空き家再生プロジェクト(その6)
鹿児島県岸良の古民家再生(2014〜16年)改修ワークショップまとめ
岸良(きしら)は小さな港町で、鹿児島空港から車で3時間。空港から鹿屋(かのや)まではバスがありますが、そこから先は自家用車かレンタカーで行くしかありません。行くには半日がかりで大変ですが、それだけのことはある、圧倒的に素晴らしい環境が岸良にはあります。
2年かけて行った「コミュニティDIY」空き家再生ワークショップ。「DIY先進地・岸良」のパワーで、なかなかいい雰囲気の拠点が生まれました。そこで、だいたい月に一度、地域の方々が、カフェや「みんな食堂」というイベントを行なってくださっています。離れてはいますが、Facebookなどで活動を拝見しては嬉しく思っています。
ワークショップには公募で学生が参加してくれました。
あの時以来、しばらく会っていない懐かしい顔ぶれ。
毎回、合宿形式5日間程度のワークショップですが「コミュニティDIY」で共同作業をすると、誰もがとても仲良くなります。
岸良の人々は底抜けに明るいので、お別れ会の晩はなかなか大変なことになります。ノリが良く人情厚い土地柄なので、移住者の受け入れもスムースに進んでいるのではないかと思います。高齢化した地域なので、若い人は大歓迎で迎えてくださいます。私の知り合いの方々も数名が岸良に通ううちに地域に溶け込み、移住、定着されました。
中でも印象的だったのは、葉山から岸良に移住した若い家族Sさん一家。今回は岸良のプロジェクトのまとめとして、こうした人々の繋がりについて振り返ってみようと思います。
私は、空き家再生などの活動をした先で、時間ができると食材探しなどもやるようにしています。面白そうな無農薬の果物など見つかると必ず持ち帰り、カフェ「南町テラス」で何かに使えないか、相談するようにしています。
岸良に最初に行った時、山の中の姫門(ひめかど)という集落の無人販売所で気になった柑橘がありました。レモンのような黄色ですが、橙(だいだい)という名前がついた見たことのない柑橘。早速購入して地元の人に見ていただき、聞いてみたところ、辺塚橙(へつかだいだい)という固有種で、岸良のちょっと南の辺塚(へつか)集落に伝わるものだということでした。
岸良にもいくつか育てている農家があるけど、地域の風土によく適合していて病気にもならず虫もつきにくいため、どこでも露地栽培の無農薬で育てているということでした。ちょっと家から取ってきてあげると言ってたくさんの辺塚橙を持ってきてくださったのは、その後、空き家再生ワークショップで大活躍してくださることになるIさんの奥様。
自宅の一部を解放して週末にオープンしているカフェ「南町テラス」でジュースやジャムにしてみたところ、とても美味しいことがわかりました。Iさんの辺塚橙はとても美味しくて、今でも毎年送っていただいて、カフェで使わせていただいています。ジャムにジュースに、大変人気です。
この辺塚橙をめぐる不思議なご縁がありました。
カフェのお客さんから辺塚橙スカッシュの注文が入り、その柑橘についてお話ししたところ、岸良に興味があるということでした。若いご夫婦で、葉山に住んでいるということでした。海外も含め、いろいろなところを旅して周り、将来的には田舎で土地を手に入れて農業をしながら自給自足のような暮らしがしてみたいということでした。岸良の空き家再生ワークショップのことをお話ししたところ、「行ってみたい」ということでしたが、なんと、次に連絡をもらった時には、もう岸良から。岸良のゲストハウスでやっている「きしたんカフェ」に参加し、ご主人は飛び入り参加で、自分で手焙煎したハンドドリップコーヒーを提供していました。よほど岸良が気に入ったらしく、また、岸良の人々も彼らのことがとても気に入り、やがて彼らは岸良に移住しました。
この家族が先ほどご紹介したSさんご一家です。
ご主人は教育免許があり、奥さんは看護師の免許があるためどのような土地でも仕事を見つけることができるという素晴らしいカップル。地元で紹介していただいた公営住宅に入居し、すぐに借りた畑で農業をしながら生活をスタート。やがて、自分たちで探した家付きの土地を購入され、そこで「岸良リトリート」という活動を続けていらっしゃいます。海に面した丘の上にあるその土地は、草が茂って家が見えないくらいだったそうですが、自分たちで少しずつ開拓し、私たちが訪問した時にはとても気持ち良い空間になっていました。お子さんも岸良の環境の中ですくすく育ち、素敵な4人家族が岸良に増えました。
写真は、彼らが移住してすぐに「きしたんカフェ」の近所に借りていた畑での様子。素晴らしいセンスの彼らの手に係ると、ご招待いただいた畑の朝ごはんも、とっても気持ちの良い、忘れ難い経験になりました。
他にもやはり自給自足の生活を夢見て「地域おこし協力隊」の制度を活用して移住した方や、岸良の土地や人々が気に入って「緑のふるさと協力隊」という制度を卒業後、現在は観光協会職員として活躍されているTさんもいらっしゃいます。こうした方々の情報発信によって、私のように遠く離れた場所にいても岸良の事を頻繁に知ることができています。いつもありがとうございます。
彼らと見に行った辺塚だいだいの畑は海を見晴らす山の中腹。こうした土地を開拓し、自分たちの夢を形にする人々が少しずつ岸良に集まっています。
私は、他にもいくつかの空き家再生プロジェクトをやっています。いずれもDIYで地域の方々と一緒に作業したり、学生が参加したりしていますが、なぜ、こうした活動を続けているのかとよく聞かれます。
その答えとして、「楽しいから」という理由の他にあるとすれば、こうしたDIYの空き家再生の活動が広まれば、世の中の住宅事情や地域の状況がもっと良くなる気がするからです。
まず、住宅事情から。戦後、急速な人口増加に伴って供給された住宅の多くは、戦前の古民家に比べると決して良いものではありません。水回りや断熱など、いくつか現代の技術を使って工夫すれば、古民家はとても快適なスペースになりますので、空き家再生プロジェクトはとてもやりがいのある活動です。ちょっとしたきっかけと、古民家を使って何かをやりたいという強い欲求があれば、DIY による古民家再生は誰にでもできると思います。
夢のマイホームという言葉があります。その家は、具体的なイメージとしては、郊外庭付き一戸建てであるかもしれません。それは、一生の買い物で、ローンを組んで定年退職するまでに完済するものかもしれません。こうした一生の大きな買い物に、多くの人々が縛られながら生きています。
しかし、縮小社会のこれからの時代にはこれとは全く違った可能性があります。
横須賀の追浜という駅から程近い住宅が、少し前に実質0円で譲渡されました。駅から歩いて10分。築60年くらいの空き家で、ネックは坂の上にあるということですが、細い階段を20メートルほど上がれば着き、遠くまで見晴らせる古民家でした。
もっと田舎に行くと、運が良ければ、とても安価に、築100年くらいの立派な古民家を手に入れることも可能です。改修には当然ある程度のお金や時間が必要ですが、それさえ捻出できれば、家は一生の買い物ではなくなります。
大学を卒業して、すぐに古民家を買い、時間をかけて自分で改修しながら、そこでできる仕事をする。あるいは当座の仕事はサラリーマンでもいいと思いますが、二地域居住をしながら、週末を中心に少しずつ改修作業を進める。ある程度改修が進み、お金も貯まったら仕事を辞めて、古民家に住みながらそこで自分の好きな仕事を始める。こんな暮らしも可能ではないかと思います。
人口が減少し、空き家が増加するこれからの時代ならではのライフスタイルではないでしょうか。
戦前まで、日本の住宅は、住むだけではなく、仕事をするための場でもありました。都市部の町屋には見世(みせ)空間がありましたし、農村の土間や板の間も様々な作業を行うための空間で、住宅の中にごく自然に仕事場が入り込み、分かち難く融合していました。職住近接どころではない、職と住の共生した容れ物が住宅本来の姿ではないかと思います。
次に、地域の状況について。地域格差の議論では、よく都市部が勝ち組、田舎は負け組のような括られ方をしています。しかし、本当にそうでしょうか?
田舎のゆったりとした暮らし。家は広いし二世帯居住は当たり前。家族が寄り添って生活しています。都市部より不便とはいうものの家には自動車が数台あり家族は自由に移動しています。自家用車とは別に農業機械などもあります。夕方には仕事を終えて、家族と過ごす方も多く、あいた時間にはいろいろな仕事をして、近所の方の手伝いなどもしょっちゅう。畑や田んぼで取れた新鮮な食物が身近にあって、食べるのに困ることもない。老人には老人の仕事がちゃんとあって、80過ぎたおじいちゃん、おばあちゃんが生き生きと楽しそうに暮らしています。サラリーマンのように同じ仕事ばかりしている人は少なくて、皆さん、「複業」ベースで働いています。
岸良の方々のDIY力が高く、私が思わず「DIY先進地・岸良」と呼んでしまったのも、そうした暮らしぶりの中で、なんでも自分たちでやってきた彼らの経験が、分厚いからだと思います。都市部では失われてしまった地域の力が、田舎を訪れると、まだまだ健在で、私も色々と勉強になる機会が多いのはそのためだと思います。空き家再生プロジェクトを通じて、こうした地域の方々との出会いが生まれ、地域の魅力に引き寄せられた移住者が新しい地域の担い手になっていくという流れが生まれれば良いなと考えています。
研究で訪れる機会の多い新潟県長岡市栃尾地域の古民家にも、とても立派なものがあります。とある空き家の所有者のお話を聞くと、昔、その家を建てたとき、地域で共同で建てたのだということでした。材木は主に杉が使われていましたが、その杉も近くの山林から切り出して使ったそうです。家を建てる予定がある人は、必要な材木が取れるだけの山林の確保をし、そこから切り出して建築するという仕組みが社会的に定着していたということでした。
日本には古来「結」という制度がありました。集落の住民が共同で農作業や工事などを行う仕組みですが、家を建てる場合には地域住民が協力し合って、共同で建てました。「コミュニティDIY」の空き家再生プロジェクトをやっていると、短い時間ですが、少しだけ、この「結」のような一体感が参加者の間に生まれ、空き家は自分たちの特別な場所として再生するのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?