分断は自分の中にも生まれる
おはようございます。飛騨はますます冷え込んできました。たくさんの家の水道管が破裂して、僕が管理する町家もお風呂のカランが凍って破裂してしまい、洗面所など家の中も水浸しになってしまいました。修理するのにも時間とお金がかかるので、本当にダメージが大きい。
さて、冬の飛騨あるある話はこれぐらいにして、秋に感じたことを書きたいと思う。
10、11月とセルフSDGsと名付けて、誰からも求められていなくて、発信すらしていなかったけれど、環境負荷の少ないチャリと歩きのみの生活をした。車には一切乗らないルールを課してライフスタイルを強制的に変更してみた。
結果、チャリと歩きで完結する生活感はなかなか楽しいものがあった。ちなみに雨の日はタクシーで出勤。車を購入して保険とガソリン代を負担するよりは全然安い。この感じで暮らせる町、いいな!と思った。
で、気付いたことがある。
なんであんなに車は偉そうなんだ?
歩行者とチャリがただただ弱い者として申し訳ない程度に存在しているような気持ちになる。外国人とツアーしてると止まってくれることもあるけど、地元民の車は、地元民にめちゃくちゃ厳しい。。。
この歳にして初めて、この国のこの立派な道のほとんどが自動車のためにあることに気付いたのだった。
12月に入り、寒くなってきて雪も降るので、久しぶりに車通勤に切り替えて僕は思った。
めちゃくちゃ快適!雪降る町でチャリと徒歩だけのコミュニティとか今の時代ありえんやろ!と思った。
で、さらに気付いたことがある。
なんでチャリはあんなに偉そうなんだ?
ひたすら前を向きチャリに乗る姿がまるで自らの存在の権利を主張するかのようにみえる。こっちに倒れてきたら怖いから慎重に避けるけど、対向車もくるから怖い。
たまに出てくるじいちゃん、チャリでフラフラで、ノールックでの右折はやめて。。。
同じ人間の中で対立している!両サイドで同じことを思っていたのでした。
でも両方の立場に深く浸ることができたので、前よりは優しくなれるし、分断を認めた上でなにかしら解決策を導き出せるような気がした。
どこにでもある分断はそれぞれの当たり前の世界のすれ違いというか持っているストーリーが違いすぎるんであって、その立場からは筋が通ってたりするんだろうなと思った訳です。
相手の立場を想像することは大切。これだけでも普段簡単には出来ない。
でももし可能ならば、
相手の立場まで移動して、その立場を体験してみるということができたら、もっといい。
想像以上の学びや発見を得られるから。
当たり前だけど難しいことを実感した秋のセルフSDGs生活だったのでした。
※写真は今日のオフィスです!
#エッセイ #まちづくり #サードプレイス #飛騨古川
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