私が農業を志すまで

秋になりまして、無事かどうかはさておき、繁忙期を過ぎました。

時間に余裕が出る秋は、今後の農園運営のことを考えると不安になる時期でもあります。もちろん、栽培のこと、販売のこと、設備投資のこと、資金面のこと、などなど。頭の中がカオスです。

これから数回にわたり、私の過去を振り返ると同時に、どういった農業に魅了され、どういった農業をやりたくて、この業界に踏み込んだかを再確認し、今後の農園運営の糸口を見つけていければと思います。

目的は、私の中で整理をつけることですので、わかりにくい表現等、ありましてもご了承ください。

農学との出会い

私は、新潟市中央区で生まれ育ちました。

「新潟」と聞くと、県内どこでも田園風景が広がり、農業がそこかしこで営まれているイメージを持たれるかもしれませんが、私の生まれ育った中央区には、それがありません。
両親は、共働きの会社員。親戚にも農業に関わる人はいなかったと思います。

そのような環境で育った私が農業と触れ合う機会は、幼少期のサツマイモ等の収穫体験くらいでした。

特に将来の夢が明確でなかった私は、普通科の高校に進学。

強いて目前の夢と言えば、大学に進学して、新潟から離れることだったよううに思います。

私が、「農学」という学問に出会ったのは、高校一年の適性検査のようなもので、「農学」に花丸が付いた時でした。

それまで、「農学」という学問の存在自体を知らなかった私。
調べてみると、学ぶ分野は非常に広く、適性検査で花丸が付くだけあり、興味が持てたので、そのまま進学を志すようになりました。

結果、東京農業大学に合格し、進学。

ちゃっかり、新潟から離れるという夢も叶えられました。

そして、東京農業大学で「村の会部」(以下、村会)という部活に入部したことが、農業を志すきっかけで間違いありません。

農家そして農業との出会い

東京農業大学と聞くと、在学中に必ず農業実習のようなものを、誰しもが経験していると思う方も多いと思いますが、これは大きな間違いです。
私が卒業した学部では、ありましたが、4年間の内で数週間あるかないか。
大多数の農大生は、実習どころか土も触らずに卒業すると思います。

私は、村会でどっぷりと農業に触れ、農家と接しました。

(村会は、夏休み等の長期の休みを利用して、代々、部としてお世話になっている数件の農家にホームステイにいくような部活です。)

​農業を志す

私は、村会の活動に何故だかはまり、4年間を村会に注いだと言っても過言ではありません。

村会にはまると同時に、はまっていった農業でしたが、私が学生の頃から現在に至るまで、イメージは決して良いものではないように感じます。
「3K」(きつい、汚い、危険)、儲からない、高齢化問題、耕作放棄地問題など。
どれもマイナスのものばかりでした。

「若いのに偉い。」「大学まで進学して農業とは。」と言った言葉の裏にはそのようなイメージが張り付いていると、今でも思います。


ただ、村会の実習でお世話になる農家からは、そんなマイナスのイメージは感じることはありませんでした。
大学生の私から、失礼ではありますが、決して貧乏とは思いませんでした。万人共通のモノサシはありませんが、採れたてのものを食べるといった豊かさがありました。

確かにご年配の方もいましたが、若くして頑張っている方も見てきました。

それまで、見てきた大人より、生き生きと情熱的に生きているように見えました。

就職を考えるような時期、私の頭の片隅で「いつかは農家になりたい。」そんな野望がむくむくと出てきていました。


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