このトピックは、もし私が万が一 大学院に行くとしたら、卒業論文のテーマとして取り扱おうとしていたものです。ゆえに、ここで詳細に語り尽くすことなどできません。100,000字の想定です。
しかし私は気づいてしまいました。
前回の『ジャズを「理 解」した話』で、私のジャズとコードスケールに対する論考は終止符を打ったと思っておりましたが、「部分的に今回のトピックをまとめておかなければ、本当の終わりではない」ということに。
何なのかというと、私の思う「調判定」と、少なくない数のジャズの人々が考えていると見られる「キーに基づいて」という表現は、明確に意味する所が違うのです。
私は「意味が違っている」こと自体には気が付いてはおりましたが、その重篤性・語る必要性に気が付いたのが今だということです。
「調」と「調・性」
まず初めに、「最も厳密な議論をするステージ」では、「調」と「調性」は、概念として区別し得ます。
今回は意図して、日本語の単語のみしか表示しないことがあります。
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「調」
は、この場合、単に「主音の位置(音高・ピッチ)」を直接 表現する語、でしかなくなります。
「ハ調」とは、「主音=ハ」という意味・以上でも以下でもないです。
ただし西欧芸術音楽(≒広義の “クラシック音楽” )の “主要な時期” の伝統として、「長旋法」「短旋法」の2種しか取り扱わないという事情があり、表記としても「長か短か」まではセットで取り扱うため、通常は「ハ長調」や「ハ短調」という表現しか目にしないと思います。
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「調性」
は、ここではあえて「一種の旋法である」と表現して説明を試みます。
この「旋法」は、最広義のそれであり、「旋律の作法(さほう&さくほう)」そのルール体系である、と思って下さい。
その意味で、私は “調性システム” と丁寧めに表現する場合があります。
この、「旋法」としての『調性』とは。
というものです。そういうルールまたはシステムです。
↑ 私がこの見解に至るに当たって、直接に多大な影響を受けた記事です。感謝。
便宜上「イ長調」という出来合いの代物を出してしまいますが、要するに「イ(A)という単音 が有する機能は、A△という和音 にも共通して在る」という解釈・思考回路で曲作るのが、『調性』というシステムで、文化です。
ここで「音度」という言葉が便利に使われます。ローマ数字で書く奴。
慣用的に、単音の話題でも和音の話題でも使えますね。
表し分けたい場合は、ⅰ=単音、Ⅰ=和音 として表し分けたりします。
ⅰは “主音”、Ⅰは “主和音”
ⅴは “属音”、Ⅴは “属和音” です。
※以上の記号は「和声法式」なので、「短調ならば、Ⅰは短和音」を意味します。
「Ⅰm7」系の記号体系は、明確に記号としての役割ごと違うので注意。
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また、この記事では余談めになりますが、「“調”・性」という文字通りの意味に、よりしっくり来る定義の一案として再び以下を引用しておきます。
関係を整理するならば、この心理現象としての「調性」…の感覚に頼った音楽文化が「調性音楽」で、その「調性音楽」の構築法・合理化された1つのアプローチとして「調性システム(広義の旋法としての)」という考え方(理論)がある、
と言った感じでしょうか。
こうなってくると、やっぱり「調性(心理現象もとい、音楽の特性であり現象とも言い換えられるか)」と、「調性システム(一種の旋法として)」は、区別視した方が皆が困らなさそうですね。今後そうします。
“キーに基づいた” 演奏 という表現
私は別に「長い文章を書くこと」がやりたいことなんじゃないんだ。
図示(と注釈)で済む説明は図示(と注釈)で終わらせる。それが記事のメインディッシュであったとしても。
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「調判定」
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「Twelve-bar blues」
”キー(に基づいた)” にまつわる、すれ違いの可能性
【図1】
【図2】
【図3】
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コードスケール・アプローチは「和声法など既存の音楽理論の読み替え」である部分が9割を占める内容なので、【図3】中で赤線で消されているようなスケール群が見出せることは、奇跡や偶然ではなく、概ね当然です。
【図2】と【図3】とでは、「”スケール” というパッケージを介在するか否か」の違い・しか存在しません。
【図3】で私は、
「良い感じの(="available" ?? )テンション達を直接考えただけ」であり、
コードスケールとは、「コードトーンと "available" tensions (+α)の集まり」であるからです。 ※「+α」は、仕方なく埋めるアヴォイド音。
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【番外編】最後に問う、「調」とは何か。
今回は「キーに基づいて」という長めの文章単位についての、意味し得る内容のすれ違いを取り扱いましたが、冒頭でお話しした私の卒論候補だったテーマは、
という内容でした。
正確には『転調』の方の定義が独り歩きのように変遷してきていて、それに巻き込まれる形で『調』の定義も変遷していると考えざるを得ない…
…という感じです。ヤレヤレだぜ。
我々は、その言語感覚の高さ(もしくは低さ)を良いことに、そのことを深く考えないようにしてコミュニケーションし、あるいは学問してきたのだと言いたかったのです。