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他者の目を気にして『元気でいなきゃ・ちゃんとしなきゃ』って思いが、まだ心の中にあったみたい。

この数カ月、『石垣に戻っておいで』と言われてるかような、そんなことがたくさんあった。

だけど、『石垣に戻るまでに基盤を整えなきゃ』『急な引っ越しになるかもしれないから、準備しておかなきゃ』と思ってたのに…、自分が思うように動けずにいた。

『石垣に戻ろう』と決めてからは流れが変わってきてるのを感じたものの、やっぱり自分が予想してた流れとは違ってた。
内側が変わっていって、自分の中で進むための準備が着々と進んでいく。…だけど、それが人に説明できるような現実的な形には、まだなってない。そんな状況だった。


この数日、『石垣に戻る日が近づいてきたから、準備しなきゃな~』と思ってた。
眠ったままのブランド品を売りに行き、不用品をメルカリで出品する…くらいはした。
だけど、引っ越し準備は、全くできずにいた。

2日前、石垣で「ゆんたく はんたく」をした子と、東京で会った。
彼女から連絡が来る前に、私も彼女のことを考えていて…、『石垣に戻ってから、連絡しよう』と思った。
それなのに、石垣に戻る直前に彼女から連絡が来て、『会った方がいいんだろうな~』と思った。

たぶん、普段のわたしなら、『今、自分の状態がいい時じゃないから』とか『引っ越し準備が終わってないから』と思って、自分から『会う?』と聞いたりしなかったと思う。
だけど、引っ越し準備に意識が向かず先延ばしにしてる現状で、彼女に会っても会わなくても、何も変わらないと思った。それに、『状態の悪い自分でも大丈夫なんじゃないかな?』と思った。

彼女はあの時に話したことを大切に思ってくれていて、私のことを何度も思い出してくれて、『今度会ったら、これも話したいな~』をたくさん思ってくれてて。
あの時の言葉を大切にしてたら、人生が良い方向に変わってきてるんだよ!と感謝を伝えてくれて…、すごく嬉しかった。

だけどね、
連絡が来た時、彼女の報告を自分のことのように喜べてない自分がいて…、自分の心が疲弊してることに気づいた。だから、会うこともためらってた。

彼女に会った時、そのことを伝えても、彼女のわたしに対する態度が変わることはなかった。
『「元気なわたし」じゃなくても、どんな状態でも受け入れてもらえるんだな』って。そんなことが、今のわたしにはすごく嬉しかった。

きっと私は、「元気なわたし」「相手よりも状態のいいわたし」には自信を持ってるし、堂々としていられる。
だけど、「元気がない、状態の悪いわたし」「バランスの崩れた状態のわたし」では、自分の存在価値がないような気がしてたのかもしれない。
そんな状態のわたしでは、好きでいてもらえない。愛情を受け取ることができない。
『笑っていなきゃ』『元気でいなきゃ』みたいな思いがずっとあったんだなって。

だから、苦しい時も、悲しい時も、元気なふりをして笑い続けてて…、心が折れて本当に笑うことも、動くこともできなくなる瞬間まで、1人で抱え込む癖がついてたんだなって。

…と同時に、『自由に自分の人生を生きてる私では、大切な人にこちらを向いてもらえない』と思ってた。
「楽しいわたし」ではなく、「迷ってるわたし」「弱いわたし」でいることが、「相手の助けを必要とするわたし」でいることが、攻撃されずにちゃんと自分を見てもらえる唯一の方法だった。
だから、自分の中に答え・強い意志があっても、「迷ってるわたし」「弱いわたし」でいることも多かったし、本当は一人で乗り越えることができること・答えがわかってること・自分の中にしか答えがないと知ってることでも、人に相談するふりをしてたんだな~って。

そんな、子供の頃の思いと、自分の癖を改めて感じた。
自分の中で『クリアした』と思ってたモノが、実はまだ自分の中に残っていて、形を変えて現れる瞬間がらう。

12月に石垣に行ってからずっと、そんなことの繰り返しだった。
『思考パターンも、くせも、自分の在り方も…、いろんなものを変えて、本来の自分で、自由に生きよう』と思ってた。『新しい自分になろう』と思ってた。

楽しくて幸せだったことも、苦しくて辛かったことも…、ぜんぶ自分らしく生きる人生に変えていくために、必要なことだったんだなって、今なら思える。
そしてそれは、『変わろう』『変えよう』と思って、自分で動いた結果で。
何が起こるかもわからないのに、石垣島で暮らしてみることにして、自分の直感を頼りにいろんなことを決め続けてきた結果で、彼に出会うことができたからでもあるんだなって思う。
新しい自分に変わるために、自分ら良く生きるために、必要なことだったんだなって。


…だけどね、きっとそれは、他者から見れば、そんなに簡単な話じゃないんだと思う。
パワハラに会ってることに気づくことのできず、1人で抱え込んで…、精神的に追いつけられて鬱っぽくなったりもした。
そんな状況で、体調を崩して、独りぼっちで向き合わなきゃいけないことがたくさんあって…。
それでも『現実的に生きていこう』と思うのに、『その道は違うよ』ってストップがかかり続ける。自分が本当にやりたかったことをやる覚悟を決めるまで。
そして、その準備が整うまで、現実的に、目に見える動きにはストップがかかってばかりだった。
『やっと見えてきた』『やっと動ける』と思ったところで、自分でも気づかない問題があれば、それがやってくるし。
『こっちの道の方がいいよ』みたいな、よくわからない流れもやってくる。

それを、自分が認めて、受け入れていったところで、『他者からは理解されない』『他者から見れば、口だけで何もできてない状態』と、ずっと思ってた。
そんな風に『ダメなわたし』と思われるのが嫌で、必死に『元気なわたし』『強いわたし』を演じようとしてた。
…と同時に、自分と向き合うためにnoteを使うことも多くて…、ここには「ダメなわたし」もたくさんさらけ出してた。…そんな中でも、やっぱり、「見せることができる部分・見せたくない部分」があったんだなって思ったりもする。


…なんだろうな。
ここでもまた、うまく説明できない自分に、モヤっとしそうになった自分に気づく。
わたしはきっと、「ダメなわたし」「悩んでるわたし」を文章にすることで、『ダメなわたしを受け入れてるわたし』になろうとしていて。
…だけど本当は、『受け入れたい』と思ってるだけで、「ダメなわたし」を受け入れきれてなかったのかもしれない。

…自分一人だったら、「ダメなわたし」「悩んでるわたし」をもっと受け入れてたし、『まぁ、いいか』と気持ちを切り替えることができてた。
だけど、「文章を書く」ということが、自分の内側までさらけ出すことになっていて…、それは、自分が「ダメなわたし」「悩んでるわたし」を受け入れたところで、他者からのジャッジが加わることだと思ってた。
自分が、『まぁ、いいか』って、『こんなわたしも好きだな』って思ってても、それは誰かにとっては「間違ってること」「可哀そうなこと」だったりして、いろんな反応が返ってくるたびに、どんどん窮屈になっていった。

それはきっと、「相手が悪い!間違ってる!」みたいなことじゃなくてね。
わたしはずっと、「人からどう思われるか」を気にして生きてきたんだなって。
わたしの考えてること・やってることに対して返ってくる反応は、私を鏡に映したものかもしれない。
だけど、相手が、自分の世界観を投影して私を見た結果かもしれない。そこにまで責任をもって、1つ1つ「自分の問題」にして、相手の世界観に入っていく必要はないんだよなって。
「人からどう思われるか」を気にしすぎて、いつの間にか、他者の持つ世界観に入り込んでしまう。
そして、『あれ?わたしこんなじゃなかったのにな??』という違和感ばかり感じてしまう。そんなことも、たくさんあったな~って。

昔とは違って…、昔よりもすごくすごく、自分を受け入れるようになったし、人からどう思われるかを気にしなくなってきた…と思ってた。
だけど、石垣に行ってから、彼に会ってから、自分では『解決した』『クリアした』と思ってたモノが、まだ自分の中に残ってたことを知って、それに向き合うことになって。

『心に素直に、自分らしく』と思っていたものが、まだまだ周囲を気にして、心に素直じゃなくなってたことに気づく。
そうやって、もっともっと「自分らしさ」がそこにあったことに気づく。

今まで想像してたよりも、ずっとずっと大きな変化が起こっていて、自分で想像してたよりも、ずっとずっと、自由で幸せな人生に切り替わろうとしてるんじゃないかなって。
そんな気がしてるんだ。いま。

※※

ちなみに、本当なら今は石垣にいるはずだたんだけど…、まだ東京にいる。
始発で空港に向かったのに、バスが満車で乗れなくて…、電車で行こうとしたら迷子になって電車に乗れず…、搭乗時刻に間に合わないから、石垣行を先延ばしにした。

そのおかげで、『会ってみたい』『向こう側に行ってみたい』と思ってた人たちに、リアルで会える機会が生まれて…。

一見すると、「わたしの失敗」で、そこには「ダメなわたし」がいる。
…いや、もしかしたら私の乗るはずだった席に乗りたかった人がいたかもしれないし、入居のために時間をとってもらってたのに…、ご迷惑をおかけしてるなって。申し訳なく思ってる。

なんだけどさ、『石垣に戻ろう』って決めてから、地祇に進むための準備が加速した。
その中で、『この人に会ってみたい』と思う人を見つけて、彼らを見ながら『向こう側に行きたい』と思った。
今まで、目立つことが嫌で、自分が人前に出るのも嫌だった。そんな私が、『向こう側に行きたい』と思ったのは、すごい変化だと思ってる。

それでね、『あと数日石垣行が遅ければ、リアルで彼らに会えるチャンスがあったのに…』って、思ってたの。
石垣から関西に行くことも考えたんだけど、ちょうど飛行機代が高くてね…、会いに行くのを諦めてた。

だから、こうやって石垣行が延期になったおかげで、『会ってみたい』『向こう側に行ってみたい』と思わせてくれた彼らにリアルで会える機会が生まれた。
それは、私にとっては、ものすごく嬉しいことだなって。

もちろん、『もっと早くに予定を変更すれば…』とも思う。
なんだけどさ、あの時のわたしには、それが予定を変えなきゃいけないほど価値のあるモノとは思えなかった。自分一人でも、何とかなるんじゃないかな~って。

なんだけどね、こうやって会いに行くことが決まって。会う前から、彼らにあった時のことを想像して、何度も泣いて…。
きっと、彼らに会うこと…、もしくは、そこで感じること、そこで出会う人たち…そういう中で、今の自分に追ってすごく必要案アニカがあるんじゃないかなって。
何より、今までは『他者と共有できない』と一人で抱え込んでいたものを『他者と共有できるかもしれない』というのが、すごくすごく嬉しい。

やっぱり私、今までとは人生を変えていきたいんだなって。
変わっていくんだろうなって。そう感じてるんだ。今。

自分軸で考えたら、これはわたしにとってすごく幸せなことなの。
だけど、他者から見たら、『ただの失敗と、言い訳』『素直じゃない』『ただの強がり』みたいに感じることもあるんだろうな~って。
そんな風に思ってるわたしの心境が、文章に少しにじみ出てて…、『私はやっぱり、人目を気にしてたんだな~』って。

今日はなんか、そんな感じの日みたい。

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