し前に小麦粉を消費したかったからで。「作る」と言ってしまたからだったりする。
その瞬間に『作りたい』という気持ちはなく、なんとなく『作ろうかな…』と思ったくらいだった。

作ったスコーンを食べながら、「レンジの中のスコーン、ご自由にどうぞ」とLINEを送った。
…「ありがとーう」の言葉がすごく嬉しくて、胸の奥でポカポカしたものが動くのを感じた。

シャワーを浴びながら、たった一人の人が頭に浮かんだ。
『スコーンをあげたらどんな顔をするかな?』とか『この人のために作るなら、どんな味がいいかな?』とか、『こんな感じのスコーンにしたら、どんな反応するかな?』とか…考えてるうちに、自分の中で『スコーンを作りたい!』という気持ちが強くなった。

先に言っておくと、私が想像した相手は「好きな人」ではない。
『相手にどう思われたい』みたいな気持ちは何もなくて、ただその人が喜ぶ顔を想像して、どんなスコーンを作るかを想像してた。

…この気持ちのままスコーンを作ったら、何かをつかめそうな気がした。
チョコを買いに、スーパーまで急いだ。
急いでも、片道15分以上かかる。

帰り道、自分の中で「湧き上がってきてた何か」が消えかけてるのを感じた。
帰り道、いつもの御嶽で手を合わせた時、『今湧き上がってきている感情がすごく大切で、これがわたしの原動力になってるんだと思う』と、今日の出来事を伝えた。そして、『この気持ちが消える前に、スコーンを作らせてください』と祈った。
その瞬間、近くから子供たちの「ファイトッ♪ファイトッ♪」の声が聞こえてきた。
なんだかすごく面白くなって、にやけてしまった。

※※

家に帰って、スコーンを作る。
今朝作っただけなのに、材料の配分は覚えてた。
何も考えず、ただスコーンを作る。

スコーンを作ってる時の私は、すごくご機嫌で、楽しくて♪
ふとした拍子に、ものすごい笑顔で作ってることに気づいた。

チョコレートが焼ける香りがふんわり広がると、すごく温かい気持ちが広がって、幸せを感じる。
すごく幸せな時間だった。


なんとなく思った。
「愛情を込める」とかではなくて、ただ楽しくて、幸せで…、そういう気持ちで作ったものには、自然に「愛情がこもる」んだなって。

マッサージも、ヒーリングも、話すことも、文章を書くことも…、みんなそうなんだと思う。

わたしがどんな気持ちでそれと向き合ってるか、私が誰に何を届けたいか…、そういうものがエネルギーとしてこもってるんだろうなって。

だったらきっと、私がすべきことは、「どんな形にするか」ばかり考えて悩んで『自分が嫌なことでもやろう』と努力することじゃなくてね。
きっと、誰に何を届けたいかを想像して、相手の顔を想像して、自分がすることを想像して…、そうやって『楽しい』って気持ちので表現することなんだろうなって。

自分が『苦しい』『離れたい』と思う環境で戦い続けることじゃなくて、自分が『幸せだ』『心地いい』『楽しい』と感じる環境にいることなんだなって。
『やってみたい』『楽しそう』を大事にすることなんだなって。

そんなことを思った。


※※

1つ目のスコーンが焼けるのを待ってる間、人との関わりの中でモヤっとする瞬間があった。
それでも私は『2種類目のスコーンを焼きたい』と思っていて…。
『スコーンを焼きたい』と思う気持ちが消えないうちに、急いで作った。

作ってる最中に、仕事の話をされて…、ちょっとイラっとした。
「今、作ってるところなので、後にしてください」と伝えたものの、『早く作らなきゃ』『あのあたたかい気持ちを取り戻さなきゃ』と焦った。
焦っても幸せな気持ちは帰ってこなくて、スコーンづくりを楽しみきれなかった。

※※

この日に作ったスコーンの中で、私が本当に満たされていて、満足して作ることができたのは1種類だけ。

あの時の気持ちは、わたしにとってものすごく大切で…、わたしの原動力になるものなんだと思う。

誰かが喜んでくれる顔を想像すること。
誰かの幸せを想像すること。
『こんなことをやったら、相手は存な反応をするだろう?もっと喜んでくれるかな?』と想像を膨らませていくこと。

そして、そこで湧き上がってきた『楽しそう』『やってみたい』って気持ち。
その気持ちこそが、私の原動力なんだと思う。

思い返せば、セラピストをしてた頃もそうだった。

お客様が喜んでくれることが嬉しかった。
お客様がもっと癒されて、満たされて、温かく笑っていることを想像した。幸せそうに笑って暮らせることを想像してた。
『こんなことをしたら、あの人はどんな反応をするかな?』とか『もっと~したら、もっともっと癒されて心地よく暮らせるんじゃないかな?』とたくさん想像した。
そして、『もっと癒せるように』『もっと幸せになれるように』と、たくさんのことを想像してた。

そこには、わたしの『楽しい』『やってみたい』がたくさんあって、それがわたしの原動力になってた。
『誰かのため』がわたしの原動力になってた。

わたしはきっと、自分のためだけに動くことはできない。
わたしはきっと、誰かのためだけに動くこともできない。
そんなに器用な人間じゃない。

だけど、わたしは、そんな自分の不器用さが大好きなんだと思う。

誰かのためを想像する。
誰かの笑顔、喜んでくれる姿や幸せになることを想像する。

そして、私の『楽しそう』『やってみたい』みたいな気持ちが湧き上がる。

そういうものが重なった時に、わたしは動けるんだと思う。

そんなことを思ったんだ。

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