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「いったん東京に戻るか迷ってる」と言葉にしだけで、声が震え、涙が出た。それほど不安で寂しく、心細かったのだろう。

このまま沖縄に残るか、それとも、いったん東京に戻るか…

『いったん東京に戻ろうかな…』と思ったものの、『本当にそれでいいの?』『せっかく逃げてきたのに?』『もしかしたら、この先に、自分のかなえたいものがあるかもしれないのに?可能性があるかもしれないのに??』とぐるぐる悩んでいた私は、なんとなく母に電話した。

母の声を聴いた瞬間、胸の奥で何かがぐわんぐわん動いた気がした。

「このまま沖縄に住むか、いったん東京に戻るか、ちょっと迷ってるんだよね…」

言葉にした瞬間、自分の声が震えてることに驚いた。

「うん、いったん帰ることにするよ」といった時、涙が出そうな予感があって…慌てて電話を切った。


電話を切ると、涙が止まらなくなった。

もしも防音の部屋にいたら…私はきっと、声を出して泣いただろう。

それくらい、こみ上げてくるものがあった。


泣きながら思った。きっと、私は不安だったのだ。心細かったのだ。寂しかったのだ。


思い返してみれば、沖縄に来る前からそうだった。

いつもなら、飛行機に乗る前からワクワクが止まらない沖縄。

今回は、『沖縄に来た』という実感がわかんないまま、沖縄に来てつぃまった。


いつもなら『美味しい!』と大興奮の沖縄そば。毎日のように通い続けた、思い出の味。

でも、今回は『美味しい!』と思えなかった。いつもの味なのに…なんだか心が温まらなかった。


いつもなら、自分で作った沖縄そばって、めちゃくちゃ美味しい!

でも今回は、退屈な毎日の延長線上にあるような、そんな感じだった。


いつもなら、ボーっと眺めてるだけで心地よかった、海。

でも今回は、『きっと海が癒してくれるはずだ』と『いつものように…』と、ただ海を眺め続けた。


いつもなら、行くだけでワクワクして、にやけてしまうような久高島。

でも今回は、体や心が軽くなっていくのを感じるのに、楽しみ切れなくて、どこか冷静な自分がいた。


思い返してみれば、ずっと『何かが違う』という違和感があった。

『沖縄に住む』と決めた頃と、今の自分の心持が違うことは何となく感じていたのに…

『でも、東京・家族から離れなきゃ』と『逃げなきゃ』と、『とにかく、新しい一歩を踏み出さなきゃ』と焦って、沖縄に来た。

沖縄に来れば、自分の中で何かが変わるような気がしてた。


確かに、自分の名で何かが変わったのは感じてる。

でもそれは、自分が望んでいた未来とは少し違っていた。


今までの経験上、私は勝手に『久高島は、浄化の島なのかな』と思ってる。

心や体は拒否してるのに、将来の心配をしてエゴの声で手放せなくなったもの。それを無理やりにでも引きはがす流れを作ってくれる場所。

そして、自分が心から望んでいる、次に進みたい場所へ進ませてくれる場所。

余計な足かせを外して、一歩を踏み出させてくれる場所。

誰かが言うように、久高島は神様に呼ばれないといけない場所なのかもしれない。

でも私は、自分の心の準備とか、その浄化を起こすタイミングとか…そういうものがそろった時じゃないと、いけない場所なんじゃないかなとも思う。

少なくとも私には、そんな感じがした。


今回は、私は何を手放し、どんな一歩を踏み出すことになるんだろう?

まだわからない。

ただ、それが家族関係に影響してることも、仕事・生き方に影響してるんだろうなというのも感じてる。

きっと、今回沖縄に来たことにも意味はあったのだと思うし、来なければ気づけなかったこともたくさんあった。


人を恨んだまま逃げたところで、結局、自分の中にその気持ちは残ったままだ。

その気持ちを手放すことができて、ありがたみを知って…そうやって何かが変わっていくのかもしれないなと思う。


沖縄に来た。

東京・家族から逃げて、新しい環境で始める予定だった。

でもそれは、『あれをしたい!』というワクワクした気持ちからくるものではなく、『これから逃げたい』という後ろ向きな気持ちからの行動だった。

『そのまま沖縄に住むんだ』と意地になっていた自分。

『「沖縄に住む」と言葉にしてしまったからには、住まなきゃいけない』と、いつのまにか自分を追い込んでいたのかもしれない。

「東京に戻る」という選択が、本当に正しいのかなんてわからない。今でも。

ただ、自分の中にあった感情がリセットされたのだとしたら、今までのような不安はないのかもしれない。自分の声を抑え込まずに、言葉にすることができるかもしれない。関係性が変わるかもしれない。…そんな期待もある。

もしもまた『ダメだ』『このままじゃ、自分がつぶれちゃう』と感じることがあるのであれば、その時はまた、別の場所に旅立つことができる。


※※

久高島に行ったとき、いつもは見なかった「ヤドカリ」をたくさん見た。

誰かがヤドカリの殻を「パラレルワールド」なんて言ってたような気がする。


聞いた瞬間は、よくわからなかったけど…

このnoteを書きながら、自分の中で『あぁ、そうか』ってしっくりくるものがある。

あの時の私がいた世界線と、今の自分がいる世界線。

それが『全く同じものだ』と思い込んでいるのは自分自身で、本当がどうかなんて、誰にもわからないんだよなって。

もしも『全く同じものだ』と思い超える自分のままでいたら、きっと、また同じことが繰り返されるのかもしれないなって。

まぁ、そんなことを思ったのも、たあの妄想なのかもしれないけど…。

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