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他人へ依存し過ぎた結果がこうなる

「将来、日本が良くなる」と考えている若者が10%以下しかいないようだ。大人から見れば悲しい数字。更に「自分で国や社会を変えられると思う」の質問では18.3%。若者たちにこんな悲観的な気持ちにさせてしまったのは、紛れもなく大人たちの責任

日本財団「18歳意識調査」第20回 テーマ:「国や社会に対する意識」

世界の恥となった感染対策

「はい、これが学校の決まりです」これで終始するのが現状。教員が合理的に説明できない校則に対し生徒は何も得るものがない。ただただ無為にその校則を守らせても自分では何も考えず何も判断できない一人の大人が一丁上がるだけ。そんな思考停止状態になると、こんな無意味なことに従う。

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感染防止で食べずに見守る“流しそうめん”
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もうこの辺にしておこう。学校の言うことを何の疑いもなく聞いてきた素直(従順)ないい子ちゃんは大人になっても守ってくれる。今回手に取った本でこんな情けない日本人になってしまった理由の一つを知る。読了すれば上記のグラフにあった海外との差に納得してしまうだろう。『校則改革』

教師たちも現場で悩んでいる

「自分の顔が好きじゃないから化粧をしてきている」のに、化粧を落とさせないといけない。泣きながら化粧を落としている横に付き添っていたときはかなり苦しかったです。私は何回か、こうした指導を経て先生を辞めたいと思うに至りました。

校則では「ピアスはだめ」。でも一度開けてしまうと、ピアスは穴が定着していない状態で外すと、細菌が入って皮膚が膿むなどの病気になることがあります。もちろん、「校則で禁じられているのに開けてきた」というところに生徒の落ち度もあると思うのですが、これを無理やり取らせないといけない。明らかに健康的な被害があるのに、押し通さなければならない。

スカートを短くつめていた生徒に、教師が「あなたの太い脚なんか見たくない」と怒った先生がいました。この発言自体がハラスメントで、問題です。しかし加えてそのときの生徒の返答が頭に残っています。「私だってこんな短くスカートをはきたくない」と。
いろいろ話を聞くと、制服しかない状況で、いわゆるオシャレな着こなしをしているか否かで、所属する集団から弾かれてしまうケースがありまして、これはいわゆる「スクールカースト」に繋がっていたのでした。「短くしないと仲間に入れてもらえない。だから仕方なくしているのに、『見たくない』とか言われて悔しくて」とその生徒は泣いていました。複層的な問題でもあるのです。

私の知らない世界ではさまざまな問題が起きているんだなぁ。いずれも通り一遍の校則があるが故。服装や髪型に変化があったときは何かしら心境の変化もあったはず。それを訊かずにして「校則だから」で片付ける教員がいるから生徒との信頼関係が崩れる。

長野県の学校は約半分が制服を着ていなくても問題なく学校運営は行われている。衛生的にも頻繁に洗濯できない制服を着させる意義はあるのか? 答えはないだろう。現に昨年はジャージ登校でも特段学習意欲が低下したなんて声は聞こえなかった。以下に興味深いアンケート調査がある。

【令和の校則】 制服を着ない自由はありますか…?

全員同じことをしなければならない

制服はその一環と個人的に考えている。言葉は悪いが奴隷養成システム。社会に出たときに上から理不尽な命令が下っても文句を言わず従うように。ちゃんと着ていれば「いい子」着崩せば「悪い子」。先生に褒められたい「いい子」は「悪い子」を見つけるとチクる。正しく着させることが学校と生徒という服従関係に繋がっていく。今日のような衣替えの日も皆んな一斉に夏服となるだろう。制服を着たからといって偏差値が上がるわけではない。いきなり廃止では乱暴だから、まずは私服との選択制で見守ってみては。「制服姿を見ると興奮する」という痴漢に遭遇したことのある生徒はボディラインの出ない私服で防衛すれば相手をその気にさせない。それにスカートが短いとか学ランの第一ボタンを締めろなどの無意味な生徒指導をしなくていいので、ただでさえ多忙な教員の時間が奪われなくなるはず。

「学校の決まりが原因で不登校に陥っている児童生徒」は令和元年度、少なくとも5,572名と示されている。一方で「精神疾患により休職する教員」の数は、令和元年度調査で5,487名と示されている(公立学校教職員の人事行政状況調査)。この数字になるということは現状の学校運営の何かが根本的に間違っている証拠。現実が変わらなければ「いい子」や「いい先生」になれない人はドロップアウトしていくだけ。熱意のある教員が辞めてしまっては学校にとって大損害。

現代で同調圧力してくる人は大抵「いい子」だったはず。緊急事態宣言のような措置にも文句を言わず喜んで従う。マスクが大事と言われれば一人で乗っている車内でも着ける。ワクチンも言われるがまま何回でも有り難く打つ。医師のような立場が上の人から言われる言葉を信じて疑わないので危険性を調べもしない。中途半端に勉強ができる「いい子」が一番思考停止状態になっていると思う。何せテレビに出るようなお偉い先生の言うことをちゃんと聞くように十数年教育されてきたから。

「欲しがりません勝つまでは」
80年前の戦時中の標語だが現代でもアレンジすれば使えそうだ。「旅行しません収束までは」不要不急の外出を自粛しステイホーム。ちゃんと日本人は守ったよね。強制ではなく“お願いベース”なのに。国民の大半が従ったのは学校教育のお陰。少しでもはみ出る人がいれば「元いい子ちゃん」が自粛警察となってチクってくれる。皆んながスマホを手に取り国民総パパラッチの時代。「自分は我慢しているのにけしからん!」というスパイト行動から。

学校でフェイクを見抜く目を養う

決して「いい子」が悪いわけではない。本当の悪はこのシステムを作った組織。それは学校でもなく文科省でもない。結構単純な話。従順な国民を育てることで利益を出す人たち。このフェイク・パンデミックが典型的。日本の義務教育で得られた学びを活かせば容易にフェイクを見抜ける。いい大学・いい企業に入るためだけの知識ではなく“生きる力”として使っていこう。

コロナの真実を★伝える会より

下記の意見広告は6月3日(金)に毎日新聞に掲載される予定。各学校長が毎日新聞を購読していることを望む。そして親御さんも。

新コロ関連情報発信センター

私は日本の未来をそこまで悲観的にとらえていない。当院にいらしている教師に教えられた生徒は必ずや日本を変えてくれる。異動の度に「先生、頼むから卒業までうちの子の担任でいて!」と強い要望を保護者から受けている。この生徒たちは賢くて臨機応変に従っているフリが上手い(笑)。小学生のうちにちゃんと大人を見る目を養っている。そんな教師に出会う確率は稀だが、気づいた子はこれからどんどん増えていくだろう。

学校関係では以前読んだ本を思い出す。本音で話せる教師に一度も恵まれなかった私は未だ“教育”の意味を理解できていない。だから今でもたま~に嫌な夢として学校が出てくるのかもしれない。そのフラストレーションから“学校の改革”というワードを目にすると敏感に反応する。マイノリティ(少数派)が今より生きやすくなる世の中となるよう祈るばかり。

山形県出身 工藤勇一著 学校の「当たり前」をやめた。
大人達への失望 僕は中学校へ通うのをやめた

尊敬される大人になる

丸本くんの考え方はだいぶ大人である。文字通りその辺の30~40代の方よりも立派である。同じ15歳で中学校へ不登校になった子の親御さんへお節介ながらお貸ししたら共感してもらえた。残念ながら学校にはいなかったが、今は丸本くんを理解してくれる大人たちに囲まれて心強いだろう。そう、悪い大人ばかりじゃない。学校外に救いの手を伸ばすのも生きる道だ!

この現代に江戸時代の『寺子屋』があったらおもしろそう。当時は教える人のことを“師匠”と呼んでいた。学問だけではなく生き方も教えてくれる存在。教えるのは例えるなら「魚の食べ方」ではなく「魚の捕り方」である。子どもたちはそんな尊敬できる師匠に少しでも近づきたいから必死に学ぶ。決して日本の教育が欧米に劣っているとは思わない。食べ物と一緒で日本人のDNAに合った食事がある。純粋な日本人が日本の環境で欧米の食事を続ければ病気のリスクが高まりやすい。

子どもの前で日本の教育をバカにしちゃいないか? 欧米の優れたところを伝えたとて喜ぶはずがない。そのバカにされた教育を受けるのは子どもなのだ。生徒(保護者)と教師の信頼関係が破綻したらもう終わり。ただ、この時代に師匠と塾生という関係性は難しい。だから現代は干渉はほどほどに求めすぎない関係性がちょうどいい。

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