共感で“運動”を巻き起こせ〜師弟が手を組むまちづくり〜
学校と地域の橋渡し役として、双方の思いをくみ取りながら、子どもの学び、地域住民の生きがいづくりを行っている地域学校協働活動推進員。この日対談した飛騨市立古川中学校区の推進員を務める齋藤 憲一さんと校長の中村 裕幸さんは、小学校時代からの師弟の関係だそう。今年度そんなすてきな再会を果たした2人。“青年会議所理事長”と“校長”というそれぞれの立場から、「まちの未来を創る」という目標に向かって、日々力を合わせています。2人の出会いやこれまでの活動、展望などを伺いました。
体育教師とその児童、28年越しの再会!
——まずはお2人の関係性を教えてください
齋藤さん:先生との出会いは、僕が小学校4年生の時です。体育の先生だったので、体操のお兄さんという印象でした。卒業してからは滋賀に行き、飛騨に帰ってきた26歳のタイミングで、一般社団法人飛騨青年会議所(以下、JC)に入会しました。JCの50周年実行委員長をやっている中で、たまたま役所に出向していた中村先生に再会したんです。中村先生のパワーは健在でした(笑)。
——昔と変わっていなかったですか
中村さん:そうですね。齋藤さんみたいな教え子と一緒に仕事できるようになったというのは、教師冥利に尽きるというか、やっぱ教師は面白いなと思いました。
学校外での活動が子どもの自信に。地域の力が必要
——推進員について教えてください
齋藤さん:私は推進員でありながらJCの理事長として参加してるので、JCが地域にどんな影響を与えられるか、どんな役に立てるかと常に考えています。
中村さん:推進員って、外から見て何をやっているのか分かりにくいよね。なので、とにかく活動の目玉がほしくて、よりよい社会作りのために活動するJCの齋藤さんを誘ったんですよね。
——斎藤さんが参加してから、どのような活動をされたのですか?
齋藤さん:私はJC兼、推進員のメンバーとして、50周年の記念事業『希望の大壁画プロジェクト』をやったのですが、中村先生との対話の中で、古川中学校の吹奏楽部や合唱部に、図書館前にある『希望の大壁画』の前で演奏をしてもらったらどうかって話が出たんですよ。
中村さん:コロナが流行ってから、吹奏楽部も合唱部も発表の場がなくて、さらに地域住民も音楽や美術に触れる機会が少なくなってたじゃないですか。その両者の課題とか願いが見事に合致したのが、まさに希望の壁画の前でやるっていう。これまではコンクールで賞を取ったときや定期演奏会では注目される吹奏楽部と合唱部の日常を地域の人に見てもらえる場を作ったんだよね。地域の方が涙ながら感動したって言ってくれた日には、子どもたちの表情が温かくなるのを感じたよ。高校入試面接の練習でも、「地域の方々にたくさん喜んでもらえて、高校でも吹奏楽を続けようと思いました」と自信たっぷりに語る子もいました。そういう将来を切り拓く子どもを育てるために、地域の方の力を借りることが必要ですよね。
——ほかにどのような活動をされましたか?
中村さん:推進員の方々と協力して、3年生のマイプロジェクト(以下、マイプロ)や2年生の職場体験を進めています。
齋藤さん:職場体験はJCメンバーの会社などの協力のもと、進めています。さらに先生のすごいところは、ただの職場体験で終わらせるのではなく、反省する場を作ったことなんですよ。
中村さん:ただ単に「ありがとうございました」とか、「楽しかったです」で終わらせたくない。次につながらないですから。職場体験後に、JCの方々が子どもたちと真剣にディスカッションしています。大人と子どもが真剣に語り合う場は、学校だけじゃ設定できなくて、推進員さんの協力のおかげです。
齋藤さん:ディスカッションを終えて、明らかに僕たちの世代とは違うものを感じました。同調圧力が当たり前だった僕たちの世代に比べて、今の子たちからは、自分の思いを発信したいっていう積極性を感じています。彼らはどんな大人になるんだろうなあ。
中村さん:確かに今回参加した2年生のメンバーは、学校で見せる姿とは全然違って、自分の思いを堂々と語る姿に僕らも驚きました。だから場とか環境っていうのがすごく大事だと思っています。
「まちの未来をつくる」が共通目標
——中村先生も子どもたちの成長を感じますか?
中村さん:合唱部なのに、全体の発表となると声が小さいみたいな子がいたんだけども、今やどこでも堂々と喋れるようになりましたよ。大人から褒められるという経験を積むと、どんどん自信がつく。主将とかリーダーになったりしていたしね。
齋藤さん:その土壌を作るのが学校推進委員とか学校運営協議会なんでしょうね。私たち青年会議所の使命も青年の成長と発展の機会を提供することなので、とても親和性が高い。
こういうのを僕たちは“運動”って表現してます。1人の活動に共感した人間がいると、もう1人、もう1人と増えていく。少しずつ人が集まると、それはもう“運動”なんですよ。
——次はどんな運動を考えていますか
中村さん:来年は、希望の壁画前で美術展をやろうかと。希望の壁画が撤去されるって話も出ているんだけど、いっそ撤去しにくくなるようにメイン活動にしようか、なんて(笑)。
古川中でやってるマイプロのコンセプトは、「個性の発揮と、人にありがとうと言われる活動の創造・実施」なんですよ。まさにマイプロが学校内外、広く地域に認知されるよう取り組んでいきたいですね。
——地域を知っている校長先生だからこその役割ですね
中村さん:確かに地域や人を知っていることは僕のアドバンテージではあるけれど、これまでのプロジェクトの成功は地域や推進員のみなさんの功績です。僕の思い付きのイメージを、みなさんが形にしてくださった。
齋藤さん:今回は先生の想いに共感する人が集まって、実現しました。ビジョンが明確になれば、あとは進むだけですからね。結局みんな、「まちの未来をつくる」という目標が一緒なんですよね。だからこういう話をした時に共感できて、熱くなれる。むちゃぶりをされても何とかしてしまう。
中村さん:コロナだからできなかったことも課題も多かったけど、そこで諦めるんじゃなくて、見えない想いをくみ取ったり、なんとか工夫できないかと、みんなの目標が合致してうまくいったんだと僕は思います。
各地のJCと歩む古川中学校のこれから
——これからの展望について教えてください
中村さん:今思いついた!今度は学校運営評議会として、新しい当たり前を作りたい。あとは、学園構想っていうのを絡めていくことが大切かなと思う。考え方を発信するという。
齋藤さん:僕は国際交流の機会を構築したいと思っています。というのも、飛騨市と台湾・新港郷は友好都市提携を結んでおり歴史上のつながりがあります。いつかは、台湾と古川の子ども同士の交流ができたらと夢を持っています。
身近なところだと、富山の射水JCとの交流をもっと増やしたいですね。実は、40年以上つながりがあるんですよ。昔は互いのまちの山と海に行く「ふるさと交換会」がありました。まずは、手紙交換会でも、zoomで意見交換会でもいいから、交流を増やしていきたいです。
齋藤さん:あとは持続可能性も気にかけています。中村校長がいないと、僕がいないと進んでいかない、発展しないというのは持続的じゃないですよね。だから、組織として誰が次になったとしても意志を継ぐ仕組みを作り上げる。僕の子どもが将来、古川中学校に入った時に僕がそして僕の先生である中村校長先生がマイプロジェクトの創設者だぞって言えるように(笑)。
思い立つ人が夢を語り、そこに協力者が集まると形になってくる。
中村さん:さすが。そのとおりでございます。