見出し画像

ヒーリングやカウンセリングをすると、甘いもの・チョコレートを欲する。理由を考えながら、ヒーリングについても考えてた。

『ヒーーリングやカウンセリングをした後は、甘いもの(特にチョコレート)が食べたくなるな~』と思ったのをきっかけに、いろいろと考えてた。

チョコを欲する理由はいくつかあるんだと思うけど…、
今回は、ネガティブなエネルギー受け取りすぎて、自分のエネルギーや感情が落ちてしまった時に、チョコレートを食べることで、幸福感を感じたかったり、本来の自分のエネルギーに戻したいのかもしれないと思った。

そして、このチョコレートを欲する理由を考えた事故とをきっかけに、『今の形のままでいいのかな?』とヒーリングについていろいろと考えてた。
そんな今日のnote。

ネガティブなエネルギー受け取りすぎて、自分のエネルギーや感情が落ちた時、チョコレートを欲してるのかも。

去年石垣島に来てから、いろんな人に「ヒーリング」や「話すこと」をしてる。
特に「ヒーリング」をした翌日は、甘いものが欲しくなる。
いろんな甘いものを食べて、それが「甘いもの」というより「チョコレート」を欲してるのだと気づいた。
しかも、甘すぎない、ちょっとビターなチョコレート。

当時は、「すごく集中してるんじゃない?」とか「それだけ、エネルギーを使ってるってことじゃない?」と言われて、「そうかもな~」って思ってた。


だけど最近、「話すこと」をした後にもチョコレートを欲してることが多々あることに気づいた。
…しかも、相手や会話の内容によっても違う。

でね、ふと思ったの。
もしかしたら、「ヒーリング」や「話すこと」をする時に、相手の内側にあるものを感じすぎてしまって、たくさんのエネルギーを吸収しすぎてしまってるんじゃないかな?って。

ヒーリングが終わった時、お腹や体がパンパンになってることもある。
人のエネルギーをたくさん吸収してるんだろうな~と感じる瞬間がらう。
エネルギーだけじゃなくて、感情もそう。

相手の状態が、そこまで悪くなければ、そこまでチョコレートを欲しないんだけど…。
人数が多かったり、相手の状態が良くない時には特に、チョコレートをたくさん食べたくなる。
チョコレートだけで間に合わない時には、そのまま横になりたくなってしまう。自分を癒す時間が必要になる。


最近になって、「話すこと」をした時にも、チョコレートを欲することがあることに気づいた。
それはたいてい、相手がネガティブな感情を、楽しそうに話してる時だったりする。その感情を癒す・気づくではなく…、ただ吐き出したい時が多い。
感情が癒されなければ、そこで感じたものがリセットされることもなく…、ちょっとしんどかったりする。
そんな時に、チョコレートをたくさん食べてることに気づいた。
『あ、この人と話すときって、チョコ食べてるかも』『あ、この子がこういう感情で話してる時が、チョコがないといけない時だ…』

で、思ったの。

「ヒーリング」や「話すこと」をしてチョコレートを欲してるときは、
ネガティブなエネルギー受け取りすぎて、自分のエネルギーや感情が落ちてしまった時なんだろうなって。
チョコレートを食べることで、幸福感を感じたかったり、本来の自分のエネルギーに戻したいのかもしれないなって。


ヒーリングという形にしがみついた私は、彼に投影してた。本当に認めてほしかったのは自分自身だったのかもしれない。

そんなことを考えてたらさ、
私は人の身体に触れて、1人1人と向き合ってヒーリングするのも好きだったけど…、実は、向いてないというか、形が違うんじゃないのかなって思った。

そもそも、『話すことをしたい』という思いを受け入れたのも、ヒーリングから来てる。
身体に触れた時のエネルギーの流れもいいんだけど…、実は「話すこと」をしてる時のエネルギーの種類は違っていて…、「話すこと」をしてる時のヒーリングの方がパワフルだと感じたから。

『このヒーリングを理解してくれる人はあまりいないかもしれない』とも思ったけど…、それでも私は「話すこと」と「話すことを通じて起こるヒーリング」をしたいと思った。



最近、ヒーリングをしながら思う。

『こんなに時間が必要なの?』って。
『楽しくて、エネルギーの強かったヒーリングって、最初の方だけなんじゃないの? 残りは、満足感を高めるためなだけじゃない??』
『体に触れなくてもいいんじゃない? 遠隔とか、一瞬でできるんじゃない?』って。

それでも私、人に触れることで安心感を感じてたんだと思う。
形があることに安心感を感じてたんだと思う。

…なんだけどさ、ヒーリング後の疲れ加減とか、チョコレートを欲してることを考えてたら。
『人に直接触れてヒーリングし続けるのって、違うんじゃないかな?』『わたしにあってないんじゃないかな?』って思い始めたの。

遠隔ヒーリングをするのか。
いや、そもそもヒーリングという形にこだわらずに、別の形で癒しを届けていくのか。

…後者のような気がしてる。

楽しく話すこと、私らしく表現することで、癒しを届けていくのが、本来の形だと思う。
だって、私らしく表現してる時のエネルギー、すごく好きだもん。


…だけど、私はまだ、手放すのが恐かったんだなって。しがみつきたかったんだなって思った。
人の身体に触れたかった。
遠隔というか形だったとしても、ヒーリングという形にしがみつきたかった。
何もない、わかってもらえないことが、嫌だった。

「話すこと」をしてる時の、この空間のエネルギーに気づいてほしかった。

彼が同じことをしてるのを見た時にね…、みんなが気づいてくれなくて、本人も気づいてないことが…、悔しかった。
「彼はこんなにも素晴らしいことをしてるんだよ」って、「彼は、こんなにパワフルなヒーリングをしてるんだよ!」って、みんなに知ってほしかった。彼にも知ってほしかった。

「そんなに雑に扱っていいものじゃない」「ねぇ、もっと大切にしてよ」って。
「ねぇ、そんなに雑に扱われて、消費されてしまうことを許さないでよ」って。
「あなたはこんなにも素晴らしいのに」「あなたは、私が今まで見てきたどんなヒーラーさんよりもすごくて。ずっとわたしが求めてた最高のヒーリングをしてるのに」って。

…あぁ、私は、彼に出会ってすぐに、気づいてたんだ。だけど、それをうまく伝えることができなかったんだ。周囲に理解してもらうことができなくて…、葛藤してたんだなって。

わたしが1番やりたいヒーリングの形を。


人のためと、自分のため。

人と話すとき、「自分のため」と「人のため」がある。

「人のため」を意識する時、その空間を包むこむ。
そこを癒しの空間にする。

文章を書くとき、言葉を伝えたいと思う時、魂の音を響かせる。
自分のエネルギーを届ける。

自分の中に未浄化な重たいエネルギーがあれば、それが伝わってしまう。

だから、自分の時間がすごく必要だったりする。
自分を整える時間が必要だったりする。


「自分のため」に話をするとき、そこにネガティブな感情があれば、私はそのネガティブな感情を、周囲に巻き散らかすことになる。

良くも悪くも、人を巻き込む力が強いような気がして…、ずっとそれが恐かった。

だけど、楽しい話をしてる時、魂がキラキラした状態で話してる時、そのキラキラも人に伝えることができる。


あぁ、もっともっとだ。

自分らしく一生懸命に生きてる時、それを伝えることができる。

私はちょっと変わっていて…、だけど、そのちょっと変わってるのがいい。
自分の心や魂を大切にしていて…、そこで生まれる葛藤さえも。


わたしのやりたいことって、すごくシンプルなんだなのかもしれない。

自分の人生を楽しんでいいんだなって。
もっと幸せを感じていいんだなって思った。


「癒しの空間を作る×わたしらしく」がヒーリング。『認めてほしい・対価が欲しい。これ以上奪われたくない』という思いが邪魔してた。

…あぁ、そうだった。

大学時代、『これだ。これを一生やっていこう』と思ったあの日。
『癒しの空間を作りたい』と思ったあの日。

やりたかったことは、2つあった。


1つは、
心が繋がるほど、深く話すこと。
他者の魂の琴線に触れること。


もう1つは、
癒しの空間を作ること。

マッサージやヒーリングなんて形はどうでもよかった。
そんなもの知らなかった。

ただ、その空間の中で、いろんな人がそれぞれの体験をし、それぞれの癒しを体感していったあの空間が、終わってしまうのが嫌だった。
もっと続けたかった。
『もう1度、もっと大きな癒しの空間を作りたい』と思った。



…いつだろう。
数カ月前に夢で見たことを思い出した。

私は、体に触れるヒーリングではなく、「癒しの空間」を作ってヒーリングしてた。
部屋いっぱいにエネルギーを広げて、その空間に来るだけで癒されていく。そんな空間。

夢の中の私は、「その空間の作り方と、その空間のすばらしさ」を語ってた。

その感覚はただの夢ではなくて、わたし自身が1番知ってた。
だって、人に利用されて、出し惜しみしたり、自分を守ることを考えるようになってしまう前の私は、それをやっていたから。


『ヒーリングでたくさん稼いでる人達もいるのに…、私は?』と、パワフルにヒーリングしても対価が得られないことに違和感を感じてしまった私。

相手のことを思った言動。たくさんのヒーリングをして相手が変わっていったとしても、「君は何もしてくれない」「僕はこんなに~してあげてるのに」と言われて。
ヒーリングを認めてもらえない、気づいてもらえないことに傷ついてしまった私。


エネルギーの粒子が細かくなるほどに、深くい部分まで浸透させることができるのに…、粗さ・衝撃がなく、穏やかでなじみやすくなる。
気づいてもらえないことを悲しく思った私。

他者エネルギーの粗さ・自分と違うことで感じるパワフルさを羨ましく思った私。
理解されやすい「物質的な強さ」に憧れて、自分の持ってるものに満足できなくなってしまった私。

自分のエネルギーの粒子が細かくきらめくようになるほど、自分の持つエネルギーに気づけなくなった私。

自分の周りにエネルギーを広げるほど、それが普通になってしまう。そこに悲しさを感じてしまった私。

空間のエネルギーだと認識されてしまって、私のモノだと気づいてもらえない。誰にも気づいてもらえないかもしれない・認めてもらえないかもしれないことに、悲しさを感じた私。

コントロールしなくても、ヒーリングし続けてしまう。
コントロールしないことで、自分がやってることが理解されなくて、悲しかった私。

自分のやってることが、なかったことにされたり、当たり前のモノとして消費され続けることが悲しかった私。

誰かを思ったり、癒し続けるのが、一方通行で…、満たされないのだと知った私。

自分を守るために、他者にエネルギーを使うことができなくなった私。
自分が生きるためだけに、必死にエネルギーを使って、自分を守らなきゃいけなかった、あの頃の私。

…いろんな私がいて、ヒーリングできなくなっちゃってたんだなって。
『気づいてほしい』『認めてほしい』『ちゃんと対価が欲しい』と思うようになってたんだなって。


だけどわたしは、利益や承認欲求のためにヒーリングしてたわけじゃないから。
目の前にいる人のために、もっと純粋な気持ちで、自然にヒーリングしてたから。

だから、無意識にヒーリングしてしまう自分と、『そのヒーリングをちゃんと認めてもらいたい』『対価をもらいたい』と思う自分の間で、よくわからない状態になってたのかもなって。


ちゃんと、伝えなきゃいけない…というより、
わたしにとってのヒーリングって、コントロールすることでもなんでもなくて…、「ただ私がわたしでいること」だから。
そうなるように、作ってきたものだから。

私がわたしらしくいることを大切にしてくれる人達と一緒にいることが大切なんだなって。
そこに価値を感じてくれる人達と会えばいいだけなんだなって。

それ以外の人たちとは距離を持って、ちゃんと「わたしの居場所」を作ればいいだけか。

最後に…

「ヒーリング」や「話すこと」をしてチョコレートを欲してるときは、
ネガティブなエネルギー受け取りすぎて、自分のエネルギーや感情が落ちてしまった時なんだろうなって。
チョコレートを食べることで、幸福感を感じたかったり、本来の自分のエネルギーに戻したいのかもしれないなっって。

…そんな話をしたかっただけだったんだけど、いつのまにか、自分のヒーリングの形について考えたり、それをできなくなってしまった理由をふりかえったりしてた…(^^;


わたしのヒーリングは、コントロールするものでも、誰かの求める効果効能を与えてあげるようなものでもないんだと思う。

もっと単純に、
人の心にも体にも、自分で『本来の状態に戻ろう』『いい状態にしていこう』みたいな自然治癒力みたいなものがあると思ってる。
それは、ひとりひとりの体の中に、ちゃんと自分のためにヒーリング能力があるという感覚に近いのかもしれない。

魂の声を聴いて…みたいなことを他者がしなくても、基本的には、その人に中にちゃんと魂の声に気づけるようなものがあって、そのチャンスもたくさんある。

ただ、それに気づくことのできない人がいる。
ただ、心も体もいっぱいいっぱいになってしまって、自分一人ではどうしようもない状態になってしまってる人がいるんだと思う。

わたしがするヒーリングは、何かのエネルギーを流したり、悪い所を見つけて『私が治してあげよう』とコントロールするようなものじゃない。

ただ、心や体に触れていく中で、その人は…、心や体はどの方向に行きたいのか、どんな風に動きたいのか、そんなメッセージを伝えたいのか…そういうものを聴いて、動きやすいように誘導したり、スペースを作ってあげてる感覚。気づいたり、もっと楽に考えることができるように、言葉に変換して、一緒に考えてあげる感覚。
時には、自然や、見えない存在・エネルギーが干渉してくることもある。
それが、目の前にいる人にとって必要なもので、受け取る準備ができてるなら、それを受け入れていく。
ただ、そんな感覚なんだと思う。

そこに「私」は存在しなくて、すごくフラットな感覚で、感覚を研ぎ澄ませて、集中してる。それだけ。

それが、わたしのマッサージ…というより、わたしのヒーリングだった。

身体に触れなくても、その感覚は変わらないと思う。
それが、わたしの在り方のベースにあるから。

『ヒーリングをしよう』と思った時、その空間を整える所から始まる。
それは、「癒しの空間を作ること」でもある。


…なんだけどさ、今までやってたヒーリングは、静的な楽しみ・幸せだった。
これからはもっと、自分の内側から湧き出るような、エネルギーを発し続けることができるようなヒーリングがしたいし。
今までとは異なる質感のエネルギーも使っていきたい。

そう思った時にね、わたしが「わたしらしく生きること・楽しむこと」がすごく重要になってくる。

チョコレートを欲するほどエネルギーが落ちて、感情が乱されそうになってるのに気づいた今、『このままでいいのか?』という疑問が生まれる。
『もっと、自分に合う形があるんじゃないの?』って。

それは、「触れる・触れない」という形もあるけど…、それだけじゃないと思う。
もっと、自分の内側からあふれるエネルギーが必要だなって。

そう思った時、「癒しの空間を作ること×わたしらしさ」を大切にしていくタイミングが来たんじゃないかなって思ったの。

今まではずっと、わたしらしさが自己中につながってしまうことが恐かった。
だけど、いろんな経験を重ねて、成長してきた今。
ヒーリングしながら、癒しを追求しながら、自分の器を広げることばかりを考えてきた今。
今の私の「わたしらしさ」が自己中につながりにくいのだと、なんとなく感じてる。
わたしが『自己中だ』と思ってるそれが自己中でないことも。
『自分のため』と思ってとる行動の1つ1つに『他者のため』とか『他者を思う気持ち』があったことにも…、もともとの自分がそういう性格をいsていることも、受け入れ始めてる。

そして、『わたしらしく生きることが大切だ』『表現しなきゃ』と思う理由には、「自分だけの幸せな世界」ではなく「みんなが幸せな世界」があって。

自分の似た感覚を持つ人たちに、もっと心が軽く、幸せになってほしい。
心から、魂から、自分らしく輝いてほしい。そういう世界を作りたい。
そんな思いがあることを、自分自身でもわかってる。

だって私は、自分だけの幸せのために、人前に出ようとも、表現したいとも思っていないから。
だって私は、小さな世界で、大切な人に囲まれて事故ひゅお減できてるだけでも、幸せだったから。

だけど今、どうしても…。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?